若い仲間⑨
山南高OB合唱団
コンクールには無縁
野の花のごとき素朴さ
○・・・山形市の数少ない男声合唱団としてそのユニークなハーモニーが人気を博し、東京にもかくれたファンを持っている。団員はすべて山形南高卒業生という点が共通しているだけで多種多様。商人あり、農民あり、あるいは勤め人ありで、合唱するために結ばれたグループである。
これまでコンクールには一度も出たことがなく、年に一度山形市で発表会を行ない、また三十年にはわが国の「音感教育」の創始者東京紫翠会の佐々木基之氏に認められて招かれ、東京青山の日本青年館で初の東京公演を開いて以来三回東京で発表会を行っている。
そのさいNHK交響楽団の指揮者ロイブナー氏や音楽評論家宮沢縦一氏から、最近の合唱団はとかくスタイルや技術に走り過ぎるが、同合唱団は美しく調和したハーモニーを持っていると激賞されたほど。
○・・・このグループが誕生したのは十一年前の昭和二十六年四月。しかしその芽生えはさらに数年前の同校音楽教諭森山三郎氏が南方から引き揚げた時にさかのぼる。当時はメロディーを主体とした軍歌流行歌しか知られていない環境で音感教育として合唱を採用するにはかなりの努力が必要だった。しかし二十四年秋にはNHK山形放送局から最初の男声合唱を放送するまでに成長した。当時高校の男声合唱は珍しいものだった。二十六年三月の卒業式の日、同校を巣立つ石沢行夫氏、田島義久氏ら五人は、このまま森山先生のもとで学んだ合唱の喜びから、また同じ仲間から離れることをやりきれなく思い、週一回母校に集まろうということになり、翌四月仲間に呼びかけてOB合唱団を作った。ただ合唱を楽しむだけが目的だった。ハーモニーに関するきびしさを除いては・・・。
○・・・それ以来今日まで毎週土曜の夜は欠かさず母校の音楽室に集まって森山先生の指導で練習を続けている。
団員は現在およそ三十人、同校を卒業して東京に就職、進学した者も在京OB支部を作って毎週二十人ていどが集まって練習している。ところで音楽雑誌「合唱界」の昨年二月号に「“野の花”のごとく」と題して同合唱団のことが特集されているのでその一部を紹介しよう。「・・・コンクールには縁のないこの合唱団の存在は決してはでなものではない。そういう無欲さと地味な歩みに、ファンたちは親しみを持っている。そして素朴で土のにおいさえにおってくるようなこのグループに心からの声援を惜しまない。そのうえこれが地方の合唱団かと思うほど安定したハーモニーに聴衆は魅了され、トリコになってしまう・・・彼らの合唱は“野の花”のごとくあるがままの姿である。」
昭和37年10月2日 河北新報 山形版