月別アーカイブ: 2014年7月

「いのちなりけり」

いのちなりけり

「いのちなりけり」
葉室 麟 作
文藝春秋

 読みました、またまた葉室作品です。
格好良い武士道とプラトニックな恋愛。前半は佐賀鍋島藩が舞台。藩の本家と支家の立場が逆転してしまう、そんなことが史実としてもあるのでしょうか。殿様が主人公:蔵人に義父の殺害を命じ、それが成し遂げられると言うとおりに働いた蔵人を捕らえて亡き者にしようとする、為政者の理不尽さを感じないわけにはいきません。水戸光圀も登場します。光圀にも為政者の勝手な論理があり、将軍綱吉の下で支配者への道を駆け上がる柳澤氏の謀も陰険そのもの。そういった理不尽さの仲で芯の通った武士道を貫く主人公、最後は「これでよかったかな」と思える結末でホッとしました。

清水眞砂子講演会

甲府で講演会がありました。

清水眞砂子講演会
「半音のない世界で - いま子どもの本にできること」

 ゲド戦記を翻訳された方です。「ゲド戦記」・・・・いきなりその世界に惹き込まれ翻訳とは思えない豊かな世界を感じさせていただきました。その先生の講演、大変楽しみにしていました。

講演は休憩を挟んで約3時間、前半は「かわいいだけが子どもの本?」と題して、子どもにかわしいものだけを与えてかわいいことを求めるようにさせないこと、子どもには厳しいハードルも乗り越えられる、というようなことだったかな。後半は「わかりやすさの行きつく先」と題しての話でした。

以下、いくつか印象に残った言葉を記します。

「電話なら生理的なものが伝わってくるが、メールは無機的。文字(手紙)では健康状態がわかることもある。」
「子どもが苦難に直面している時、不安を取り除いてやろうとするが・・・・。」
「『本を読んで心豊かになる』といわれるが、本を読んで壊されることもある。」
「はたらきかけないでいることの豊かさ」
「かわいそうのなかで育つと、かわいそうになってしまう。」
「何が正しいかは、あなたがどこで生まれたかによって違う(スウェーデンの教科書)」
「一番感動したことは語らずにとっておいて欲しい。」
「こどものとき、一人で世界と向き合う瞬間がある。」
「『わからない』ことを恐れなくていい。」
「『戦争の後に平和がやってくる』というけれど、『平和の後に戦争を呼び寄せてしまう』」
「大風呂敷を広げることをすすめる」
情報を得る手段が急速に新聞からネットへと変わってきているが、「新聞は思いがけないものが飛び込んでくる。」
「ラインに流れることばの貧しさ」
「希望を持っている人は、ものごとをじっくり見つめる。」
「児童文学はハッピーエンドでなければいけない」

「半音のない世界」ということ。
ある作曲家の「コマーシャルソングに半音は使えない」ということばがあったそうです。きれいな世界、やさしくわかりやすい世界を表現するのには半音は使えない、音楽で不安・葛藤・不幸等々複雑な内面の表現には半音が絶対必要であり、子どもに与える本もきれいだけではいけない、といった趣旨でこのことばを使ったのようでした。

ことばを育て人が育つ(育てる)ための視点、新鮮なことばがたくさんありました。

ヨウシュヤマゴボウの花

ヨウシュヤマゴボウ1 ウォーキングコースの脇に自生するヨウシュヤマゴボウ。ヨウシュヤマゴボウといえば房になったきれいな濃い紫色の実を思い浮かべますが、今はこんなです。

 

ヨウシュヤマゴボウ2 房の先端は全くの蕾、そこから順に花が開き、受粉して実が育ち始め花びらは消えていく、実は順に大きく育っていく。そんな蕾から実になる歴史を一房の中に見ることができます。

 

ヨウシュヤマゴボウ3 そして今、一番すすんでいる房はこんな。実が大きくなり、茎の部分は赤く色づいてきました。実が見事に色づくのはあと一ヶ月くらい先でしょうか。でもここ農道脇で生きているヨウシュヤマゴボウは十分に実前に刈り取られる運命です。

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パッションフルーツの花

パッションフルーツの花 今年からわが家の緑のカーテンに仲間入りしたパッションフルーツが咲き始めました。「きれいな花」と言えるかどうか、とにかく個性的な花ですね。色合いもなかなか派手です。

最初の花を受粉してあげなければならないそうです。自分では受粉できないということか。甘い実がなるというだけあって、この木には蕾もまだまだの頃からアリがさかんにのぼってきます。甘い樹液(?)をだしているんでしょうか。「こんなに群がるならアリが受粉も手伝ってくれればいいのに!」、と思うのですが。

花は一日で閉じてしまうようです。最初の花は受粉させないうちに閉じてしまいましたが、今度はしっかりしてあげました。実が膨らんでくるのが楽しみです。

 

「一本の大切なローソク」

○○○○○

九月一四日を私は忘れない・・・・
初めて人間として生きている幸せを知ったからです。
ひしひしと胸にこみ上げてきたからです。なんと素晴
らしい私たちの佐々木先生でしょう。こんな人達にめ
ぐり会えた私は本当に幸せだと思います。一本のロ
ーソクに灯をともしてシベリウスの音楽を聞いている
佐々木先生とそして私たち・・・・。一つの赤い炎がこ
んなに温かく私たちをつつんでくれる。音楽の高鳴り
と同じ様に私の胸も高鳴り、目の前にあるローソク
の灯を一心に見つめていた私・・・・。

消してはいけない。私達はこの灯を消してはいけな
い。皆んなと一緒にこの灯を手にして、苦しみにも耐
え悲しみをのり越えて生きて行こう。私は今幸せなの
だ。人が生きていることは素晴らしいことなのだ・・・・。
いろいろなことが心の中をかけめぐりました。
私は本当にうれしかったのです。ケーキをいただい
たことよりも乾杯をしたことよりも佐々木先生の誕生
日を祝ってささやかな私達のプレゼントを拝む様に
して手にしてくださった先生の姿を心を忘れることは
できません。佐々木先生、どうかこれからも若々しく
元気な先生であってください。と祈らずにおれません。

みちのく第3号より

「王子と乞食」

王子と乞食

王子と乞食
マーク・トウェイン
大久保 博=訳

「ロスジェネの逆襲」の前に読みました。それとなく内容は知っていましたが、読んだのははじめてです。朝ドラ「花子とアン」にこの原本が登場し、花子が翻訳するのですが、今回読んだのは村岡花子訳ではなく大久保博訳のもの。

現実的な内容ではなく、空想として面白い物語を作ったものだと思うのですが、後書きをよむと似たようなことが現実にあったらしいですね。実在のその王は短命であったが名君であったようです。物語でもその名君をたたえているといったところでしょうか。

豊富な挿絵もまた充実しています。なかなかの長編ですが楽しませてもらいました。

 

「ロスジェネの逆襲」

ロスジェネの逆襲「ロスジェネの逆襲」
池井戸 潤
ダイヤモンド社

読みました、池井戸潤作品2作目です。「下町ロケット」がよかったものですから。

バブル崩壊後の不景気、1994年~2004年の就職氷河期に世に出た若者たちを「ロスト・ジェネレーション」、略してロスジェネ世代と呼ぶのだそうです。そのロスジェネ世代がそれ以前のバブル期・或いはもっと以前の世代を見返す、そんな題名でしょうか。

そんなに世代を意識した内容とは思いません。むしろ大手銀行員と子会社の社員との間の小気味よい逆襲かな。今回も企業買収の世界にひきこまれました、これが池井戸ワールドでしょうか。

主人公:半沢直樹、そういえば昨年はやったドラマの主人公がこの名前でしたね。「あ、ドラマの原作はこれか。」と思いつつ読み進めましたが、「倍返し」という言葉は出てこなかったな。ドラマを見てないので、特定の俳優さんの顔が脳裏に登場することもなく読むことができました。見てなくてよかった。

面白くて、あっという間に読んでしまいました。

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6月のウォーキング

月が変わって大分日が過ぎてしまいましたが、5月のウォーキングの報告です。

6月

歩行距離 : 110.4km
歩行日数 : 25日
ウォーキング実施率 : 83.3%

1月からの歩行距離 : 402km
歩き始めからの歩行距離 : 4812km

今回も100km超、上出来です。7月も頑張らなければ。