月別アーカイブ: 2006年9月

男声四重唱 その2

 山形から帰って4ヵ月ほどのち、私はこの気になっている男声四重唱のコピーをお願いしてみたところ快く引き受けていただいた。Fさんからは「おたのしみに」との返信がとどき、やがてその録音が送られてきた。CDにおさめられており、1971年4月4日の録音である。山形南高の(当時)若い卒業生6人が、母校の音楽室に集まり唱って楽しんだときの録音を、その少し年上の方がCDにして聴けるようにしたものだそうだ。こんなところからも、山形ではいろいろな形でハーモニーを楽しむ人のつながりがあることがうかがえる。わが家のオーディオにかけてみて、「これこれ」と嬉しくなった。混声ばかりで唱ってきた私たちにとってはうらやましいような男声のハーモニーである。曲の合間には山形弁の会話がところどころにはいり、自分たちでハーモニーを楽しんで唱っている様子も楽しく、まさに私のお気に入りの録音となった。

男声四重唱

 山形でFさんがさりげなく聞かせてくれた男声合唱の録音がある。1曲だけかけてすぐ終わってしまい、他の音楽やら話題を続けていたが、大変気になる録音だった。以前知り合いからすすめていただいたコーラスサンプルのCDを聞いていると、世の中にはきれいなハーモニーを実現している合唱があるものだと感心するのだが、どうも分離唱の合唱のような魅力を感じない。この原因の一つは「ことば」かなと思う。日本語で唱っている合唱、これが私にとっては大きなファクターのようだ。それからもう一つ、分離唱の洗礼をうけているハーモニーというのも大きなファクターなのかも知れない。Fさんもこの時、海外の美しいハーモニーの録音を聴かせてくれていたが、私はそれ以上にこの四重唱が心に残ってしまった。

ラジオ深夜便(続き)

 柳生さんの育ったのは茨城の田舎のようである。その風景が原風景として心に残っていて、それに通ずる環境で子どもを育てたい、そんな気持ちから八ヶ岳山麓に移り住んだとのことだった。そこで子どもを育て、やがてはお孫さんもここで育っているとのこと。お孫さん今では「かさこそ」遊びが大好きだという。林の中には落ち葉がつもり、その中を歩くとかさこそと音がする、落ち葉を掘れば腐葉土があり、その中にはたくさんの生命の営みがある。そんな林の中での散策や遊び、それを「かさこそ」遊びと名付けたらしい。こんなふうに孫を林の中に連れ出す柳生さんは、「センス・オブ・ワンダー」で甥を自然の中に連れだしたレイチェル・カーソンと全く同じではないか。柳生さんの話していることはまさに「センス・オブ・ワンダー」の世界ではないかと思ってしまった。

 「日本野鳥の会」の会長でもある柳生さんは、「鳥インフルエンザを媒介する可能性がないとは言えない」燕について、幼稚園につくったその巣を片っ端から壊してしまった人間のありようにも大きな怒りを表すなど、さまざまな話を本当に熱く語っていた。柳生さんの経営するお店が八ヶ岳山麓にある。一度言ってみたいとも思う。

ラジオ深夜便

 NHKラジオの「ラジオ深夜便」は23:20からはじまり、翌朝5:00までのながーい番組だ。この番組が9月22日夜「山梨発」で、山梨在住の人が何人も登場するとの情報を家内が仕入れてきた。特に家内が関心を持っていたのは甲州弁で語るおはなしのコーナーで、これを録音できないかということだった。少し頑張って午前様の時間まで起きていてラジオを聞いてわかったことは、お目当ての甲州弁の語りは2時代であるとのことだった。そこで一計、なんとか1:00まで起きていて寝室にMDラジカセを持ち込み、ここから74分MDをモノラルモードで録音すれば3時過ぎまでクリアーできる。小さな音量で聞きながら録音にセットし、横になった。あわよくば2時代の放送を聴けるのではないかと思っていたが、やはり眠ってしまった。ずっと鳴っていたラジオに夢うつつで少しずつ意識を取り戻したのは多分4時代半ばごろ、俳優・司会者等の肩書きで知られた北杜市在住の柳生博さんの講演の模様を放送しているときだった。

レイチェル・カーソン

 来年はレイチェル・カーソンの生誕百年にあたる。そのため、今年から来年にかけてさまざまな催しが計画されているそうだ。


 レイチェル・カーソンといえば何といってもその著書「沈黙の春」が有名だ。農薬や除草剤の使用に疑問を投げかけたこの著書は1962年に出版され、発売と同時にアメリカでは化学産業界を巻き込んだ議論になったという。しかし環境関係のバイブル的なこの本を、私は存在を知りながらもなかなか読まないでいた。そして数年前、町の図書館で同じレイチェル・カーソンの書いた「センス・オブ・ワンダー」を見つけ、借りてきて読んだ。六十数ページほどの短い本で、その中には多くの写真が散りばめられている。読み進めていくと「センス・オブ・ワンダー」という書名も理解できる。著者の自然の営みに対するみずみずしい感性に心洗われるような本だった。


 それならと、私は遠回りの末「沈黙の春」にたどりついた。緻密な情報収集により、農薬の害について説得力ある文章で訴えていた。


 


 新聞に、「日本語で読めるカーソンさんの著作」が出ていたので記載します。
     「沈黙の春」新潮社
     「われらをめぐる海」早川書房
     「センス・オブ・ワンダー」新潮社
     「失われた森」(遺稿集)集英社
     「潮風の下で」宝島社
     「海辺~生命のふるさと」平凡社
こんなに多くの著書があるのをこれまで知らないでいました。これを機に残りの本も手にしてみようかと思っています。

酸素カプセル

 早稲田実業の斎藤投手のおかげで、酸素カプセルが脚光を浴びている。今日もローカルニュースで取り上げていた。疲労回復が早く、気分爽快なものらしい。新陳代謝が早くなるとも言っていた。最近はカプセルも大きく閉塞感の少ないものが出てきたそうだ。


 まあ、高濃度の酸素を吸えば気分爽快なのは当然だ。かなり以前に小鳥を酸素中に放した映像を見たことがある。この小鳥は酸素の中を極端なほどに激しく飛び回り、やがては死んでしまった。こんなものを見ていると、酸素カプセルを一般の人が利用するという話しには考えさせられる。こういうものは特にその必要のある人(治療目的等)を除いては使うべきではないと思うのだがどうだろうか。新陳代謝が早くなると言うことは、老化も早くなるということはないのだろうか。使用料は50分間で3千数百円ということだったが、この酸素のためにどれだけのエネルギーを使い、どれだけの二酸化炭素を放出するのだろうか。人間の便利さや快適さのために環境を犠牲にする、この酸素カプセルの普及ももそんな人間の過ちがまた一つ追加されるということではないだろうか。

コスモス

 コスモスは生命力が強く、一度植えて花が終わると種がこぼれ、2年目からは次々と生えてくる。今年は生えてきたコスモスを2m四方くらいの範囲に移植して、余り丈が伸びないように頭を止めようと一度ははさみを入れた。しかしその後の成長もたくましく、あっという間に大きくなってしまった。花はなかなか可憐だが、木は茂りすぎて興ざめの感もある。来年はこんなに茂らせないようにしようと今年もまた思う。


 

カンテレ演奏会の録音

 山形ではすっかりFさんのお世話になり、山形を代表する名所の山寺・蔵王にも案内していただいた。Fさんの自家用車ではいつも合唱が流れている、つい最近山形で行ったというカンテレ演奏会の録音をくり返し聞かせていただいた。カンテレは1年前に山梨で聞いたのと同じ演奏者による演奏で、「森の音楽会」でカンテレを聴いたFさんたちが、山形でも演奏会をと依頼して実現したのだという。そしてカンテレのステージの間にはFさんたちの混声合唱のステージがあった。


 山形から帰ってまもなく、Fさんから録音が送られてきた。カンテレ演奏会の録音であったが、1年前に聞いたカンテレそのままのやさしい音色の演奏がじっくりと聴ける。会場は山形のかつての議事堂で「文翔館」といい、こうした音楽会等に利用されるらしい。小さな音色のカンテレがこのホールで十分響くか心配したそうだが、録音を聴く範囲ではその魅力は十分に伝わっているようだ。そしてカンテレのステージに挟まれた混声合唱は讃美歌2曲、「鳥の歌」、「おぼろ月夜」、「故郷をはなるる歌」。「鳥の歌」は私の母校の合唱団でも佐々木先生のもとで唱ったちょっとした大曲で、演奏会で聴いた覚えがあった。ここでは合唱団員は全員椅子に座って唱ったらしいが、この録音でもこの合唱団は本当にきれいな響きだった。

山形行きその2~混声合唱編

 酒田での仕事を終えた私は、再び山形市にあるFさんの山荘を訪問した。混声合唱の練習はここで開かれる。ここからは山形盆地が一望でき、中は一階にフロアーが広くとってあり、その片隅に木の色をそのまま生かしたアップライトピアノが置かれている。

 合唱のメンバーが集まってきたのは8時過ぎだろうか、やがて合唱が始まった。まず分離唱、それから私もなじみの深い讃美歌を次々と唱った。CDで聴いていたきれいなハーモニーがそこにある。先生の亡くなった今、このようにきれいなハーモニーを実現しているところをほとんど知らない。ハーモニー好きの私にとって、この合唱団の響きは本当に魅力的だ。近くにある合唱団なら即座に仲間に入れてもらうのだが・・・・。

緑のカーテン

 夏の強い陽射しを避けるため居間の前にネットを張り、3年前から「緑のカーテン」を試みている

 1年目はゴーヤー(苦瓜)で挑戦した。生命力が強く、糸の細いネットにも触手を伸ばしながらみごとに茂り、立派な「緑のカーテン」になった。しかし、たくさんついた実が熟すと黄色くなり、それが割れると真っ赤な種が顔を出す。この毒々しさが抵抗感となり、ゴーヤーは1年でやめた。

 2年目の昨年はあさがおで挑戦した。ネットの糸が細すぎるのか、なかなか自分では絡まってくれない。そこで人間の手助けが必要になる。毎日のように伸びた分のつるを絡ませてやると、やがてこれも見事な「緑のカーテン」となった。花も次々と咲き、なかなか見応えがあった。

 そんなわけで、3年目の今年もあさがおで挑戦している。陽射しよけにはちょっと遅かったが、最近やっと広がりを見せ、花も咲き出した。もう少し早くネットを張ってやればよかったのかな?