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「テルアビブの犬」

テルアビブの犬

「テルアビブの犬」
小手鞠るい
文藝春秋

読み始めるに当たって「フランダースの犬」のオマージュ作品だと聴きました。

不遇な少年ツヨシと老犬ソラの固い絆、友達となった裕福なの家の少女などが登場し、まさにオマージュ作品。でも泣かされます。

愛犬の死までは「フランダースの犬」同様のストーリーに引き込まれますが、そのあとのアレンジにはちょっと・・・・。ツヨシはソラの献身もあり生き残ります。少年が目指すのは画家ではなく作家、そして「革命」というような思想に傾倒していきます。ネットで探ってみると、これは日本赤軍の人物をモデルにしているのであろうとのこと。でもどうも「フランダースの犬」風のストーリーに革命とか乱射事件とかはそぐわないように思ってしまいます。

フランダースがどうだったか記憶にないのですが、この作品ではツヨシの心とソラの心で語られていきます。両者が主人公ということなのでしょう、でも老犬ソラの献身的な大人の心が「できすぎではないか」、とも思ってしまいました。

「たそがれ清兵衛」

たそがれ清兵衛

「たそがれ清兵衛」
藤沢周平
新潮社

以前は読み漁った藤沢周平ですが、このところご無沙汰でした。図書館で目に留まって、この作品は映画化されていてなかなかの味わいの作品だった記憶がありましたが、「これまだ読んでないよな」と。

一冊丸ごとの小説だと思っていたのですが、目次を開くとタイトルがいくつも並んでいるのです。この本が短編集であることも知らずに借りてきてしまいました。映画の原作はある程度長編だとの思い込みがありましたね。

「たそがれ清兵衛」はこの本に収められている第一作目、わずか五十数ページの短編でした。いつものように剣の達者な下級武士が主人公のシンプルなストーリーで、あっという間に読み終えて物足りなさも感じます。映画では娘が二人いて女房に逝かれてしまった下級武士、でも宮沢りえが演ずる女性が何かと助けてくれるようなはなしだったと思うのですが、ここではかの女性も娘も登場せず病弱な妻の面倒をみる愛妻家の下級武士として描いています。ですから、映画化するにあたってはかなりのアレンジです。藤沢作品も好きですが、それをあのように味わいある映画作品に仕上げるそちらの制作力にも感心してしまいます。

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「君の膵臓を食べたい」

君の膵臓が食べたい「君の膵臓を食べたい」
住野よる
双葉社

怖くなるようなタイトル。でも図書館のたよりにはなんとなく期待を持たせるようなこの新刊書の案内がのっていました。で早速図書館へ、題名でちょっとは躊躇しましたがでも読んでみることにしました。

読書好き、人付き合いが苦手な高校生の主人公がふとしたことで余命の少ないクラスメートの女性の病気を知ってしまう。一人だけ秘密を知ってしまった主人公が、快活に振る舞う彼女に振り回されながらも二人の交流から成長していく、そんなストーリーで最後は泣けてしまいます。

これはおすすめ!

「火花」

火花「火花」
又吉 直樹
文藝春秋

今年の芥川賞作。図書館の予約待ちの後、借りることができました。
お笑いの世界、特に師匠というべきか先輩というべきか著者自身がその感性を尊敬している方の言葉やその人との交流が描かれています。お笑い芸人の鋭い感性がつづられているのだなと思うのですが、私にはどうもそういう感性が乏しいようです。よい本だろうなと思いながらその世界について行けない思いが強くなり、三分の一超を読んだところで断念しました。

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「プロメテウスの罠6」

プロメテウスの罠6「プロメテウスの罠 6」
ふるさとを追われた人々の、魂の叫び
朝日新聞特別報道部
学研パブリッシング

シリーズ6冊目です。目次紹介します。

第31章 釣ったら放せ
第32章 踊り残そう
第33章 原発城下町
第34章 イノシシ膨張
第35章 ローン減らせ
第36章 追いかける男

最後の章、「福島原発事故は津波による前電源喪失が原因のように言われているが、津波到達前に地震のみの影響で壊れていたのではないか、そうでないということはどこにも語られていない」、と訴えている人がいるとのこと。そういえば私自身も津波による事故と思っていました。

「そうなんだ~!」と思わされることが次々と登場します。私たち多くの人が知っているのは事故・被害のほんの一部、「こんなところまで!」と被害・影響の広がりに驚かされます。表層を見ているだけに終わらないようにしなければと思います。

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「眉山」

眉山

「眉山」
さだまさし
幻冬舎

 主人公はシングルマザーに育てられた娘の咲子、舞台は阿波踊りの徳島。この咲子によって語られる老いを迎え病で余命もいかほどかの母龍子のそれまでの生き様を描いたはなしといえるでしょうか。

病院での看護師へ、若い医者へ、お店を切り盛りしていた若い頃店に来た客へ等々、ちゃきちゃきの江戸っ子と自称していた“神田のお龍”の啖呵(?)、すかっとします。そうしてこっぴどくやられてしまった人たちが龍子のファンになってしまう。死後に咲子に届ける品物を託された人の行動や、咲子自身のことなどすべて見透かされてしまう。そういう爽快感だけでなく、なかなかのよい味わいの小説でした。

ここでも老いがテーマの一つ、著者も多くの老いを見てきたんだろうなと改めて思わされます。

知らない私は眉山という名前には中国を想像してしまいましたが、徳島の山だったんですね。表紙の青空と白い雲、どんな意味合いが込められているのでしょうか?

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「心の時代」、そして絶対音感と相対音感

心の時代「心の時代」
さだまさし
サンマーク出版

1998年発行のエッセイ集です。まえがきとあとがきによると、「心の時代」というニューアルバムと、同題のコンサートツアーと連動して、強く「心の時代」を訴えたい。そこで「同じタイトルの本を」ということになったのだそうです。「3日もあればいいんだからさ」と豪語して始まったこの企画、そしてなんと2週間で200ページ超のこの本書き上げたのだそうです。

そう書くのは著者の勝手ではありますが、次はどんな味わい深い文章だろうと期待して本を手にする立場からするとちょっとしらけてしまします。睡眠不足をおして短期間に強引に書き上げた作品、じっくり味わって読もうなんていう心は失せてしまいます。そこで私もこの本は拾い読み、でした。

この中に「絶対音感」と「相対音感」のことがかかれていました。著者によると、

「絶対音感」とは、どこかで何かの音がしたとき、その音がピアノの鍵盤で言えばどの音なのかが「判別できるだけの音感」

「相対音感」とは、たとえばどこかで何かの音がしたとき、仮にその音の名前はわからなくても、何かで(自分の声やそばにあるピアノなど)その音を“再現できる”音感

子どもの頃からなら比較的簡単に「絶対音感」は得られるが、「相対音感」は教育ではなかなか得難い。

のだそうです。私なんか「絶対音感」は才能に恵まれた特定の人にだけ与えられているもので、「相対音感」は特別の才能がなくても身につけることができるものと思っていたのですが、この著者のことばによると全く逆のようです。世間の多くの人は私のように考えていたと思うんですがね。でも、少年時代からヴァイオリンの英才教育を受けて音楽エリートをめざしていた著者のことば、「そうなのか!」と驚きでもあります。

「銀漢の賦」

銀漢の賦「銀漢の賦」
葉室 麟
文春文庫

しばらく前にNHKでドラマ化して放映しており、我が家では毎週楽しみにしていました。中村雅俊主演でいい味わいのドラマでした。図書館にありましたので原作を読んでみました。

やはり歴史物、江戸時代の西日本の小藩:月ヶ瀬藩が舞台。少年時代~若い頃の三人の友。年を経て、百姓の十蔵は一揆のすでにこの世にはなく、身分も心も離れていたはずの主人公日下部源五と松浦将監の友情がよみがえっていく。ドラマもよかったけど小説で読むとまた一味も二味も違います。最後の結末もドラマではかなり省略していたかな。ほんのりと、そしてちょっとうれしい結末。失脚した側用人の後任起用にはちょっと笑ってしまいました。これは付録かな。

「サクラサク」

「サクラサク」
さだまさし

短編集:「解夏」の最後、四作目です。

主人公は50歳代の働き盛り、仕事では会社の役員への糸口もつかんで充実。そんなときに同居の父が惚けの様相を示し始める。症状の出ていないときは家族をおもいやり心配してくれる父、しかし症状はどんどんすすんでいく。子どもとの関係、妻との関係など難しくなってそのままにしてていたが、正気の時の父はそんな家族のこれからを思いやってくれる。

出世をあきらめ病状が進んで向こうへ行った父の魂をまた一度こちらへ取り戻そうとするなかで家族をとりもどしていく、そんな物語、よい味わいの短編でした。

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「秋桜」「水底の村」

「秋桜」「水底の村」
さだ  まさし

短編集:「解夏」の一作目「解夏」は紹介しました。

二作目は「秋桜」、フィリピンから来た女性が主人公。ダンサーや水商売を経て農家の跡取りと結婚し、偏見の多い中でも日本にしっかりと根付いていく。この男性のお父さんがまるで準主役、よい人物を描いています。

三作目は「水底の村」。子どもの頃に住んでいた村がダムに沈んで、街へ出た幼なじみでいとこ同士の物語。私の実家のちょっと上流にも昭和の終わり頃にダムができて、私の記憶にある村が沈みました。この物語では沈んでいた村が渇水で姿をあらわすのですが、現実には建物はすべて取り壊して人工的なものは何もない状態にして湛水します。家々がたったまま沈めてしまうというのはかなり古い時代の話ではないでしょうか。でも、やはりその部落の光景などを想い描きながら読みました。
一作目に続き、両作品とも美しい短編でした。