1998年発行のエッセイ集です。まえがきとあとがきによると、「心の時代」というニューアルバムと、同題のコンサートツアーと連動して、強く「心の時代」を訴えたい。そこで「同じタイトルの本を」ということになったのだそうです。「3日もあればいいんだからさ」と豪語して始まったこの企画、そしてなんと2週間で200ページ超のこの本書き上げたのだそうです。
そう書くのは著者の勝手ではありますが、次はどんな味わい深い文章だろうと期待して本を手にする立場からするとちょっとしらけてしまします。睡眠不足をおして短期間に強引に書き上げた作品、じっくり味わって読もうなんていう心は失せてしまいます。そこで私もこの本は拾い読み、でした。
この中に「絶対音感」と「相対音感」のことがかかれていました。著者によると、
「絶対音感」とは、どこかで何かの音がしたとき、その音がピアノの鍵盤で言えばどの音なのかが「判別できるだけの音感」
「相対音感」とは、たとえばどこかで何かの音がしたとき、仮にその音の名前はわからなくても、何かで(自分の声やそばにあるピアノなど)その音を“再現できる”音感
子どもの頃からなら比較的簡単に「絶対音感」は得られるが、「相対音感」は教育ではなかなか得難い。
のだそうです。私なんか「絶対音感」は才能に恵まれた特定の人にだけ与えられているもので、「相対音感」は特別の才能がなくても身につけることができるものと思っていたのですが、この著者のことばによると全く逆のようです。世間の多くの人は私のように考えていたと思うんですがね。でも、少年時代からヴァイオリンの英才教育を受けて音楽エリートをめざしていた著者のことば、「そうなのか!」と驚きでもあります。