都民の胸うつ歌声

光も贈るみちのく合唱団
都民の胸うつ歌声
山形南高OB 団十年記念の発表会

山形市の山形南高OB合唱団の十周年記念“合唱の夕べ”が十一日午後六時三十分から東京神宮外苑日本青年館で開かれ、みちのく山形の美しい歌の調べが、つめかけた満員の聴衆の胸をうった。この夜、合唱に参加した団員は同市で電気器具店を経営している調所昂治さん(三十二)をはじめ上京した二十人と、在京してみちのく合唱団をつくっている十三人の計三十三人。学生服と背広姿で懸命に歌う団員の顔には十年の苦心のあとと、久しぶりにみんなそろって歌える喜びがあふれていた。そしてこの合唱会で読売新聞社光のプレゼント運動に心を動かされた指揮者の佐々木基之氏(東京都新宿区高田馬場)の発案で募金箱がまわされ、集まった基金が光を知らぬ人たちに寄せられた。

新聞写真S361213c得意の東北の歌で聴衆を魅了した山形の合唱団(上)と会場で協力を求める“光のプレゼント”簿木箱(下)円内は団員とともに募金を発案した指揮者佐々木基之氏

 

この合唱団が生まれたのは昭和二十六年三月。卒業式をひかえた田島義久さん(現在トヨタ自動車勤務)ら五人が「学生時代におぼえた合唱をいつまでも続けよう」と話し合ったのがきっかけ。その年の四月山形市で民間の合唱会があったとき佐々木氏が指揮者として招かれた。田島さんら五人もその合唱団に加わっていた。だが佐々木氏に認められたのはステージではなかった。合唱会を終わった五人が表へ出て、だれからともなく肩を組んでうたい始めた。通りかかった佐々木氏はそのハーモニーの美しさに聞き入った。
コンクールに出たこともない、みちのくのこの合唱団が成長するきっかけは、みちのくの町かどから出発したものだった。年を重ねるごとに団員は五人から二十人、毎週一回山形では母校に、東京では高田馬場の佐々木氏宅に団員は仕事や、学業の暇をみて集まってうたう。三十年にはしりごみする団員を佐々木氏がはげまして第一回の合唱会を日本青年館で開いた。
ズウズウ弁のいなかの青年の合唱会が成功するなどとは団員でさえも予想しなかった。しかし結果は逆だった。団員たちがいつも心がけていた“美しいハーモニー”が半信半疑で集まった人たちの心をとらえたのだ。いまでは名もない合唱団にかくれたファンも多い。山形で六回、東京では十年目で三度目の合唱会だった。

 

“光”の募金箱、会場を回る

団員と佐々木氏が読売新聞社の光のプレゼント運動を知ったのはこの合唱会の準備が進んでいるときだった。「ズウズウ弁のわたしたちが合唱の美しさを知った。目のみえない人が光を知ったのと同じではないか。」「十周年記念の合唱会で少なくともよい、全国の光を知らぬ人たちに光を」・・ 合唱会を主催した紫翠会(東横学園OG)の人たちが佐々木氏と団員の熱意に動かされ、休憩時間に募金箱を持って会場をまわった。
美しい合唱に動かされた人たちの募金は一万円を越えた。合唱団はさる十日にもニッポン放送で午後一時から四時まで三時間にわたって放送、全都に独特のハーモニーの美しさを印象づけた。しかし団員は「ステージや放送はにが手、だれからともなくうたいはじめ、みんなが声を合わせたときがいちばん美しい合唱ができます」という。
曲目も“百姓唄”“どじょっ子ふなっ子”など東北地方の歌が得意だ。発起者のひとり田島さんは「もちろんこれからもうたいづづけます。美しいハーモニーを生むことがわたしたちの楽しみですから、ちょうど目の見えぬ人に光が与えられたように」と語っている。