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ラジオ深夜便(続き)

 柳生さんの育ったのは茨城の田舎のようである。その風景が原風景として心に残っていて、それに通ずる環境で子どもを育てたい、そんな気持ちから八ヶ岳山麓に移り住んだとのことだった。そこで子どもを育て、やがてはお孫さんもここで育っているとのこと。お孫さん今では「かさこそ」遊びが大好きだという。林の中には落ち葉がつもり、その中を歩くとかさこそと音がする、落ち葉を掘れば腐葉土があり、その中にはたくさんの生命の営みがある。そんな林の中での散策や遊び、それを「かさこそ」遊びと名付けたらしい。こんなふうに孫を林の中に連れ出す柳生さんは、「センス・オブ・ワンダー」で甥を自然の中に連れだしたレイチェル・カーソンと全く同じではないか。柳生さんの話していることはまさに「センス・オブ・ワンダー」の世界ではないかと思ってしまった。

 「日本野鳥の会」の会長でもある柳生さんは、「鳥インフルエンザを媒介する可能性がないとは言えない」燕について、幼稚園につくったその巣を片っ端から壊してしまった人間のありようにも大きな怒りを表すなど、さまざまな話を本当に熱く語っていた。柳生さんの経営するお店が八ヶ岳山麓にある。一度言ってみたいとも思う。

ラジオ深夜便

 NHKラジオの「ラジオ深夜便」は23:20からはじまり、翌朝5:00までのながーい番組だ。この番組が9月22日夜「山梨発」で、山梨在住の人が何人も登場するとの情報を家内が仕入れてきた。特に家内が関心を持っていたのは甲州弁で語るおはなしのコーナーで、これを録音できないかということだった。少し頑張って午前様の時間まで起きていてラジオを聞いてわかったことは、お目当ての甲州弁の語りは2時代であるとのことだった。そこで一計、なんとか1:00まで起きていて寝室にMDラジカセを持ち込み、ここから74分MDをモノラルモードで録音すれば3時過ぎまでクリアーできる。小さな音量で聞きながら録音にセットし、横になった。あわよくば2時代の放送を聴けるのではないかと思っていたが、やはり眠ってしまった。ずっと鳴っていたラジオに夢うつつで少しずつ意識を取り戻したのは多分4時代半ばごろ、俳優・司会者等の肩書きで知られた北杜市在住の柳生博さんの講演の模様を放送しているときだった。

レイチェル・カーソン

 来年はレイチェル・カーソンの生誕百年にあたる。そのため、今年から来年にかけてさまざまな催しが計画されているそうだ。


 レイチェル・カーソンといえば何といってもその著書「沈黙の春」が有名だ。農薬や除草剤の使用に疑問を投げかけたこの著書は1962年に出版され、発売と同時にアメリカでは化学産業界を巻き込んだ議論になったという。しかし環境関係のバイブル的なこの本を、私は存在を知りながらもなかなか読まないでいた。そして数年前、町の図書館で同じレイチェル・カーソンの書いた「センス・オブ・ワンダー」を見つけ、借りてきて読んだ。六十数ページほどの短い本で、その中には多くの写真が散りばめられている。読み進めていくと「センス・オブ・ワンダー」という書名も理解できる。著者の自然の営みに対するみずみずしい感性に心洗われるような本だった。


 それならと、私は遠回りの末「沈黙の春」にたどりついた。緻密な情報収集により、農薬の害について説得力ある文章で訴えていた。


 


 新聞に、「日本語で読めるカーソンさんの著作」が出ていたので記載します。
     「沈黙の春」新潮社
     「われらをめぐる海」早川書房
     「センス・オブ・ワンダー」新潮社
     「失われた森」(遺稿集)集英社
     「潮風の下で」宝島社
     「海辺~生命のふるさと」平凡社
こんなに多くの著書があるのをこれまで知らないでいました。これを機に残りの本も手にしてみようかと思っています。

酸素カプセル

 早稲田実業の斎藤投手のおかげで、酸素カプセルが脚光を浴びている。今日もローカルニュースで取り上げていた。疲労回復が早く、気分爽快なものらしい。新陳代謝が早くなるとも言っていた。最近はカプセルも大きく閉塞感の少ないものが出てきたそうだ。


 まあ、高濃度の酸素を吸えば気分爽快なのは当然だ。かなり以前に小鳥を酸素中に放した映像を見たことがある。この小鳥は酸素の中を極端なほどに激しく飛び回り、やがては死んでしまった。こんなものを見ていると、酸素カプセルを一般の人が利用するという話しには考えさせられる。こういうものは特にその必要のある人(治療目的等)を除いては使うべきではないと思うのだがどうだろうか。新陳代謝が早くなると言うことは、老化も早くなるということはないのだろうか。使用料は50分間で3千数百円ということだったが、この酸素のためにどれだけのエネルギーを使い、どれだけの二酸化炭素を放出するのだろうか。人間の便利さや快適さのために環境を犠牲にする、この酸素カプセルの普及ももそんな人間の過ちがまた一つ追加されるということではないだろうか。