特集 “野の花”のごとく (その7)

山形南高OB合唱団についての特集記事、このところさぼってしまいました。最終章です。「冒頭に25年前のはなし」とありますが、この雑誌が発行されたのが1961年。そこから25年前ですから、もう3/4世紀ちかくも前の話になりますね。

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満たされざる心

むかしむかしの話だ。25年もまえの話。
東京音楽学校(いまの芸大)を卒後の佐々木基之氏は、東京の小学校(文京区金富小学校)に奉職した。若い佐々木氏の心のなかには、当時の音楽教育にたいして、決して満たされていたわけではない。いや、むしろ、何かが、根本的ななにかに欠けているとする、激しい不満があったものだ。
音楽教育に欠けているもの、それは何か。それを満すには方法がいる。それを果すにはどうすれはよいか。佐々木氏の苦悩は、周囲からは、変わった目でみられたものだという。何もしなくてもすむのが、教師という職業といったら怒られるかもしれないが、ささやかなわたしの経験からも、何人かの、毒にも薬にもならぬ連中がいるものだということは否定できないようだ。また逆に、やりだせば限りないひろがりをもつ、貴い職業だということも知っている。佐々木氏の態度が典型的な教師のものでなかったのかもしれない。とにかく、佐々木氏の頭の中は、この何かを求めることで、いっばいだったのだ。
そんなとき、音楽学校の同輩で友人でもあった園田清秀氏(ピアノの高弘氏の父君)の宅を訪ねたことがあった。たまたま、そのレッスンの場にいあわすことになった佐々木氏はレッスンをきいているうち、ハッとあるひらめきを感じた。いままでの苦悩が、いちどに発散するような気持だった。そしてそのあとに、それを方法として、一刻もはやく実践しなければいられない気持にかられたのだ。

こうして、佐々木氏の音感教育は、佐々木氏の心のなかに、はっきりと形をととのえてあらわれたのだ。その一つの方法として、分離唱、三声唱、分割唱がある。
分割唱の解明がおくれたが、これは分離唱の変型といったもので、T・S・Dの和音を、ききわけるところから出発し、つぎに、それぞれの三和音を分散的に、C、E、G。C、F、A。H、D、G、というようにスタカートで反復してうたう。この効果は、和音感を学ぶと同時に、リズムの訓練となる。分離唱や三声唱は、増田邦明さんの話のところでも書いたがこれらの方法こそ、百聞一見にしかずで心ある人は、東混なり佐々木氏の宅を訪ねて見せていただくとよい。ぜひ、このことをおすすめする。かくいうわたしも、この原稿の取材で、すばらしい収かくをえたのであった。そしてこの方法が、なんとまた目にみえて効果を生むものであるかも、その後二週間の、あるアマチュア合唱での実験で実証されたのだ。

話はまたそれてしまった。前記の金富小学校で、佐々木氏がそれを実地で試みられたことはいうまでもない。そしてその効果に、佐々木氏自身が、目をみはったことでもあった。やがて、それは、全国の小学校音楽教育の研究発表会で公開されることになった。

佐々木基之氏の音感教育の話をききに、全国から3500名の先生たちが集まった。そのときのこの3500名のなかに、山形から森山三郎氏がきていたのだ。森山氏は芸大の講習会が出張の目的だった。ところが芸大には一日だけ、残りの十日間は、この佐々木氏の音感教育の研究会に毎日通ったそうである。
増田さんの高二のときの、森山先生の心境の変化は、このころのことだったのかもしれない。それ以後というものは、山形の森山氏と、十七年間の小学校教員を終えて音感教育にうちこむ佐々木基之氏との間に、強いきずながうまれたのだ。
立派な教師が、正しい音楽教育に情熱を傾ければ、その下に育つ若い連中は、教師をとびこえて、どんどんのびていくものなのだ。森山氏の生活のなかにも、そのことを痛感させられることが多かったらしい。だから森山氏にとって、いや、彼の育てた山形南高OB合唱団にとって、東京の佐々木基之氏の存在は貴重なものだったにちがいない。佐々木氏は、一年に三、四回山形市に出向いて、直接指導に当るそうである。このOB合唱団は佐々木氏にとっても、きっと、わが子のように可愛いいのにちがいない。
ほんとうにしあわせな合唱団だ。こんなめぐまれた環境に育つ合唱団は、東京にだって少ない。合唱団のメンバーは、このことを肝に路じ、佐々木氏や森山氏に感謝を惜しんではなるまい。また、自分たちをとりまく周囲の善意にたいしても、あまえたり、慢心を抱くようなことがあってはなるまい。

佐々木基之氏は、合唱のあり方について、純正なハーモニーが人間の自然感覚であるはずなのに、パート練習やコールユープンゲンでドレミの練習を平均律のピアノをたたいてやるというのは、その自然感覚に逆行するものだ、という。そして、いかなる単音も、単音として孤立させず、和音のなかの音として感じて歌唱すれば、おのずと調和への意識が働き、音色は統一され、ハーモニーを作ればその純正なひびきは、うたう人の心に音楽的感動を引きださずにはおれないものだ、ともいう。その感動のあるところに、その曲のテンポも自然発生的にきまってくるものでもある。

(佐々木氏のお宅に集まる十名の″みちのく″のコーラスは、雑な大合唱団よりは遠かに感動的であった。それは、ひとりのこらずみごとにハーモニーのなかにあり、そのハーモニーに、彼ら自身が感興を生み、自然と、強弱テンポが生じ、聞く者に伝わってくるのだった。技巧や虚こうのないホンモノの心にうたれてしまうのだ)
また、合唱団のあり方について。-合唱のねうちは、大衆のものであるということ。ちょうど、誰でもが草野球を楽しむように、合唱の姿もそうあるべきだ。このあり方をレンゲ草にたとえるなら、コンクールの演奏は造花である。これを刺激にしなけれは合唱が育たないというのは、合唱の楽しみの本来のものや根本のことを忘れているか、さもなければ気づかないかのどちらかだ、という。

最後に、この佐々木基之氏の話をきいてある指揮者がさっそく実験を試みた結果をお知らせしておこう。対象は、まだ発足して一年もたたぬアマチュア15名の混声グループである。年令も若いので音色はきたない。ドレミ唱法も困難をきわめるほどの連中だ。つまり、合唱グループとしては最低クラスとおもっていただけばよい。その人たちに、分離唱と三声を試みたわけだ。
最初の分離唱でCEGの和音をピアノで断続しながら、その中のE音を発声させた。指揮者がE音をうたって導入するにもかかわらず、外声のCやGがとびだす始末。それでも数回ののち、全員がE音を示した。息をつかせて「エー」と長くのぼさせた音は、楽器の音を消したとたん、全員が、すっかりウナリのとれた二本のE音となって、残ったのだ。気をよくした指揮者は、つぎにG音、C音と、時間をかけて試みた。結果は、それぞれに、それは美しいユニゾンを生んだのだ。単音でやったユニゾンとはくらべものにならないものだった。このとき指揮者がおもったことは、単音指導の場合、それが強制された音であるのにたいし、この和音による方法だと、彼ら自身で作りだしたものだといえる、ことであった。この現象には、指揮者よりもうたっている連中のほうがよろこんだものだ。
つぎは三声唱をするために、メンバーを男女別に三組に分け、もう一度さきはどの分離唱をやって、それぞれの分担を確かめておいて、再びピアノでCEGをたたいた。その余頭を十分に確かめさせて、これにとけこませたのだ。これも反復くりかえさせた。そして、断続的にたたくピアノの手を中止してみた。息をついで長くのばした三和音は六声部のハーモニーとなってみごとにひびいた。
この方法は、メンバーひとりひとりが″作る″という興味と、簡単さがあるようだ。もちろん、一回の試みだけで、うたう曲がすべて美しくハーモニーするようになるとはいえない。しかし一回よりは二回と、彼らの合唱する音にたいし、そしてそのパートのうたいかたのなかに、その効果が目にみえて感じられるのが不思議だったという。十分に予想できる効果については、まず音程がよくなったこと。我流の声でなく、注文をつけずとも音色を考えながらうたっていること。あとのことは、これからさきの実験の結果で、どのよぅな効果があらわれるか、きわめて興味がもてる。佐々木氏の話では、三カ月から半年のうちには、すっかり変わってくるそうだ。
山形南校OB合唱団のみなさん、どうもありがとう。そして、東京演奏会を開く十二月十一日を期待しています。    (M)

最高のハーモニー
優れた音楽性
-みちのくに育った合唱を聴く夕-
山形南高OB合唱団
発足十周年記念東京公演
指揮 佐々木基之

曲目
・イタリアの山の歌 ・稗搗節
・親方と弟子    ・五つ木の子守歌
・やさしき愛の歌  ・夏の思い出
他20数曲

主催 紫翠会   後援 合唱界
12月11日(月)P.M.6:30
日本青年館

入場料150円
都内各プレイガイドにて前売中

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