高校時代の友人に音楽の先生がいます。昨年、仕事も兼ねて近くに来たついでに私のところに立ち寄ってくれました。私はその世界には疎いのですが、彼は合唱や吹奏楽を精力的に指導してコンクールにも出場し、何度か県代表にもなっているといいます。
そんな彼が最近混声合唱を始めたそうです。教え子達を中心としたメンバーだととのこと、そしてそのメンバーに加わらないかというのが彼の訪問の趣旨でした。
「毎日、酒を飲んで寝てしまう、そんな生活ではないのか。」
「まあ、そうだよ。」
「もっと潤いのある生活をしろよ。この年になってきたら趣味を持つべきだ、
音楽に心を注いでみたらどうだ。合唱に出て来いよ。」
と、そんな内容の会話でした。昔から合唱の中の「ただの人」であった私を誘ってくれる彼の気持ちは嬉しいですね。(そんなところにも誘いをかけるほど、世の中で合唱を唱う男性が少なくなっているのだとも思います。) しかし、目立たないながらも佐々木先生の音楽の熱烈なファンである私が、そういう合唱団にはいって一緒に唱っていける自信は全くありません。かといって私たちの経験した音楽を逆に伝える力もない私は、この友人の誘いにも心を閉ざしたままでした。
先日の「N先生を囲む会」では、開会に先立って混声合唱の練習が少々ありました。この指導はHさん主導で行われました。コンクールでも実績があるという彼は、どうやらのびのびと声を出させるといった感じの指導でした。短い時間の中でも「発声」というような内容が出てきます。こういう通常の合唱の経験がほとんどない私はその指導に興味津々でもありました。振り返ってみると私たちが経験した分離唱の合唱では発声という内容に触れることはありませんでした。ここでの彼の指導はやはり、「一人一人が確実に歌えて合唱が成り立つ」という指導でしょうかね。しかし、この短い練習の中でハーモニーへのアプローチというのは全くないのです。そして私の耳に飛び込んでくる周囲の声は、しっかりと自分の音程で歌っています。周囲の声、響きを自然にきいて、その中で歌っていくことに慣れている私は、「こんなにも歌い方が違うんだ」と思わずにはいられません。「うたう喜び」にあふれそれが伝わってくるところに「あー、いいなあ」とも思うのですが、やっぱり私は「聴いてうたう喜び」「ハーモニーを感じながらうたうよろこび」がいいなあ。