月別アーカイブ: 2007年2月

「バスのなかで」

 坂村真民さんの本を改めて引っ張り出して読んでいる。
念ずれば花ひらく「念ずれば花ひらく」柏樹社

 初版は昭和54年だが、私が持っているのは昭和57年発行の第6刷のものである。25年前に読んだ印象ももう忘れているのだが、今読み直すと文章がスッとはいってくる。この本の中の一つの詩を引用させていただく。

バスのなかで

   この地球は一万年後
どうなるかわからない
いや明日
どうなるかわからない
そのような思いで
こみ合うバスに乗っていると
一人の少女が
きれいな花を
自分より大事そうに
高々とさしあげて
乗り込んできた
その時わたしは思った
ああこれでよいのだ
たとい明日
この地球がどうなろうと
このような愛こそ
人の世の美しさなのに
たとえ核戦争で
この地球が破壊されようと
そのぎりぎりの時まで
こうした愛を失わずに行こうと
涙ぐましいまで清められるものを感じた
いい匂いを放つ真っ白い花であった

 今の環境のことなどを考えると、明るい展望はあまり見えない。

例えば「地球温暖化」、どう取り組むかが大きな課題になっているが、仮に取り組みがうまくいったとしても温室効果ガスのかなりの増加は避けられない。どこまでの増加で止められるかが問題なのだそうだ。対策がうまくすすんだとしても、今よりかなり温暖化が進んだ状態で止まるといういこと。うまくいかなければ・・・・。それなのにアメリカはそっぽを向いているし、日本だって先頃の国際会議で賞をもらっている。「化石賞」というこの賞は、温暖化防止に向けて最も後ろ向きな発言をした国に送られる不名誉な賞である。

けれど、この詩を読むとそんな憂鬱な心が吹き飛んでしまう。「人間、こんなきれいな心でいられたらなー」と思う。しかし、私にはこの光景を実際に見てもそこから感じ取ることができたかどうかは疑問である。しんみんさんの「翻訳」があって初めて、こんなきれいな心を感じ取ることができる。

こどもの広場(その2)

 「こどもの広場」では、雨水利用コーナーに来室した人たちに私たちおじさん(?)たちが代わる代わる説明にたった。私が説明したお客さんの中に、とりわけ今の食事情や農の事情に関心を持っておられる方がいた。
 私よりかなり若い方のように見受けたが、日本の食料の大半が中国をはじめとする多くの海外の国々から輸入されていることを憂い、日本の農のあり方にも強い疑問をもっていた。私の雨水利用の説明以上に熱く稲の不耕起栽培など自然農法的なことを語っておられた。自身が農を実践できる状況にはないらしいが、「ああ、こういう人がいるんだ」と感じ入ってしまった。

こどもの広場

雨水説明
私の所属するグループでは、ここ3年ほど雨水利用の啓発活動を行っています。今日、甲府市のボランティアセンターで行われた「こどもの広場」の催しでは雨水利用コーナーを設けて子どもたちにも見てもらいました。このコーナーの売りは何といっても、雨水利用モデルの展示です。家の設計を手がける会員の方が図面をひき、県産材を用い、大工さんに作ってもらったという本格的なものです。屋根には波ドタンををうちつけ、屋根上からシャワーで雨を降らせ、雨樋に集まった水を切れ目を入れた樋に差し込んだ金具で取りだしてプラスチック製のタンクに貯める。百聞は一見に如かずで、このモデルを見てもらいながら雨水利用を紹介した。こどもの広場は工作コーナーやおはなしコーナー、折り紙やコンサートなどこども向けのコーナーがたくさんある。そんな中で私たちのコーナーは入口から覗くとおじさん達がそろって「いらっしゃい」「どうぞ」なんてやさしく迎えてくれるのだが、残念ながら素通りしてしまうこどもも多かった(

無理もないか)。こどもよりむしろ一緒に来た大人や他のコーナーの人などが関心を寄せてくれ、熱心に聞いて材料の入手希望をしていく人もいました。

害虫とは

     自然農法を始めました「自然農法を始めました」
村田知章 著
東京書籍

 この本を図書館で見つけたので、借りてきて読み始めた。まだわずかしか読んでないのだが、畑の中に多様な生物がいることの必要性が実に明快に書かれている。

 せっかく苦労して育てた作物の葉を食い荒らしてしまう害虫の憎たらしいこと。しかし、そもそも虫という虫を駆逐してしまうように散布される農薬により不自然に単一作物だけが生育している、それが畑の姿だそうです。この畑に害虫が発生すると天敵がいないので、大発生する。そして害虫による食害がはじまる。自然農法の畑では、多様な生物が生息しているので害虫の天敵ももちろんいる。だから作物を食べる害虫は、いないわけではないけれど大発生して作物が害虫にやられてしまうこともない。おおよそこんな内容だった。そして、

    このように考えると、「害虫」とはこの天敵がいなくなってその増殖に
歯止めがかからなくなった虫たちであるともいえると思います。

と書かれている。地球上の自然を食いつぶして繁栄している私たち、私たち人類にどうやら天敵はいない。地球という大きな視点で見れば、「天敵がいなくなってその増殖に歯止めがかからなくなった虫たち」ですね。

人類こそこの害虫の最たるものだなー!

オーケストラの少女

 ストコフスキーのハンガリー狂詩曲といえば、映画「オーケストラの少女」も話題にしたいですね。失業音楽家達を何とかしようとヒロインが駆けずりまわり、ストコフスキーに会いにいって説得する。「理由はこれです!」と誘い出しストコフスキーが自室から廊下に出るとこの曲がなり始める、階段には失業音楽家達がずらりと並んでストコフスキーを見上げて演奏している。やがてストコフスキーの手が動き出して指揮がはじまる、という感動的なフィナーレでした。ストコフスキーの演技は大根でしたが、演奏はフィラデルフィアOrch.の演奏ですよね。この映画、ビデオにとっておいて何度も見たなー。映画の最初にはチャイコフスキーのSym #5の第4楽章も聴けるし、ハンガリー狂詩曲の前にはストコフスキー自らがピアノで「トッカータとフーガ」を弾いています。今はDVDも出ているようですね。モノクロ映画ですがおすすめですよ。

オーケストラの少女c
発売日 2007年1月25日
定価(税込) 1,800円
商品番号 UNPC-29083
発売元 ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン(株)

ハンガリー狂詩曲(その2)

 この演奏の私の印象を少し。 

 この演奏、日本盤の「華麗なるオーケストラ名演集」というタイトルがぴったりの演奏です。「華麗なる・・・・」という表現はどこから来るのか。世間ではストコフスキーをオーケストレーションを派手派手にした人のように言われていますが、この人の響きは特別ですよ。この人の音のひろがり響きのひろがりが何ともいえません。ストコフスキーを聴くのなら、私のおすすめの1枚(もちろん他にもありますが)です。この曲以外もみんな素晴らしいですよ。「クラシック」なんて肩を張らずに楽しんで聴いて下さい。 

 今ではこの演奏のCDが発売されています(以下の通り)。CDジャケットもこのジャケットと同じ写真(?)を使っていますね。 

    ハンガリー狂詩曲第2番~華麗なるオーケストラ名演集
        ■ 商品番号: BVCC-37449
        ■ 発売日: 2005/10/26
        ■ 価格: ¥2100(税込)
        ■ ALBUM


(5.5kCT)

ハンガリー狂詩曲

Rhapsodies
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わが家のダイニング兼リスニングルーム(?)の壁を飾るお気に入りのLPジャケットです。色紙用の額縁を買ってきて中身を取りだし、厚紙をLPジャケットサイズに切り抜いて枠とし、まわりには(本物の)壁紙を配置しました。たまにたまに入れるLPジャケットを交換しようと思っていたのですが、もう5年ほどこのLPを入れています(はじめから変わってない)。

これは、写真を少し加工してあって、遠目には写真だが近くでよく見ると写真ではありません。LPジャケットは30cm×30cmと大版で、各レコード会社がそのセンスを競ったのでしょうねきっと。CDでは同じ写真を使っても、小さいせいかどうもイマイチに感じてしまいます。こんなところでも、懐古趣味ではなくやっぱりLPはいいですね。

この写真はもちろん私の好きなレオポルド・ストコフスキー、この人の若い頃は俳優にしてもいいような美青年ですが、この写真では顔にも年輪がにじみ出ています。 ついでに中身も紹介しましょう。

 

STOKOWSKI
Rhapsodies
Liszt HUNGARIAN RHAPSODY No.2
Enesco ROUMANIAN RHAPSODY No.1
Smetana THE MOLDAU/”THE BATERED BRIDE” OVERTURE
中でもハンガリー狂詩曲が有名なのではないでしょうか。ストコフスキーによるこの曲の録音はSP時代もフィラデルフィア・オーケストラで3回、全米青年Orch.で1回、モノラルLP時代に1回、そしてステレオLP時代のRCA交響楽団と6回の録音があります。私はフィラデルフィア時代のストコフスキーが最も好きですが、このステレオ録音も捨てがたいですね。

枯露柿

 渋柿の皮をむいて寒風の中を干し甘く縮まった「枯露柿(ころがき)」、皆さん好きですか?地方によっては「干し柿」とかいうのだろうが、私たちの地方ではもっぱら「つるしんぼ」と呼んでいた。渋柿を収穫すると家族で皮をむき、簡単なワラ縄で10個連ねて軒先に並べて吊す、私たちの地方のかつてのありふれた風景だった。「つるしんぼ」は黒くてかちかちに固くなり、歯で引き裂きながら食べるようなものだった。


 山梨は枯露柿のなかなかの産地である。出荷もしているような地域では柿も消毒しただろうし、剥いた柿を「硫黄薫蒸」もしたはずだ。わが家でも昔一度、この硫黄薫蒸をしたことがある。そうすると、通常なら串を通した柿の切れ目から白いカビが発生するのだが、この年ばかりは全くカビが発生しなかった。しかも真っ黒になってしまうはずの枯露柿の色はきれいな飴色、「売っている枯露柿はこうやって作るのか」と妙に感心した記憶がある。


 今でもパック詰めした枯露柿をいただくことがある。たしかにきれいな飴色をしているのだが、黄色みがかったこの色に異様さを感じる。味も一味落ちると思う。硫黄という物質、燃えれば二酸化硫黄で、三宅島の全島避難の原因となったあの物質である。だから、「硫黄薫蒸をしていいわけがない」と今では思っている。(売っている枯露柿に硫黄薫蒸は禁止されているのだろうか?)
 
 枯露柿の中でも高級品は大粒の「百目(ひゃくめ)柿」でつくったものだった。家内の実家にはこの百目柿の木があり、ひときわ大粒の実がなる。わが家では毎年のようにこの柿をいただき、枯露柿をつくって食べている。一昨年は特に豊作で、たっぷりと柿をいただき、たっぷりとこの味を堪能した。敷地の隅に立っていて特に消毒をするわけでもない、肥料をやるわけでもない柿は、今まであまり意識してこなかったがまさに貴重な自然食品である。しかしこの冬は昨年の柿の異常な不作のため、わが家での枯露柿づくりはできなかった(残念!)。そしてわずかに収穫してできた貴重な枯露柿を義母からいただくと、本当にうれしい。小さく切ってよく味わいながら食べている。

坂村真民さん

 つい最近、友人からいただいた文章のコピーで坂村真民さんが昨年12月に亡くなったことを知った。私は詩を十分味わうことのできる人間ではないが、「仏教詩人」と自称していた真民さんの詩には独特の味わいがを感じる。
 
 そういえばもう20年近く前だろうか、九州に出張した折りにたまたま愛媛の方と一緒になった。「愛媛といえば、福岡正信さんがいますよね。」、「坂村真民さんがいますよね。」と話しかけたところ、「あなた変わってるねー。愛媛といえば普通、夏目漱石・森鴎外だよ。」なんていわれたことがある。
 子どもが小さい頃、親しい方からあるお寺で経営している保育園をすすめられたが、この寺の門脇には真民さんの詩が掲示されていた。ラジオで語っているのを聞いたこともあった。

 「坂村真民一日一言」という本が出版されたそうだ。その一年の締めくくり12月31日の言葉がいただいた文章の最後に紹介されていた。

    よい本を読め
    よい本を読んで己れを作れ
    心に美しい火を燃やし
    人生は尊かったと叫ばしめよ