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ねぎぼうず

ねぎぼうず
庭先に植えたネギにねぎぼうずがついています。ねぎぼうずと言えばかつて唱った合唱の「ねぎぼうず」を思い出します。

ねぎぼうず

                 西條 八十 作詞
山田 耕筰 作曲
佐々木基之 編曲

  旅人が旅人が
下田街道の真ん中を
ひとり泣き泣き通った
何と泣いて通った
山越えて海越えて
やっと戻ったふるさとの
寺の擬宝珠(ぎぼし)が見えるとて
三度笠とり駆け寄れば
畑に生えたねぎぼうず
それが悲しいと 泣いて通った

 三度笠とはまた古いな、時代劇の世界だなと思うのですが、それにしてもなんと日本の情緒を感じさせる曲かなと思います。こんなふうに写真に撮ったねぎぼうずからはそういった情緒は感じられません。撮る人の腕の問題でしょうか。

再度、「自然農に生きる人たち」から

 もう一度、この本の中のことばを紹介します。
     「芽さえ出れば育ちます。石はまったく問題にならないわね。」
 これは、高知の山下幸一・雨宮とも子さんのところに登場した文章。

     もし収穫できなかったときはどうするのかと、失礼な質問をしてみた。
    沖津さんは「そんなことはありえない。」と即答する。自然界で作物が育
    たなかったら、生物が生きていけないのと同じ。「地球の終わり」とまで
    言って笑う。
     「・・・・自然界のことわりに添えばできる。添わなければできない。簡単
    な事なんです。」
 これは、徳島の沖津一陽さんのところの文章です。

 自然農で作物ができるできないかが、入り口に立っている人にとっては大問題です。「自然農といっても土地が悪ければ・・・・」とか「寒いところでは・・・・」とか考えてしまうのではないでしょうか。しかし、自然農に生きる人たちは皆さんこうなのでしょうかね。心が定まってゆるがないことばに驚いてしまいます。
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「自然農に生きる人たち」から

 写真集「自然農に生きる人たち」の中に登場する文章を、さらにいくつか紹介します。
    「命の営みにひたすら沿う自然農は、この世界に何ら問題を招かず、
   永続可能な農のあり方なのです。これからは『何かしないといけない』
   という考え方はいりません。余計なことをしないことが大切です。環境
   問題にしても、問題を解決するのではなくて、問題を招かない生き方を
   することです。」
 これは川口先生の写真のあとに続く紹介文の中に登場する先生のことばです。今、地球温暖化が叫ばれ、いよいよ京都議定書で掲げた二酸化炭素削減値を達成すべき年を迎えました。最近話題になるのは「排出権取引」、このほか削減に向けたいくつかの名案(?)があるようです。技術開発で環境問題を解決しようというような考えもよく見受けられますね。しかし、本当に環境のことを考えるなら私たちのあり方そのものを考え直す必要に迫られている、そんなメッセージに感じます。

「自然農に生きる人たち」

 この春出版された本を紹介され、早速購入しました。そして少々時間はかかりましたが、今日読み終えました。
自然農に生きる人たち写真集 自然農に生きる人たち
-耕さなくてもいいんだよ-
写真・文 新井由己
自然食通信社

 余談ですが、そう言えば三十年近く前、「自然食通信」という雑誌がありました。隔月刊だったかな。その頃、我が家ではこの雑誌を購入していたのです。購入した本を手にして、我が家では思わずそんなところに会話がいきました。

さて、この本の内容です。全国の自然農を実践している人を訪ねて取材し、写真とともに紹介しているのです。巻頭を飾るのは川口由一先生の写真と文章、それから赤目自然農塾。更に更にと全国36カ所の自然農実践者・実践の場を紹介しているのです。そして山梨からは4人の実践者が紹介されているのです(私が自慢することでもないですね)。

写真集ですから、一人一人の紹介文は決して多くはありません。しかし至る所に「ウーン」とうなってしまうような文章に出会います。そこで、この本で出会った印象的な文章を紹介したいと思います。

まずは、著者が川口先生について書いている文章。

    ・・・・周囲の農家から苦情を言われた。雑草の種が飛んでくるし、害虫
が大発生するから、ちゃんと草と刈ってくれ。そう言われても川口さんは
反論しないで「すみません。考えときますぅ」と柔らかな奈良弁で答えて
きた。

 このことばに著者は「この人は本物だな」と思ったそうです。私も、この柔らかな言葉の中に強い信念、人としての強さを感じてしまいます。

サツマイモ

庭にサツマイモを5本植えました。2年前に2本だけ植えてなかなかの収穫がありました。繁ってきたときのサツマイモの葉の緑もなかなかよいものです。我が家の庭の土はこれまで何度も熊手で小石を掃き取ってその都度「きれいになったな」と思うのですが、ちょっと掘ると小石だらけです。残念ながら植物を育てるのには良い土とはいえません。そんな露出した土を緑で覆い隠して、夏いくらかでも涼しくならないかと思い、植えたのです。おまけに芋がなって胃袋も満たしてくれるなんて最高じゃないですか。

サツマイモ
一時は葉が無くなってしまったかのようになりましたが、その後もりかえして葉もしっかり増えてきました。「家壁は緑のカーテン、庭は緑のじゅうたん」をもくろんでいます。

今年もはじめました、緑のカーテン

緑のカーテンに向け、ことしもすすんでいます。1年目はゴーヤーで、2年目からは朝顔で、そして今年は4年目です。

今までさほど世間の関心が無かったように思うのですが、今年は「緑のカーテンプロジェクト」なんて言葉をよく聞きます。甲府市では市民を対象にこの講習会が開かれ、ゴーヤーの苗も参加者に無料配布されたそうです。また、小学校等では学校をあげて緑のカーテンプロジェクトに取り組んでいるようなニュースも流れます。これも京都議定書の拘束年が始まったためでしょうか。そんな世間の様子をうかがいながら、一足先(?)の我が家の「雨水利用と緑のカーテン」にニンマリとしている私です(私が世間知らずだっただけのことでしょうか)。

我が家で今作っている朝顔は濃い色で大きな花を次々と咲かせて実も結び、たくさんの種がこぼれているはずなのですが、種から次の世代の芽が出てくる様子はさっぱりです。どうやらこの朝顔は株(根)で育てるしかないようなのです。2年目に3株植えた朝顔は3年目には1株しか残りませんでした。その1株がよく繁った昨年、太い茎は十分寒くなるまで残して少しでも株に栄養が戻るようにと考えました。その甲斐あってか、今年はこの株から出てくる芽は今までになく元気なようです。

緑のカーテン1
朝顔の蔓は同じ株でありながら自身の力でどんどんとネットに絡まって伸びていくものと、人間の手で絡めて手助けしてあげなければならないものがあるようです。昨年までの出てくる蔓の大半は手助けが必要でした。ところがどういう訳か、今年はたくさんの蔓を出しているのですがそのほとんどが自分の力でネットに絡まって伸びてくれています。どういう訳なんでしょうかね?

我が家の「緑のカーテンプロジェクト」、今年は今のところ至極順調です。

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大豆

昨年はじめて自然農学びの会に見学に行くようになり大豆を植えてみたのですが、収穫は1回だけ枝豆を食べただけに終わりました。雑草に負けてしまったのでしょうか、残念でした。間借りをしている畑で一緒になった方にそんな話をしたところ、やはり同じような経験をしているようです。普通に市販している種ではこの農法には合わないのではないかというような事でした。
大豆
そして今年、この方が育て収穫した大豆を「どうぞお使いください」との連絡をいただきました。ごらんの通り今のところしっかり芽を出し、雑草の中でも元気に育ちはじめています。今年はたっぷり自然農の枝豆が楽しめるかも知れません。ありがとうございました。

ポピー

度々車で通る道路沿いに、一面真っ赤に染まった畑があります。いつも車で通りすぎる頃になって「おおーっ」と思うのですが、今回は写真に撮ろうと予め考えて出かけました。

ポピー
道路脇に駐車して、道路から一段高い畑へと脇道をのぼって写真に納めました。車で通りすぎるだけでは一面赤にしか見えないのですが、その場に立ってみるとピンクあり黄色あり白ありと色とりどりです。ここの地主さん、「休耕畑で雑草が生えてしまうのなら思い切って花畑にしてしまおう」と考えたのでしょうね、きっと。このところずっとドライバーの目を楽しませてくれているのですが、どうやらこの花の時期ももう終わりが近づいているようです。そんなわけで今回はアップの写真はなしです。

文化祭

今年も地区の文化祭がありました。自治会の文化協会委員の任期は2年、今日のおつとめで任期のゴールも見えてきました。

会場は町の体育館です。文化祭は12:30から3時間ほどの催しですが、私たちは朝8:30に集合し、シートを敷いて椅子を並べたり、展示物用のボードを組み立てたり、展示を少し手伝ったりして本番を迎えました。

文化祭-合唱
今年のオープニングはコーラスでした。私たちの町の四季の歌(こんな歌があることを知りませんでした)、「桜貝の唄」、「村の娘」、「夜明けの歌」の4曲、いずれもピアノ伴奏付きです。
合唱を聴いているといろいろなことを考えます。合唱人口自体が少ないのに、こうして小さな地域での合唱活動に賞賛の気持ちがわいてきます。また、このステージを見ていると男性の合唱人口は極端に少ないことにも思いがいってしまいます。いずれの曲も二部合唱のようでした。二部合唱って和音の中に自分の音がはまっていく感覚が持てませんよね。かつて私たちが経験してきた合唱が、非常に恵まれた環境であったことを改めて思います。

展示コーナーは若干縮小気味でした。しかしその内容は写真・絵画・書・俳句・手芸・華道・古文書と盛りだくさんでした。そうそう、抹茶をいただいたことも忘れてはいけません。

文化祭-手芸
手芸コーナーにはこんなものもありました。布製のふくろうたちです。木の枝にとまって、なかなか可愛くていいですね。

文化祭-合奏
ステージの最後を飾ったのは子どもたちの楽器演奏でした。一人の男の子が指揮をして、電子楽器と打楽器の合奏でした。最近はリズムも自分で取ってくれる電子楽器が普及して、音楽を手軽に楽しめるようですが・・・・。小学生も高学年になるとスポーツクラブにとられてしまうので、いつまでたっても低学年の子たちだけでやらなければならないのだそうです。

今年は最後まで客席が寂しくなることもなく、昨年その辺のところを心配した会長さんの発言で良い方向に動いてきたのかも知れません。

麦秋

今年も「自然農学びの会」にできる参加してみようと思っているのですが、4月以来なかなか思うように都合が合いません。今回はやっとはじめから見ることができたのですが、しかし途中までで帰らなければなりませんでした。

麦秋1
会が行われる自然農の田圃は今、麦が稔っています。向こうに見える在来農法の田圃ではもう田植えが終わり、植えた苗が青んで来ていますが、自然農の田圃はまだこれから麦の収穫、そして田植えとかなり遅めです。米が秋に稔るように麦が稔るこの季節を「麦秋」と言うのだそうですね、知りませんでした。今では通常の農法で麦作を行っている田はわずかですが、そう言った田圃も道路沿いで見かけます。一面麦できれいな光景ですが、自然農の麦畑はやはり草の中から麦が伸びて穂を出しています。こういった光景は「きれい」というより「たくましい」といった方がよいですね。

麦秋2
稲の苗間はオケラに大分苗を食べられたそうです。苗を食べるのだから米のにおいが好きなのだろうと考え、苗間にふすまを溶いた水をまいたところ、しばらくしてオケラが次々と土の中から出てきたので、拾い集めて退治できたそうです。おかげで「オケラ対策も発見できました」なんて三井さんはおっしゃっていました。長年自然農法を実践してきた方でもまた、毎年毎年が試行錯誤なんですね。集めたオケラは自宅のにわとりの胃袋におさまったそうです。

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