1週間たってしまいましたが、さらりと音楽談義の報告です。6月のモチーフは「自然リズム」。
今回は少し遅れてしまいました。多分先生の演奏があったと思うのですが、私たちが会場に入ったときにはもう談義の真っ最中。
「演奏するのに『力を抜け』と言われるけれど、むしろ「いつも力が抜けていて何時力を入れるか」という形でアドバイスすべきなのでは」
と藤原先生。
「普段リラックスしている状態をより深くしておくとよいのでは」
と、これは「ゆる体操」を教えている若者。
演奏会に送り出すとき、日本人は「頑張れよ」と声をかけるがアメリカとかでは「リラックス」と声をかけるとか。
こんな議論を聞いていると、私達の音楽体験に不可欠であった「聴く」「耳をひらく」という言葉が思い浮かびます。周囲の音が自然に聴こえてくる、ハーモニーの中で自然に唱えるというようなこと。本当は簡単なこと、でも「聴こう聴こう」と思ってもなかなか聴けない。少しずつ少しずつ「聴く」ということの理解がすすんでいったように思います。リラックスすることの難しさ奥深さが「聴く」ことと重なってきます。
指導は「褒めて伸ばす」というようなことも話題になりました。最初は「素晴らしい」と言ってあげて、それからいろいろと注文を。「結局、褒めてないんですけどね。」と藤原先生ならではの笑わせながらの展開です。そんな中から小澤征爾さんの「N響事件」なんてことにもはなしが及びました。
日本の音楽教育を受けてオーケストラに入って外国人と一緒に演奏してみると、自分が習ってきたことと全然違うものに気づく。しかし、違うんだけど何だかわからない。このあたりからリズムの話になりました。
・日本人はメトロノームが基準、欧米人は伸び縮みがある。
・日本人は音楽が理屈じゃないのに理屈をならって理屈に合わせようとする矛盾に陥っている。
・機械的リズムは行き着いたところではない。
・機械的じゃないと全部マチガイというような考え。
・欧米的なゆらぎを持っている人(とはいっても地球人ならみんな持っているはず)。
・音楽は時間芸術、美術は空間芸術。
・音楽の「時間の構図」は、美術の「空間の構図」に置き換えることが可能であろう。
・機械的なものから自然のリズム・昔から受け継がれているリズムに近づいていかないとならない。聴く人も自然のリズムがあるから共感できる。
・「こうじゃなくちゃ」というの全くない。
などなど、藤原先生の言葉でした。このようなお話の中に一貫して自然のリズムのこと、リズムのゆらぎのことが語られているようです。
はなしも盛り上がって今回は終了時間をかなりオーバー、そのため最後の先生の演奏はなし、残念! でも先生から語られる音楽の世界、興味深く充実した時間でした。
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