「バスのなかで」

 坂村真民さんの本を改めて引っ張り出して読んでいる。
念ずれば花ひらく「念ずれば花ひらく」柏樹社

 初版は昭和54年だが、私が持っているのは昭和57年発行の第6刷のものである。25年前に読んだ印象ももう忘れているのだが、今読み直すと文章がスッとはいってくる。この本の中の一つの詩を引用させていただく。

バスのなかで

   この地球は一万年後
どうなるかわからない
いや明日
どうなるかわからない
そのような思いで
こみ合うバスに乗っていると
一人の少女が
きれいな花を
自分より大事そうに
高々とさしあげて
乗り込んできた
その時わたしは思った
ああこれでよいのだ
たとい明日
この地球がどうなろうと
このような愛こそ
人の世の美しさなのに
たとえ核戦争で
この地球が破壊されようと
そのぎりぎりの時まで
こうした愛を失わずに行こうと
涙ぐましいまで清められるものを感じた
いい匂いを放つ真っ白い花であった

 今の環境のことなどを考えると、明るい展望はあまり見えない。

例えば「地球温暖化」、どう取り組むかが大きな課題になっているが、仮に取り組みがうまくいったとしても温室効果ガスのかなりの増加は避けられない。どこまでの増加で止められるかが問題なのだそうだ。対策がうまくすすんだとしても、今よりかなり温暖化が進んだ状態で止まるといういこと。うまくいかなければ・・・・。それなのにアメリカはそっぽを向いているし、日本だって先頃の国際会議で賞をもらっている。「化石賞」というこの賞は、温暖化防止に向けて最も後ろ向きな発言をした国に送られる不名誉な賞である。

けれど、この詩を読むとそんな憂鬱な心が吹き飛んでしまう。「人間、こんなきれいな心でいられたらなー」と思う。しかし、私にはこの光景を実際に見てもそこから感じ取ることができたかどうかは疑問である。しんみんさんの「翻訳」があって初めて、こんなきれいな心を感じ取ることができる。

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