月別アーカイブ: 2008年2月

ポスター「米の作りすぎは、もったいない」

「米の作りすぎは、もったいない」、こんな表題のポスターを東北農政局が3万枚作成して配布したのに対し反発が出ている。そんな記事を昨日目にしました。記事の内容は以下の通りです。

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米もったいない
東北農政局が作った「米の作りすぎは、もったいない!」「米の過剰作付けは、資源のムダづかい」というポスターに対し、地元の農家が「一生懸命米作りをしている農家の誇りを逆なでしている」と激しく反発。東北6県の農家約6000戸でつくる東北農業農民団体連絡協議会が25日、同局に文書で抗議するとともにポスターの回収を求めた。

「米の生産調整」への理解を深めてもらおうと局内で文言などを検討し、3万枚作製。今月から東北地方の農協などに張り出された。「MOTTAINAI」という文言付きで、「麦・大豆等へ転作し、自給率を向上」「限られた水田を有効利用することが、国民共通の利益」などと呼び掛けている。

抗議文は「過剰なのは輸入米で、外米に血税をつぎ込むことこそムダづかい」と指摘。連絡協議会の佐藤長右衛門会長は「高齢化が進む農村では、米作りを続けることが心の支え。カラー印刷で3万枚作成する金があれば、もっと他の施策に使うべきだ」と話した。

同局は「米価下落で生産調整が緊急の課題。決意の表れとしてインパクトのある言葉を選んだ。誇りを傷つける意図はない」とし、ポスター撤去などの予定はないという。

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日本の食糧自給率は約40%、これは先進国の中でも際だって低い数字です。その中で米だけが自給率に関しては優等生、自給率95%、直接食べる米については100%だそうです。なおもいうなら米の消費が減少して米あまり傾向にあり、米の需給状況からいったら国は減反政策を進めなければならない状況にあるようです。輸入した米は直接私たちの口にはいることはなく、加工米になったり、貯蔵米、そして海外への食料援助になったりしているそうです。そこが「外米に血税をつぎ込むことこそムダづかい」といわれる所以でしょうが、だからといって税金を無駄に使って国が米農家をいじめているといいうわけでもなさそうです。国際的なおつきあいで米も輸入しなければならない、日本の米作りも守りたい、その狭間のぎりぎりの選択として今の輸入があるようです。

しかし、このように日本の農政が日本の米農家を守るために動いているのだとしても、今回のポスターはいただけません。「もったいない」はなかなかよい時の言葉ではありますが、「田んぼで米を作るのがもったいない」としてしまったら、田んぼの米作りが廃棄物と同列に扱われているようにも思えます。今はやりの言葉を使えばいいというものではない、米作りへの思いを察することのできない方が選んでしまったキャッチフレーズという気がしてなりません。(続く)

レインボー・コンサート

 今日は、前にもこのブログに登場した高校時代の先生の退職記念コンサートがありました。合唱に、吹奏楽に、オーケストラにと幅広く活動された先生は、慕って集まってくる教え子たちも様々です。今日のためにそれぞれ半年ほど練習を重ねてきての本番だったのです。
 プログラムは、
    第1部 チェロ独奏(先生による)
    第2部 吹奏楽合同演奏
    第3部 オーケストラ演奏
    第4部 合同合唱とオーケストラ演奏
司会者いわく、一つで4回楽しめるお得なコンサートだそうです。合同演奏・合同合唱とは、先生が赴任した各学校のOBが一緒になって演奏するということ。オーケストラについては、山梨では単独で存在する学校がほとんどありません。そこで各校から高校生が集まって高文連(高等学校文化連盟)オーケストラを結成し毎年演奏しているのですが、先生はその草創期から指導されてきたのだそうです。ここでのオケは、このようにしてオーケストラを経験した卒業生による若いオーケストラでした。
 演奏者・運営担当あわせて200人を超える人が集まってのコンサートだったのです。私の同級生は埼玉から駆けつけ、今日は「出演するの?」と問うと「聴くだけ」とのことでした。しかし男声不足から先生の鶴の一声で唱うことになり、第1部で着た先生のスーツ・ワイシャツ・ネクタイを借りての出演となってしまいました。
 私は舞台袖での録音係(要するにボタンを押すだけですが)でした。舞台裏というのは滅多に見られない光景です。開演を前にした緊張の高まりが肌で感じられ、演奏を控えている奏者たちが先生のチェロに耳を澄ませ、演奏が終わると舞台袖からも静かにではありますが一斉に拍手を送るのです。このあたりは多分通常の演奏会とは違う光景なのでしょうね。演奏とともにそんな舞台裏の雰囲気も楽しんだ一日でした。
 そして私のように風邪をひいていない多くのOBは、久しぶりに今も変わらぬ先生の指揮の下に唱い演奏することを楽しんだのです。

ブログ記念日

 今日は私のブログの2歳の誕生日です。
 ネタ不足で書けなくなることに怯えながら、何とか今も続いています。
 これからも私なりの自己表現をしていきたいと思うのですが、どうなるでしょうか。
 今後も是非おつきあいをお願いします。

オートマ車

 ブログで知りましたが、知人がマイカーを買い換えたそうです。新車から14年乗った車はマニュアル車で、買い換えもマニュアル車だそうです。そんなこだわりと苦労がブログに書かれています。
      http://isaokunn.at.webry.info/200802/article_3.html
 それにしても「絶滅危惧種」とはおもしろいことをいいますね。
 私も実はこの知人と同じ車種でしかもマニュアル車に乗っていたのです。マニュアルにもこだわりがあったのですが、リタイヤしてしまいました。そんな私の中の気持ちを1年以上前にちょっとだけ書いたのですが、ここにはアップせずに忘れていました。知人のこの文章から、私の当時の記録ものせてみることにします。
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 この夏、車を替えた。今までの車は14年半乗った。マニュアル車でエアコンもオートではなく、窓は人力で回して上下した。14年前の購入の折り、当時小学校低学年だった長男を連れてディーラーを見て歩いた。パワーウィンドーやリモートのドアロックなどに子どもは目を輝かせていたが、上記のように時代遅れともいえる車を購入した。今年の車種検討でまず驚いたのは、マニュアル車がカタログにほとんどないことだった。そして時代遅れな私もとうとう時の流れに逆らわずオートマ車に乗ることに決めた。
 今日、母を乗せていて急に言われた。
「もう、この車の運転にも慣れたかい?」
そう言えば、今回の乗り換えはほとんど違和感なく3ヵ月ほど過ぎた。「この車に十数年乗ってそののちマニュアル車に替えたらどうだろう。」、そんなことを運転しながら考えた。マニュアルからオートマへの転換はスムーズでも、その逆はきっとそうはいかない。スピードの変化とともに無意識に行ったギアチェンジなど長い年月で作り上げ身につけてきたマニュアル車の運転技能ははげ落ちて、また最初から身につけていかなければならないだろう。
    「こういう長い間に培ったものを簡単に捨ててしまっていいのだろうか」
そんな気持ちが心の中にわいてきた。機械はシンプルな仕組みが故障もなく長持ちする。このシンプルな仕組みを使いこなす技能を私たちは蓄えてきた。技術の進歩で複雑な仕組みも故障せず長持ちするようになったのかも知れない。機械が複雑になって、人間はシンプルでいられる。しかし、人間にとってこういう変化は「退化」なのかも知れない。
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(23.5k CT)

「きっぽし」考(その2)

 子どもの頃、きっぽしはサツマイモを蒸かして薄く切り、養蚕用のかごの上に並べて干していました。冬の寒い中長い間干しておくと、やがてこの芋が美味しそうにこうがふいて白くなっていきます。しかしそういう風に仕上がるまで子どもは待てないのです。毎日一つ食べては、空いた場所がわからないように残った芋を均等に並べ替えます。こうすると1日やそこいらでは減っていることはほとんどわからないのですが、毎日これをやっていると明らかに減っているのがわかります。白く美味しくなった頃にはすっかり量が減っていて、やがてそのきっぽしは食べ尽くされなくなってしまいます。
 こういう経験の中で思い返すと、私たちの意識の中にきっぽしの消費期限なんて考えられませんでした。事情が許すだけの量をつくり、それを食べてしまえば終わり。食べ残してしまうなんて考えられないことなのです。しかも、もし古くなってしまったらその品質は自分の目で見て、自分で触って、またにおいを嗅いで食べられるかどうか判断したことでしょう。消費期限なんていうように他人の判断に頼らなくても自分で判断できる、そんなものだったんですね。大量に作って販売する、そのためには包装もする。そうすると直接触ったりにおいを嗅いだりできません。だから他人の判断基準が必要になるのでしょうかね。だからといって必要以上に消費期限を短くする要求が出てくるのは、どう見てもおかしいですね。
 これも食品をつくる者と食べる者が離れてしまったことが原因なのかもしれませんね。

「きっぽし」考

しばらく前のNHKクローズアップ現代では食品の消費期限やその偽装問題を扱っていました。

私たちの地域では切り干し芋のことを「きっぽし」と呼びます。番組の中で紹介されたのですが、このきっぽしの返品が非常に多いのだそうです。返品されたものを新しいものと混ぜて再包装し出荷していたということからの切り込みでした。小売店から製造会社への返品があるわけですが、小売店(スーパーなど)からの要望は「消費期限をもっと短く」というものだそうです。メーカーではいろいろな条件を勘案して9ヶ月は安全、それを短めにして消費期限は6ヶ月と表示して出荷しているのだそうです。小売りからの要望はこの消費期限の「6ヶ月を3ヶ月にしろ」というものだそうです。そしてその理由は「きっぽしは日が経つと白くなってしまう、それを消費者が嫌うので」。
きっぽし2
我が家ではそれを聞いて思わず「エーッ!」といってしまいました。きっぽしというのは時間がたつと表面に白く粉がのってきます。私たちの地域ではこれを「こうがふく」といっていますが、こうがふいたきっぽしこそ「きっぽしらしいきっぽし」「おいしそうなきっぽし」だと思うのです。我が家では毎年母がきっぽしを作って私たちにもわけてくれます(写真)。白くこうがふいたきっぽしを長年食べ続けているのですが、今年もらい物のきっぽしがありました。それは全くこうのふいていないきっぽし、本場からお年寄りが取り寄せたものを我が家にもわけていただいたのですが、それを見て「全然こうがふいていないね。」と言っていました。輸入物に見られるように極端に真っ白になっているものも気持ち悪いのですが、まったくこうがふいていないきっぽしも異様に感じます。やはり程々にこうがのっていてほしいものです。この番組で初めて、こうのふいていないきっぽしが出回っていない理由がわかったのです。

食品偽装は嫌なニュースですが、この件のように本来あるべき姿のはずのこうがふいたきっぽしが返品されてくる。このことなどはメーカーにも同情を覚えてしまします。難しい問題ですね。
この件からは、私たちの祖先から長い年月培ってきた食文化が十分に伝わっていないことを思うのです。

雪景色

昨日の雪で、今朝は山梨も雪国です。積雪は20cm超、今日は早速に雪かきでした。

雪景色
我が家の周囲に広がる田んぼもごらんのようにみごとな雪景色です。

石宮2
分譲団地の一角に石塔等を集めたところがあります。その中の石造りのお宮様もこの通り雪をのせています。

どうだんの雪
我が家と違って庭が立派に整備された近所のお宅のドウダンツツジの生け垣も雪をのせました。山梨では雪の直後しか見られないシーンです。

「ペィチカ」

今日、NHK「みんなのうた」で山田耕筰の「ペィチカ」が流れていました。ペィチカはロシア風の暖炉のことで、この番組では暖炉で薪が燃えている映像を見せながら声楽家が独唱で歌っていました。声楽家が歌うこの曲はそれはそれでいいのでしょうが、私はこの曲を聞くと私たちが唱った「ペィチカ」がよみがえってきます。

増田順平さんの編曲したこの曲は「からたちの花」という増田さんの編曲集の中に納められています。もちろんア・カペラ曲で、

「ルンルンルンルン、ルンルンルンルン、・・・・」

と降ってくる雪を表現するこの編曲は最高です。唱っている私たちも、地上から空を見上げ軽くフワッとした雪が上空から次々と舞い降りてくる幻想的な世界を感じたものでした。

そんな合唱での「ペィチカ」、また味わいたいものです。

ヴェルニゲローデ少年少女合唱団の評価

 「ドイツ民謡集Ⅰ野ばら」の解説(ライナーノーツというべきなんでしょうか)にはこの演奏について以下のように書いています。
   ヴェルニゲローデ少年少女合唱団によるこの民謡集は・・・・。この民謡集
  が成功している要因として、まず挙げなければならないのは、合唱団に全
  曲を受け持たせて、独唱を部分的に抑えたため、音声上の響きが多様に
  なりダイナミックになっていること。そして少年合唱団特有の清楚で無私な
  歌声が、民謡の純粋な旋律の美しさを把え、曲本来の有する美をそのま
  まに伝えてくることである。その見事に訓練された歌声は聴くものの耳を
  驚かせ、指揮者の綿密な解釈をしてその豊かな表現力は、小さな曲さえ
  もなおざりにしない芸術家としての誠意すら感じさせるほどだ。民謡集は
  もちろんのこと、宗教曲などの録音が待たれてならない。
 なんだか難しい言葉の羅列になってしまっているようで、私にはその意味がさっぱりわかりません。私がいうとしたら、この合唱団がハモっていること、ハーモニーの響きが聞こえてくることなのですが、この文章をよんでそのようなことが伝わってこないのはなぜなのでしょうか。ウ~ン!

高校合唱同窓会

 同窓会に行ってきました。参加は9名、女声5名、男声は先生を含めて4名。ソプラノ2名・アルト3名、高校時代はバスだったHさんがテナーに転向し、代わりに先生がバスを一緒に歌ってくれて各2名、合唱をするのには理想的なバランスでした。音域の広い人はどこでも唱えてうらやましいですね。会話が中心ではありましたが、無事愛唱歌5曲を唱えて満足です。
(23.0k CT)