今年5月に聞いたC.Wニコルさんの講演会では、会の終了後ロビーで2冊の著書を販売していました。その一冊を図書館で購入していただき、読むことが出来ました。
内容は著者の生い立ちや日本に来るまでのこと、日本で出会ったすばらしい日本人のこと、そして最後に森の再生のこと。日本国籍を取得し、今では生来の日本人以上に日本人らしいのかもしれません。私たちは「愛国心」という言葉には身構えてしまうところがありますが、ニコルさんには自然な形で心の中に(もちろん日本に対する)愛国心があるようです。
本を読み終えて特に印象に残るのは森作りのことです。講演会の時には黒姫の森の映像もたくさん見せていただきましたが、放任された森でなく豊かな森をつくるための人の関わりのことがこの著書にも書かれています。
こんな話を読んでいるとやはり私の中の山の記憶がよみがえってきます。私の実家は山間地、山の記憶といえば農作業のない冬の間の山仕事についていった記憶ですね。私たちが子どもの頃は炭焼きも盛んでした。部落の共同の倉庫には出荷する炭俵も積み重ねられていました。山では燃料である薪切り、ぼや切り(焚きつけに使う細い枝を集め、切りそろえて束にする)、しょいこでの薪背負い(まきしょい)、植林、下草狩り、木の掃き(落ち葉を集めて家畜のいるところに敷いてあげました)、今思い出すのはそんなところかな。山での収穫が燃料になり、家畜の敷きわらの代わりになり、農作業の資材にもなりました。良質の木材はもちろん建築材です。その基となる植林がなかなかできない私たちの田舎のような貧しい山村でも雑木林が立派に育てば山師に買い取ってもらい、立木のまま買い取ったこの人達は切り倒して大きさをそろえ、トラックに積み込んでパルプ工場に売りに行きました。
そんな山と森と共に生きる術を私たちは全て捨ててしまったのかもしれません。でも、逆に山に頼らなくても生きていける豊かな時代になったのかもしれません。孫の誕生を記念して植樹を考えた父達の頭に描く理想の山は杉や檜などがきれいに植林された山でした。しかし、ニコルさんのおはなしでは豊かな森というのは多様な生物が生きることのできる森で、針葉樹一色のものではなく、樹木も含めて多様な動植物が共生している森のことだそうです。そう考えると、山に頼らなくても済む豊な時代の今こそ豊かな森の再生に力を注ぐことの出来る時代なのかもしれません。
「豊かな森」、魅力的なことばです。
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