月別アーカイブ: 2006年4月

手書きの楽譜

団の中には楽譜係がいた。市販されている楽譜については団員個々が購入すればいいのだが、そうでない楽譜は楽譜係が印刷してみんなに配布する。私が入団した頃の手製の楽譜はまだガリ版刷りだった。ガリ版を知っている人ももう少なくなってしまっただろう。ロウで繊維の隙間を埋めてしまった原紙を細かいヤスリの上に載せ、上から鉄筆で書くとその部分だけロウがとれる。わら半紙の上に枠に固定した原紙をあて、その上からインクをまんべんなく付けたローラーを程良く力を加えながら転がすと、鉄筆で書いた部分だけインクが通り抜け印刷ができる。今思えば原始的な印刷だ。鉄筆で強く書きすぎると破けてしまうし、弱すぎるとよく写らない。微妙な力加減が難しかった。私が入団した頃の楽譜はこうして印刷されたのだが、よくきれいに印刷されて見事なものだった。私は楽譜係を担当したことはないが、若干はガリ版で楽譜を起こしたことがある。楽譜のガリ版起こしは特に難しい、五線譜を定規でひいているとすぐにそこで原紙が切れてしまう。一度やってみると、楽譜係の人の苦労がよくわかった。

楽譜に限らず、総会の資料や機関誌など団で配布する様々な印刷物はガリ版で印刷されていたので、部室にはガリ版起こしのためのヤスリ・鉄筆・原紙、それから謄写版のセットがそろえられていた。

佐々木先生が指導にみえるようになって、先生は市販されていない先生独自の編曲を次々ともってきた。何しろ譜読みが早く、「ではこれをやってみよう」というような調子ですすむのだから、当時の楽譜係は大変だったろう。幸いこの年からは大学の事務室にオフセット印刷の新しい機械がはいり、合唱団にはこれを使わせてくれた。大学の入学式・卒業式には、儀式の中で学生歌や卒業送別の決まった歌があり、合唱団がこれを唱っていた。数人でピアノを取り囲み、2階の練習室から階段を下ろしてトラックに積み込む。体育館への設置と、また練習室に戻すことまで全部が男性団員の仕事である。このようなことから、合唱団にだけは印刷機の使用の許可が下りていたようだ。

先生の編曲は先生自身が五線譜に書いたものだが、なかなかきれいに書かれていて、手書きではあるが見やすい楽譜だった。また、印刷機が新しいこともあり、私たちは鮮明な楽譜を手にすることができた。当時の楽譜係の方は新しい印刷機を回しながらこれから唱う楽譜をいち早くながめ、心弾ませていたそうだ。

秋合宿

秋になると週一回の先生の指導も厳しさを増してきた。だからこの時期の印象は夏合宿の時のような明るいイメージではない。10月だったか11月だったか、多分2泊3日だったと記憶は定かではないが、そんな時期に秋合宿が行われた。もちろん最初から最後まで先生の指導で練習が行われた。会場は大学から10kmほど離れた勤労青年センターで、ここでは食事も食堂にまかせきり、炊事当番が練習を抜けるということもなく、短期間であったが練習に集中できた合宿だった。演奏会に向け、ここで一段と音楽が高められていったのだろう。

この合宿には、先輩が高価なカセットデッキを持ち込んで録音してくれた。このときの録音は、定期演奏会のプログラムと全く同じ順序に記録されている。演奏会からかなり前だったと思うのだが、すでに先生の頭の中にはプログラムができあがっていたようだ。

日唱のコンサート

この年、日本合唱協会のコンサートがあり、多くの友人達と聴きに行った。夏合宿よりもまえだったかも知れない。指揮は増田順平さん。私たちは増田順平編曲の合唱曲集「からたちの花」をこの頃すでに何曲も唱っていたのだが、このコンサートでもこの曲集のなかから多くの曲を聴かせてくれた。当時は知らなかったが、増田順平さんもまた佐々木先生とつながりのある人だ。もう少し詳しくいうと、先生が私たちの合唱団にみえるまえに指導していた山形南高OB、その学校の卒業生だ。卒業後OB合唱団に所属したのかどうかは知らないが、増田順平さんもまた分離唱を取り入れた合唱指導をしているらしい。

この時の演奏、先生が違うと同じ曲・同じ編曲でもずいぶんと違うものだと思った。増田順平さんの編曲は洒落たものが多く、そういったところを「うまい」とうならせるような演奏だった。しかし、日本の情緒を感じ、感性に直接響いてくる先生の指揮による演奏とは随分違う、多分に技巧的な印象だった。そういえばこの頃、この団体の「からたちの花」のLPレコードも発売されており、聞いた記憶がある。

夏合宿 その4

 話を戻して1年目の夏合宿、合宿最終日はもう練習がなく荷物をまとめて帰るだけである。先生はその前日いっぱいの指導を終えて東京に帰ることになった。夕闇につつまれた頃、寺の境内に全員で見送りに出て、自家用車に乗り込むまでの間みんなで何曲か合唱をした。唱った後、先生は私たちに出会ったことの喜びを語られた。しんみりとした雰囲気の中で、先生の「皆に会えてよかった」「みんないい人間になってくれよと」いう言葉に男性団員の一人が感極まって「先生!」と叫んだ。先生の著書「耳をひらく」にも記されているあの場面に私もいた。

丸坊主、後日談

 1年目の先生は厳しかった、だからみんな先生の注意には襟を正した。結構怖かったのも事実だ。「男性はみな坊主頭」がいいと先生がいうのも全くの冗談ではないことをみんな感じていた。2年目からの先生は、1年目ほどの怖さではなくなった。2年目になってから入団してきたある男子学生はそんな先生の怖さは知らなかった。2年目の夏合宿で、夏休みを終えて合宿で久しぶりに見たこの方は何とパーマをかけてきた。そしてこの年の合宿では、先生が新入団員には全員面接をすると言い出した。彼は面接の対象者である。周囲の者はこのパーマに先生の怒りが爆発しないかと内心心配したものだ。しかし、面接は何事もなく無事終了した。