当初は近郊の小中学校まわりを試みるにすぎなかった。だが六年前の30年秋、南校でコーラス部に席をおき、中途で群馬に転校し、芸大卒業後、東京混声で活躍した増田邦明君という青年の口ききで東京演奏の機会をもった。しかし六年前の彼らの上京には、いろんな苦労があった。税務署などは、いなかの合唱団の上京ときいて、ずい分同情的だった。
その夜の日本青年館は、名も知れない東北の一男声コーラスをききに、か
なりの聴衆が集まった。千人あまりを収容できる会場は、盛況だった。合唱
団の先輩とか知人の関係者をのぞき、その夜の聴衆のほとんどが半信半疑
で幕のあがるのを待ったにちがいない。地方都市からのこの若いおのぼりさ
んたちの晴れ姿に、多分に同情的であったこともこばめない。タカをくくった
聴衆も、形式的な声援を送るだけの客もきっとたくさんいたにちがいない。と
ころが一部、二部とステージがすすむうちに、そういう態度を改めないわけに
はいかなくなった。プログラムをうずめる25曲、それにアンコールをふくめて、
そのハーモニーの美しい安定した姿に驚かされた。きわめて自然にひびくハ
ーモニー。刺激がないといえばなさすぎるくらい。天然自然のままの姿といっ
てふさわしいその合唱に、聴衆はなんの抵抗もなく、感動に誘いこまれてい
ったのだ。
この第一回演奏会のもようは音楽雑誌に“野の花”のごとくと題して大々的に掲載された。こうしてさいしょの礎石がうちこまれた東北の一隅に咲き誇るこの野の花合唱団はこの11日に多くの思い出を残した同じ日本青年会館で第三回の演奏会を開く。
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山形南高OB三度目の演奏会(その2)
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