カテゴリー別アーカイブ: 音楽:分離唱合唱資料

「音楽教育に光!」

月刊誌「世論時報」、1979(昭和54)年12月号・1980(昭和55)年と2回にわたって連載された

「音楽教育に光!」
http://susuki.chips.jp/?page_id=5387

を載せました。佐々木先生の著書「耳をひらく」との出会い、入門・レッスン、梨大合唱のこと、分離唱による音楽教育の実践がつづられています。

是非、お読みください。

梨大演奏会記録

山梨大学合唱団第31回・32回演奏会の記録をアップしました。
30回と同様に演奏会パンフレットもPDFファイルでご覧ください。
以下のリンクです。

第31th定演   山梨大学合唱団第31回定期演奏会のページです
第32th定演   山梨大学合唱団第32回定期演奏会のページです

梨大合唱団合宿の感想

佐々木先生が梨大に指導に来ていた当時、先生のお弟子さんが練習の見学(?)によくみえました。夏合宿には特に多くの方がみえ、自炊の合宿の炊事を手伝ったりしながら練習を見学してくれました。先生の指導は12年間にわたりましたが、その7年目の昭和54年(私はとうに在籍を終えている頃ですが)の夏合宿の見学に見えたお弟子さん方が寄せてくれた合宿の感想手紙が当時の団内誌に掲載されています。そういう方達がこの合唱をどんな風にみていたのか、感じていたのかは大変興味深いものがあります。

そこでこれらの文章を順次掲載させていただこうと思います。とりあえずはお一方の文章、「M.Yさんからの手紙」を掲載させていただきました。

投稿・寄稿
http://susuki.chips.jp/?page_id=1470

からこのページの末尾、「M.Y. さん からの手紙」をクリックするか、または直接

梨大合宿の感想1
http://susuki.chips.jp/?page_id=4984

をクリックしていただき、ご覧ください。

「演奏会の記録」ページ

私たちの先輩である「大草原のヤス」さんが、佐々木先生が見える前の梨大合唱団の演奏会記録をブログに掲載しています。

菜の花畑 分離唱により耳をひらいたハーモニー
http://naohana-batake.sakura.ne.jp/wp/

そこで、それ以降の演奏会の記録をはじめてみました。とりあえずは佐々木先生のご指導1年目の第30回定期演奏会です。演奏会パンフレットをPDFファイルで見えるようにしてみました。理事や顧問の先生のことばなどからも当時の雰囲気・受け止め方などの一端が読み取れるのではないでしょうか。

演奏会の記録  山形南高OB合唱団および梨大合唱団の演奏会一覧
梨大30th定演  山梨大学合唱団第30回定期演奏会のページです

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都民の胸うつ歌声Page

山形南高OB合唱団は3回の東京公演を行っています。第3回は1961年、この直後(2日後)の山形読売の新聞記事を固定ページに載せました。

「古い記事で、表現も今とはちょっと違うかな」と感じます。よろしかったらお読み下さい、以下のリンクです。

都民の胸うつ歌声 1961年12月13日読売新聞・山形読売

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「特集 “野の花”のごとく」

以前に私のブログで紹介した音楽誌「合唱界」の記事、

山形南高OB合唱団資料
「特集 “野の花”のごとく」

を固定ページにアップしました。

1961年に行われた山形南高OB合唱団の東京公演を前にした記事です。この合唱団の生い立ち、同じOBである増田順平さんのこと、南高で分離唱の合唱を育てた森山先生のこと、そして佐々木先生のことなど興味深い内容がつづられています。

ご覧ください。

山形南高OB三度目の演奏会(その2)

当初は近郊の小中学校まわりを試みるにすぎなかった。だが六年前の30年秋、南校でコーラス部に席をおき、中途で群馬に転校し、芸大卒業後、東京混声で活躍した増田邦明君という青年の口ききで東京演奏の機会をもった。しかし六年前の彼らの上京には、いろんな苦労があった。税務署などは、いなかの合唱団の上京ときいて、ずい分同情的だった。
 その夜の日本青年館は、名も知れない東北の一男声コーラスをききに、か
 なりの聴衆が集まった。千人あまりを収容できる会場は、盛況だった。合唱
 団の先輩とか知人の関係者をのぞき、その夜の聴衆のほとんどが半信半疑
 で幕のあがるのを待ったにちがいない。地方都市からのこの若いおのぼりさ
 んたちの晴れ姿に、多分に同情的であったこともこばめない。タカをくくった
 聴衆も、形式的な声援を送るだけの客もきっとたくさんいたにちがいない。と
 ころが一部、二部とステージがすすむうちに、そういう態度を改めないわけに
 はいかなくなった。プログラムをうずめる25曲、それにアンコールをふくめて、
 そのハーモニーの美しい安定した姿に驚かされた。きわめて自然にひびくハ
 ーモニー。刺激がないといえばなさすぎるくらい。天然自然のままの姿といっ
 てふさわしいその合唱に、聴衆はなんの抵抗もなく、感動に誘いこまれてい
 ったのだ。
この第一回演奏会のもようは音楽雑誌に“野の花”のごとくと題して大々的に掲載された。こうしてさいしょの礎石がうちこまれた東北の一隅に咲き誇るこの野の花合唱団はこの11日に多くの思い出を残した同じ日本青年会館で第三回の演奏会を開く。
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山形南高OB三度目の演奏会(その1)

以下は、1961年第3回東京公演を前にした山形南高OB合唱団のかかわる新聞記事です。日付・新聞社は不明です。
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都民を感動させた“野の花”
山形南高OB合唱団
会員も年々ふえる
11日 三度目の演奏会開く
○・・・・山形南高OB合唱団の第三回東京演奏会がこの十一日夜、東・・・・○
○・・・・京の日本青年会館で開かれる。団員はすでに実社会にでて商・・・・○
○・・・・業や農業に従事、あるいはサラリーマン勤めの人びとであり、・・・・○
○・・・・この東北のなも知れぬ一合唱団の奏でるハーモニーの美しさ・・・・○
○・・・・は、ようやく都民の注目をひきはじめているという。しかし、こ・・・・○
○・・・・の合唱団が山形から上京して演奏会を開くに至った歩みをた・・・・○
○・・・・どると野の花に似たきびしい努力が秘められている。       ・・・・○
南高OB新聞写真1
合唱団の芽ばえは昭和26年3月、裏手の千歳山の木々は、まだ春にはほど遠い。山形盆地の周囲の山々の峰には残雪が一面を覆っていた。こんな寒々とした自然の中にあって卒業式が終わったばかりの南高校庭には、希望にもえた若者たちが三々五々帰りはじめていた。その中に五人組の卒業生がいた。T、N、S、I、Aの五君の仲間だ。五人の足取りは、申し合わせたように重く、校舎や音楽室にいつしか舞いもどらせていた。音楽の森山三郎先生のもとで学んだ合唱の喜びは、教室での勉強といったものではなかった。生活のなかにまでくいこんだ、強い深い体験でもあった。卒業して進学するものもいる。この五人も、社会に出れば、やがては離ればなれになってしまうにちがいない。そう思うと彼らには、このまま別れてしまうのがおそろしくさびしく感じられてしかたがなかったにちがいない。
- 五人だけでも続けないか・・・・・・。五人のうちだれからともなくもれた。 -
そうだ。男声合唱団をつくろう。来年になれば後輩たちがいる。そのさきも、お
れたちのあとに続く連中がわんさといるじゃないか-。こうして彼らは4月には
いってから、うち五人を中心に南高OB合唱団をつくった。毎週一回の集まり
だ。みんなにはなんの野心もない。ただ自分たちが楽しめるものであればよい
。森山先生に学んだ方法で熱心に練習した。そしてハーモニーに関してだけ
は彼らのひとりひとりがきびしかった。それから一年たち、十人だったメンバー
は二十人にふえ、そのごも先輩をしたって入会する人が年とともにふえてい
った。

美しいハーモニー

以下は、1957年第2回東京公演を前にした山形南高OB合唱団のかかわる新聞記事です。日付・新聞社は不明です。
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美しいハーモニー
◇・・・・・・ 成果を上げた音感教育 ・・・・・◇
山南OB合唱団 東京公演にさきがけ嚶鳴同窓会で
山形南高OB合唱団が11月中旬の東京公演にさきがけ、27日開かれた山形西高嚶鳴同窓会の席上美しいコーラスの響きを披露、絶賛をはくした。
同合唱団は“森の都”山形の合唱団として中央にも認められ、さる30年にひきつづき再び東京青山の日本青年館の日本青年館で公演することになっている。嚶鳴同窓会では“谷間の教会”“すすき”など6曲を披露したが、流れるような男声合唱の響きと心にくいばかりに完成されたハーモニーに満場のご婦人たちは惜しみなく拍手を送っていた。
同合唱団は26年4月同校教諭森山三郎氏の指導で第1・第2回卒業生の余目高教諭石沢行夫(25)山形市教委勤務安達良介(26)庄内交通社員砂山弘(25)ナショナル電器社員中村博(25)山形トヨタ自動車会社員田島義久(25)さんの5人によって創設されたもので、団員は会社員、公務員、教員、学生など25人で構成され、毎週水曜日の夜一回も欠かさず現在まで練習を続けてきている。
29年の秋山形市を訪れた“音感教育”の創始者佐々木基之氏が七日町の大通りを合唱して通るグループに話しかけたのがはじまりで森山教諭を通じ佐々木氏が音感教育を仕込んできている。
その後同合唱団はたゆまぬ努力をつづけながら30年7月の第1回公演(山形中央公民館)東京での公演と発表も回を重ね、次第にその真価が各方面から認められてきたもの。(写真は山形南高OB合唱団の公演)
嚶鳴同窓会

音感教育の美しい調べ 再び東京で発表会(その3)

○・・・佐々木氏の音感教育はいままで音符だけに頼った音感教育を改革して、耳を通じてハーモニーから自然に音楽のあり方をつかんで行こうとするもので、すでに札幌、仙台、広島、鹿児島、埼玉などでこのやり方が取り上げられているが、山南OBはその中でも代表的な合唱団であり、この教育を受けた団員の中にはピアノの即興演奏など秀れたセンスをもつものも少なくない。その意味で中央楽壇に投ずる影響は大きいといわれている。
再び東京で発表会
【写真はステージ上の山南OB合唱団】
以上、昭和32年10月17日
読売新聞山形読売面記事