月別アーカイブ: 2016年7月

分離唱の合唱 in 国分寺(7月)

国分寺の合唱がありました。今回はS:3,A:3,T:3,B:1、計10人。ちょっとこぢんまりでした。
唱った曲目は以下の通りです。

しずけきいのりの
かいぬしわが主よ
やさしくともをむかえよ
ガリラヤの湖畔
主よこころみ
こころのおごとに
ひとたびはしにしみも
むくいをのぞまで
神ともにいまして
しずけきかわの

すすき
よしきり
光のお宮
われは幼く
空しく老いぬ
美しき

休憩時間には男声・女声合唱

野ばら(男声)
茨垣(女声)
野ばら(〃)
ロッホローモンド(〃)

後半は、

はるかに
ひばり
うぐいす
緑の森よ
森の教会堂
夏の夕べ

会員は親の介護の世代も多く、そのために欠席が続いていたWさんが久しぶりに見えました。そんなことから休憩時間にはお互い身の上話(?)を聴き合ったり・・・・、これも会員同士のつながりを深めてくれそうです(笑)。
今回は歌い慣れている讃美歌を「楽譜を見ないで」との指示で、それそれできるだけ暗譜で唱いました。楽譜を見ないからこそ集中できる部分があるように思います。.思い切って楽譜を離れるという意識、必要ですね。バスが一人だけでしたが、これは時として自分の声がむき出しでさらされるということ、恐ろしい。でも一人のときには又違う緊張感が味わえておもしろくもあります。人数は少なかったけれど皆さんよく聴き合って、少ないなりに楽しく充実したひとときでした。

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第13回さらりと音楽談義

13th音楽談義1

今月も行ってきました、さらりと音楽談義。今回のモチーフは「組織」。

まずは主催者から、藤原先生の息子さんがチェロコンクールで優勝したとの報告がありました。兵庫県養父(やぶ)市にビバホールという音楽ホールがあり、そこを会場として開かれているコンクール。小さな町ではじめたコンクールが、今や国際的なコンクールに育ってきているのだそうです。資金的に支える人はもちろん、多くのボランティアの存在もあって続いているコンクール、アートの文化が大きく育ったのです。
他の地域のイベント・団体・コンクールにも話が及びました。

・今は名称が変わってしまいましたが、有名な齊藤記念オーケストラはそのイベント開催・運営のためにつくした一個人がいる、その方がいてこそなのだそうです。
・沖縄では沖縄電力・沖縄タイムス(新聞社)・南城市が一体となって開催している新人演奏会オーディションがある。
・湯布院にも音楽祭があり、長期的展望に立って組織的に取り組んできた。
・アメリカのコンクールでは資金提供者の名前が出てこない。
・米IBMは発足当初から「利益の8%を社会還元(社業と関係ないところへ)する」という社是があり、日本IBMも同じ方針だという。

等々、音楽文化を育て高めるための組織や見返りを求めない支援者のことを伺いました。

話はかわって、藤原先生の所には同じサイズのヴィオラ・ダ・モーレが4台あるそうです。最初の楽器は神田カンパニーからはなしがあったとか。神田カンパニーというのは海野事件の会社だそうです。そういえば一時話題になりましたね、海野事件。その神田カンパニーでチェコからビオラを輸入したが開封してみたらヴィオラ・ダ・モーレだったということで藤原先生に話があり、購入することになったとか。いったいいくらだったんでしょうね。これを修理に出したことがきっかけで、その業者さんが作った別の楽器が引き取り手が亡くなって藤原先生の所に廻ってきたりと、不思議なご縁で手元に同じ楽器が4台になったとのこと。でも共鳴弦の響きの残り具合などそれぞれ個性がみんな違うのだそうです。2台の楽器を弾き比べていただきましたが、素人の私にはわかったようなわからないような、です。

話を聞いていて思ったことがありました。齊藤記念オーケストラのためにはたらいた人のことを伺っては、山形のFさんのこと。分離唱の合唱に一生懸命なFさんのまわりはいつもハーモニーがあります。なんといってもすごいのは一緒に唱っている団体名にFさんの名前がついてしまったこと。決して指導者というわけではないFさんへの団員の方々の信頼の厚さはすごいなと。

来月の音楽談義は16日、お盆の時で残念ながら我が家は参加できそうもありません。次回は2ヶ月後か~(泣)。

13th音楽談義2

向田理髪店

向田理髪店向田理髪店
奥田英朗
光文社

 舞台は北海道のある町、かつては炭坑の町としてにぎわったが財政破綻の町。そんな町で理髪店を営む50歳代の男性が主人公。

 人口が減り理髪店の客も限られる。先行き不安のなか札幌で働いていた長男が理髪店を継ぐと言って戻り、若者達で地域を盛り上げるというが素直に喜べない。この仕事ならではの人と人との交流があり、地域やその家庭の課題にかかわっていく。問題がスッキリと解決するわけではないが、描かれている人の関わりが温かです。最後は若者達の考えにこのまちの未来も捨てたものではないなと思えてくる、そんなお話しでした。

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夏の夜の夢・あらし

夏の夜の夢

夏の夜の夢・あらし
シェイクスピア
福田恆存 訳
新潮文庫

若者たちがシェークスピアの「夏の夜の夢」で読書会をすると聞き、それならばと久しぶりに借りて読みました。妖精の魔法の為に恋愛関係が複雑に、でも最後はハッピーエンド、おもしろい戯曲でした。一つ気づいたのは、一人だけ最後まで魔法が解けずにこれで全てが丸く収まったこと。ま、終わりよければいいのかな。
続けて収録されていた「あらし」はじめて読んだ作品です。弟に王位を奪われて孤島に追われたミラノ公が復習?とリア王を思わせるような設定。最後は寛大な心でうまく収まる内容でした。

しばらく前、以前よく読んだ水上勉の本が図書館の図書整理のため手に入ったのですが、久しぶりに読んでみると以前のようには入り込めないんですよね。こうして時代が変わり、多くの作家は読まれなくなっていくのでしょうか。シェークスピアもかつては何作も読んだのですが、「今読んでも同じように楽しめるものかどうか?」との思いが不安もありました。でも久しぶりに楽しんだ古典でした。

日本人の耳をひらく

日本人の耳をひらく日本人の耳をひらく
聴覚がもっている不思議な力
傳田文夫
祥伝社

 ネットで「耳をひらく」というキーワードで検索するとこの本の名前がヒットします。長いことそれを見ていたのですが、我々の間で使われた「耳をひらく」という言葉とは関係がなさそうだと深入りせずにいました。ところが先日知り合いからこの本をいただきましたので早速読んでみました。

我々の生活は騒音・雑音があふれている。それを無意識に聞いているが、改めないと・・・・といったことがわかりやすくていねいに説明されていました。それから日本語特有のリズムが日本人の音楽やらスポーツやらいろいろなところに影響を及ぼしていることも、この本の中の大きなテーマでした。でも文中に「耳をひらく」ということばが登場するわけではありません。どうやら「耳をひらく」ということばが著書の内容をうまく表す表題として使われたようです。

書かれている内容はなるほどなるほどと頷けることばかりです。でも私達にとって音楽する上で特別な意味合いをもっている「耳をひらく」ということばが全く違う理性的なところで使われているようで、どうしても違和感が残ってしまいます。

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「クロイツァーの肖像」

クロイツァーの肖像クロイツァーの肖像
日本の音楽界を育てたピアニスト
萩谷由喜子
ヤマハミュージックメディア

 甲府の大きな書店で見つけ、購入しました。私はかなりのクロイツァー・ファンですから、こういう本を見つけるとうれしくなってしまいます。表装も気に入りました。

ロシア革命、ドイツの戦争と歴史に翻弄され、ロシアからドイツの楽壇での活躍を経て日本に渡ってきたクロイツァー、でも日本でも十分な活躍の場を与えられたわけではないようです。さらにはドイツと同盟を結んでいた日本でのこと、ユダヤ系のクロイツァーには社会から隔離されるなど試練の時期があったそうです。でも戦後も日本に残って音楽界を育てたクロイツァー、日本を愛していたんでしょうね。

最終章はクロイツァー没後の豊子夫人のこと、この本の執筆のきっかけはクロイツァー夫妻の養女涼子さんの依頼によるとのこと、その依頼の中には「豊子夫人のことも書いて欲しい」ということもあったのだそうです。先日、知り合いから豊子夫人のCDを聞かせていただきました。「クロイツァーを尊敬し信頼してたんだろうな」と頭をよぎりました。

一読してみませんか?

光を失って心が見えた

光を失って心が見えた

光を失って心が見えた
全盲先生のメッセージ
新井淑則
金の星社

全盲の中学校教師が、発病から視力を失い、それでも仕事復帰を目指した自らの記録です。入退院を繰り返すと当然のように転勤を強いられ、視力を失ってしまうとこの仕事は無理と判断してしまう社会。仕事復帰の当初は職場での盲導犬の利用を禁じられたり、ハンディを持った人への社会の理不尽さを感じることは沢山あるようです。一方で支えてくれる多くの人がいたり、でも何よりも著者の心の強さに感心させられます。
終盤は著者から中学生へのメッセージが綴られているように感じました。

 

内から見る朝顔カーテン

アサガオ190いよいよ盛夏、部屋から見る朝顔カーテンです。曇りの日には少々暗いのですが、今日のように晴れると、涼しげでまた一段と嬉しい。


アサガオ190-2今日の開花は190輪。この朝顔カーテン、過去の経験では200輪超えが最多。今年もこれからわずかの期間が開花の最盛期です。花も下の方から咲き始め、上へ上へと移っていきます。こんなふうにカーテン全体に開花するのはわずかな期間です。