カテゴリー別アーカイブ: おはなし・ことばの世界

雪わたり

雪わたり
家内が友人から宮沢賢治「雪わたり」を借りてきました。
絵本というのはものによっては何回も再版され、その際に画家も変わってしまうこともあるようです。この本の画は堀内誠一さん、かわいい画ですね。1969年初版の本ですから多分今では違う画のものが出版されているんでしょうね。
お話しは北国の冬の景色、一面が雪に覆われて子どもが歩きまわれるほど表面が固く凍ってしまっている情景をうまく描いているものだと感心してしまいます。キツネと交流する様がほほえましいですね。「幻灯」というのがまた忘れかけた言葉でした。
動物と自然と人間の子どもの交流、「どんぐりと山猫」にも同じ雰囲気がありますが心温まる賢治独特の世界ですね。
「キックキックトントン、キックキックトントン。」
が繰り返し登場し、最後には
「キックキックキックキックトントントン。」
とキックが4回、トンが3回。不思議な何ともいえないリズムがお話しの中に心地良く流れていて、印象的な絵本でした。

赤羽末吉原画展

信州安曇野のちひろ美術館に行ってきました。
駐車場を下りると美術館の前庭である広い芝生の公園が広がっていました。ちひろ美術館は東京の住まい跡にもあるそうですね。でもそちらはこんな風に土地を贅沢には使えないのでしょうね。
ちひろ美術館庭

そして美術館の玄関、こちらもしゃれた建物、中は木をふんだんにつかったものでした。
ちひろ美術館

美術館ですから、写真はここまで。
今回ここを訪問したのは絵本作家:赤羽末吉さんの原画展があるから。チラシを持参したところ、入場料が割引となりました。
私が特に気に入ったのは「さるかに合戦」の原画。子ガニが野山を越えてぞろぞろとやってくる原画、よかったな。この絵本制作の時、赤羽さんには次々と楽しい情景が浮かんで、それを絵にしたのだそうです。出版された絵本を見ても気持ちが素通りしてしまうのですが、こうして原画を見ると改めて絵本にも魅力を感じてしまいます。
こういうものにふれる機会はあまりないのですが、原画を見るとひきこまれますね。1時間半があっという間でした。
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まりつきうた

 ゴールデンウィークは毎年実家で過ごしたのですが、今年は自宅で過ごしました。私たちの親のところに子どもが集まってくる時代から、私たちのところに私たちの子どもが集まってくる時代に変わってきたようです。(少し大げさかな)
 母も私たちのところにやってきて何泊かしていきました。そんななかで母たちの子ども時代に唄ったまりつき唄をききだしました。メロディーはあの「鉄道唱歌」のものでした。以下、歌詞を書きますので唄って(頭の中で?本当に?)楽しんでみてください。
    1 てんてんてんまり てまりつき
      私は東京駅に着き
      左に見えるは二重橋
      右は九段の招魂社
    2 曲がって赤坂 乃木屋敷
      忠義のほまれも 高輪の
      四十七士の墓を見て
      しろをゆくや 浅草や
    3 新橋 京橋 日本橋
      渡れば 三越呉服店
      一反 反物買いましょか
      かわって仕立てて 日が暮れて
    4 妹(いもと)に着せて 手をひいて
      浅草上野の公園へ
      音楽ききに まいります
      ぶかぶかどんどん ぶかどんどん
    5 私のてまりも ぶかどんどん
      まずまず一貫 かしました
 最後はメロディーの途中ですが、鞠を高く弾ませてくるっと回り、次の人に渡したのだそうです。
 「招魂社」って何だろうと調べたところ、明治12年に「靖国神社」と改称された神社だそうです。忠義の士を敬ったり、三越呉服店で買い物をしたり、公園へ音楽をききにいったり、当時の風情を感じますね。

「十三歳の夏」

清水真砂子さんの「ゲド戦記の世界」の中で何人かの作家が紹介されています。ゲド戦記の登場人物であるテナーのことばを、日本の作家であれば誰に語ってもらうのがいいかと考えたそうです。そんな中に乙骨淑子さんの「十三歳の夏」という作品が登場しましたので読んでみました。
十三歳の夏

親戚に引き取られた女の子の周辺と心情を描いた作品で、十三歳にしては大人だなと思えるような心の風景を描いています。私には清水真砂子さんのように作家の語りがどうというようにはとてもとらえることは出来ませんが、新しい家族の中での心の重たさや以前暮らしていた人たちとの交流の弾むような心など、実にいいなと思いました。
それからこの本の小林与志さんのカットも気に入ってしまいました。

「ゲド戦記」の世界

図書館で「ゲド戦記」が話題になりました。そうすると図書館の方が薄い一冊の本を取り出してすすめてくれました。わずか60頁ほどの、

「『ゲド戦記』の世界」清水真砂子著

です。2006年の講演をもとに編集された本です。早速立ち読みを始めると、すぐに清水真砂子さんのお話の世界に引き込まれてしまいまいした。
「ゲド戦記」の世界

ゲド戦記を読んだとき、やはりその世界にすぐに引き込まれました。翻訳を感じさせない、日本語作家以上にすばらしいことばの世界かもしれません。単なる翻訳でなく、日本語にするときのことばを練りに練った翻訳なんだろうなと思っていたのですが、この本では著者のことばへのこだわりが語られています。

「小さいときからとっても言葉が好きだった。素敵な言葉に会うともう飛び上
がるほどうれしかった。新しい言葉にであうと、それがやっぱり、うれしくて
うれしくて。・・・・」

と語っていますが、そんなこころの世界があるんだなと感心しまいます。

「『ゲド戦記』との30年も、ほんとうに、言葉を探し、言葉と格闘し、言葉と戯
れ、言葉に笑い、言葉におびえ、言葉と和解し、という日々だったような気が
します。」

という文章があり、この章の題は「言葉探しの30年」でした。

「登場人物が成長にともなってことばが変わっていかなければいけない。」

とか、

「この登場人物のことばは日本語作家の誰に語ってもらおうか。」

などと考え、何人かの作家とその著書も紹介されています。
自宅でこの本を読み、家族でこの訳者の言葉の世界を話題にしていると、ことばの世界も素晴らしい広がりを感じさせてくれるものだなと思ってしまいます。

甲州弁の語り②

 再度、甲州弁の語りを聴きに行きました。この語り部の語りに触発されて、今回は3人の方が「全くの真似です。」なんて謙遜しながら新たに甲州弁の語りに挑戦していました。この方たちの語りもなかなかのものでした。
 そのあとはいつもの通り、語り部さんのおはなしを聴かせていただきました。こうして自分たちの育った言葉で語られるおはなしを聴いていると、自分自身の心が安らぐんだなと感じました。語り部さんから2つのお話を聴いた後、その場は座談会風になりました。語り部の方のいわれたこと、
   「立派な語りの方もいるが、私は偉くもなんともない。だからこうして
  私の語りをこのように若い人が語り継いでくれることもうれしい。自分
  で語るときには自分がいいとおもうようにどんどん変えてください。そう
  やって語り継いで、手が加えられていってお話も良いものになるし完成
  されていく。」
そんな内容でした。自身の創作を加えながらおはなしをつくってきた、そして作り上げたものにこだわらず語り継ぐ人も創作し楽しんでほしい、そんな語り部さんの心が印象的でした。

甲州弁の語り

 この地域に住む語り部のかたりをききました。86歳の男性です。
 別の方ですが、山梨では甲州弁のかたりで有名な方がおり、最近ではローカル局のテレビ放送にも出演するようになり広く親しまれています。方言で聞くおはなしには何ともいえない味わいがありますね。私もテレビ・ラジオで何回も、そして生でも何回か聞いて味わってきました。ただ、この方は甲府盆地の中でも東部地域の方、同じ山梨の方言でも私たちが育った地域とはいくらかそのニュアンスが違っていました。
 今日聴かせていただいた方は私たちの住む北杜市の方、方言ばかりで語っているのではないそうですが、それがまた無理がないのか、私たちには極々自然なかたりに感じました。おはなしの中の「炭焼きがまのまわりに金の粒がたくさん落ちている」なんていう場面を、私たちが目にした炭焼きがまを思い浮かべながら聴いていたのですが、あとで「炭焼きがまを知っている人も少ないんだろうな」なんていうことをふと思いました。「汽車ぽっぽ」の歌が小学校の教科書から消えた理由の一つが、今の子供が汽車を全く知らない、目にすることがないことだと聞いたことがあります。でも、おはなしの中で実際を知らないことはいくらでもありますが、それぞれに想像を膨らませてその世界の中に入っています。おはなしの世界では、たぶんそれでいいのでしょうね。時代が変わって無くなっていくものと、無くならずにいくものとがあるようです。

「ゲド戦記」

清水真砂子さんの「幸福に驚く力」を読んで、その語り口や内容にひきこまれました。この方は「ゲド戦記」を翻訳された方です。「ゲド戦記」は読書好きの人が特におすすめする本であることを割合最近になって知りました。長編ではありますが、この機会に読んでみようと、町(今は市)の図書館から借りてきました。

ゲド戦記1
訳本というのは非常に読みにくく、特に固有名詞がなかなか頭の中に納まってこず、かなり読み進まないとその世界に入っていけない、そんな印象をもっていました。しかし、まだほんの30ページほどしか読んでないのですが、最初からぐいぐいと話の世界にひきこまれていくようです。この様子では意外と早く読了できるかもしれません。たまには期限内に返却できるようにしないと。(笑)

木版画の絵本

私は詳しくはないのですが、絵本にも秀作と駄作があるようですね。いつかこのブログにも書いた松井直さんの講演でも、素晴らしい絵本をいくつか紹介していました。その中の一つに、

「三びきやぎのがらがらどん」
マーシャ・ブラウン え
せた ていじ やく

がありました。同じストーリーでも訳者で全然違うし、絵によっても心に残り方が全然違うのだそうです。1940年作の超ロングセラーです。
この本と同じ作者の絵本を最近手にしました。

「ちいさなヒッポ」
マーシャ・ブラウン さく
うちだ りさこ やく
偕成社
ちいさなヒッポ
我が家に転がっていたこの本を何気なく開いて驚きました。この絵本につかわれている絵は、どうやらすべて木版画なのです。版画特有な直線的な絵や決して複雑でない色づかいなのですが、登場するカバの皮膚には木目が見えます。水の中や暗闇に包まれたカバもうまく木目を生かして描いているのです。遠景の木々もうまく版画の手法で描いています。カバの目や表情がまた何ともいえずいいのです。

お気に入りの一冊になりそうです。

「暗記した昔話」?

 むかしばなしの素語りを中心とした活動をする団体があり、先日この団体がひらいた「おはなしのつどい」を地元紙が紹介した。


    「おはなしの会」が暗記した昔話披露


こんなタイトルの短い紹介文である。
 「暗記した昔話」・・・・、たしかにそうではあるが何とも味わいのないことばではないか。こんな無機的なことばの中に、記者の素語りへの関心の無さを感じてしまう。


 絵本の読み聞かせや小道具をつかったおはなしなど、昔話などを語るのにもさまざまな手法がある。しかし、何も小道具をつかわず小細工をしない「素語り」が何といっても空想の世界を駆けめぐるには一番のように思う。具象を見ないからこそ空想が広がる。語り口も、演劇的に語るのではない「素語り」がおはなしにはいいと思うのです。