月別アーカイブ: 2006年3月

夏合宿 その3

 先生の話されることは、音楽ばかりではなかった。「食」についても非常に強い関心をもっておられ、玄米菜食を実践しているはなしを聞いたのも印象的である。タンポポが食べられることも初めて知った。玄関やトイレの履き物を履きやすい向きにそろえておくことを求められ、洗面時に水道水を出し放しにしていると怒られた。高度成長期に科学万能のような考えや民主的な教育で育った私達に、突然従来からあった日本の文化を突きつけられたようなものだったが、それについて抵抗感を抱いた人はいなかったように思う。ただし、「男性はみな坊主頭」という先生の理想(?)に従う人は誰もいなかった(笑)。

水芭蕉

 毎日新聞の地方版に、県内の盆地から少し山間にはいったところにある公園の水芭蕉が見頃だと紹介されたので行ってみた。自然に湧水があり巨木が茂っている公園に、小さな人工的な滝をつくり、その下流のせせらぎの水辺に水芭蕉が植えられている。はじめてみる水芭蕉だ。この町が姉妹提携している新潟の町から数株送られてきたものを植えて増えたのだという。この新潟の町でも湧水が水芭蕉を育てているそうだ。湧水のきれいな水か、変わらぬ水温が水芭蕉にはいいのだろうか。可憐な花というには少々大きすぎるが、これも春を告げる花なのだろう。

夏合宿 その2

 この合宿、先生ははじめから(だったと思う)指導してくださり、このときも次々と新しい曲を譜読みしてはレパートリーを増やしていったように思う。朝から夕方まで先生の指導を受けるのだから、感じることも多かった。詳しいことは覚えていないのだが、この合宿で何か開けてきたような明るい印象を持っている。何の疑問も持たず先生の音感合唱に向かって突き進んだこの時は、私の学生時代の記憶の貴重な1ページだ。夜は班別のミーティングのようなものがあったが、先生は各班にまわってこられて話に加わってくれた。このとき、「今回の休みほど合唱が恋しいと思ったことはない」というようなことを言ったところ先生が突然「何でそういう気持ちを手紙でくれないんだ」と厳しい口調で言われた。そういう便りを待っていてくれ、また便りを非常に喜んでくれた。先生に心を寄せれば、またやさしい心を返してくれる、そんな先生だった。しかし私にはそういう便りを送るような心は育っていなかった。今思うと残念なことである。

同じ希望を持った人

 団地の中で自治会の清掃活動がある。この折り、下水道への接続が話題になる。このとき浄化槽を雨水水槽に転用したいという人も現れた。また、団地内のMさんはすでにそうした、浄化槽管理業者に依頼して工事をしたという。内容はろ材の撤去と浄化槽の洗浄。構造的には手をつけず(隔壁に穴を空けず)、水中ポンプを購入しておいて、散水時には水中ポンプを投入して水をくみ上げ利用する。散水が終わったらポンプを引き上げて保管するとのこと。この人からは、「浄化槽をつぶしたらもったいないよ。」と雨水槽への転用をすすめられた。もう一人、Aさんも雨水槽への転用を考えており、かなりその意志を固めている。同じ気持ちの人がいるのは心強い。

夏合宿

 大学の夏休みは長い。当時は7月11日から9月10日までの丸々2ヶ月間だった。毎日唱っていた私たちも、夏休みが始まると練習がなくなり9月1日の合宿までは我慢となる。この年の夏休みはいつにもなく合唱が恋しくなった。
 その合宿、先生も家族をともなって私たちと同じお寺に寝泊まりした。残暑の厳しい時期だが、ここは河口湖畔の気候もだいぶ涼しいよい環境であった。食事は自炊である、班別に炊事当番が決まっていてメニューや材料などは事前に準備しておき、時間になるとその(男女混成の)班は練習を抜け出して食事の準備にかかる。こんなことも我々にとっては楽しいことであったが、炊事当番が練習の途中で抜けることについて先生は大変嘆いておられた。

またおうひまで

神ともにいまして
 讃美歌は佐々木先生の指導を受けるようになった私たちの合唱団のレパートリーであった。やさしくてハモリやすく美しい曲がいっぱいある。これらの曲は先生がみえるようになってから覚えたものだ。ただし1曲だけそれ以前から団の愛唱歌に入っていた曲がある。「神ともにいまして」だ。「讃美歌の最後はゆっくり伸ばしてハーモニーを感じる」そんな歌い方を当たり前のようにしていたのだが、先生の「神ともにいまして」は最後をスタッカート気味にしてサッと終わる。そんなところにも先生の音楽に新鮮な感動(すこし大げさか)があった。
 この曲の中に「また会う日まで」という歌詞がある。それまで「またあうひまで」と唱っていたが、先生は「またおうひまで」と唱いなさいという指示だった。現代の教育を受けた私たちにとってはどう考えても「またあうひまで」なのだが、先生の音楽では「またおうひまで」なのだ。そしてそれを当時の私たちはそのまま受け入れた。このあたりからも、団員の先生への信頼の度合いがわかってもらえるのではないか。もう音楽的には、先生は絶対的存在だった。

青空の下で

 狭いキャンパスから歩いて30分ほどで登ることができる、「○○山こどもの国」の公園があった。その一角には野外ステージのようなところがあり、街を見下ろすことができる場所だった。土曜の練習の後、「これからみんなで行こう。」ということになることがある。山の上にのぼって見晴らしのよいところで、あるいは歩きながら、愛唱歌集や日本の歌・童謡などをうたった。練習と違う開放感と青空の下で唱った合唱はまた思い出深い。今ではこの場所はグロテスクな県立科学館が建ってしまい、当時の面影はほとんどなくなってしまった。

雨水利用講演会

 2004.9.4「雨を活かす~ためることから始める」との演題で、雨水利用を進める全国市民の会事務局長:村瀬 誠 氏の講演を聞いた。雨水利用についての考えやこの会の活躍など多くの話を聞き、またたくさんの資料をいただくことができた。また、講演の後パネルディスカッションがあり、県内でも多くの先進的な方がいることを知ることができた。このとき購入した
「やってみよう雨水利用」グループ・レインドロップス編 北斗出版
はなかなか読みやすく、後でも役立った。
 また、この講演会の後知り合いのOさんからそのことに詳しいAさんを紹介していただいた。

ピアノ

 先生の練習にはよくピアノのお弟子さんが一緒にみえた。そして練習の合間にお弟子さんのピアノを聞かせてくれた。3音くらいを与えて即興的に弾くように指示され、お弟子さんは何度かその3つの音を順繰りに弾いていてそのうちに即興曲に変わっていく、そんな場面がたびたびあった。私はこのようなことがすごいことなのかどうかも知らずに聴いていた。もちろん有名なピアノ曲(私はピアノ曲は知らなかったが)もよく聴かせてくれた。そのお弟子さんたちの演奏がどうなのかもさっぱりわからなかった。私はピアノが好きではないなと、その頃は思っていた。
 そんな中で、先生がピアノを弾いてくれたことがある。たしか、山田耕筰の日本の歌曲の伴奏を弾いてくれたのだと思う。先生のピアノはすごい、私にとっては感性に直接響いてくる魂の固まりのようなピアノだった。録音でもいいから聴いてみたいと思うのだが、先生のピアノ録音が残っているという話は聞かない。

見学

グループの中には雨水利用を取り入れた設計を仕事の中で行っている人もいる。2004年8月、グループで、はじめから雨水利用を考えてつくった家屋を見学させていただいた。家主は不在で、家の中まで見ることはできなかったが、設計者さんの説明での見学である。この家庭では庭の散水、洗車ばかりでなく、水洗トイレの水まで雨水を利用しているという。そのためには雨水だけでは量が不足することが予想され、風呂の浴槽の排水は雨水水槽に流れ込む構造にしてあるという。ただし、この家庭では浴槽には石けん洗剤を流し込まないように注意していると言うことだ。雨水水槽は地下に水槽を埋め込み、水槽の手前にはゴミを採るための小さな槽が設けてある。このなかにはプラスチック製のバスケットが取り付けてあり、これで濾しとったゴミはバスケットごと取り出して外へ捨てる。水槽の水位は長い棒を挿入してどこまで濡れるかを見るものだった。また、庭には雨水の蛇口があり、「飲めない」旨の表示が下げてあった。建築時からこのような思想を取り入れると、雨水利用も徹底している。私も「自宅を造るとき知っていれば」と残念な気がした。