カテゴリー別アーカイブ: 日常

母の陶芸

陶芸-牛
80歳台の母が最近高齢者向け陶芸教室に通い始めました。9月からはじめて今までに3回の参加ですが、町の文化祭に出品しました。粘土で形をつくって次の時には素焼きができあがる、絵付けをすると次には焼き上がっているという形だそうです。そんなペースの教室ですが、新人ながら他の人と一緒に出品させていただきました。ですから今回、仕上がりは目にしていなかったのだそうです。昨日、今日と文化祭でしたが、そこでの作品のできばえを楽しみにしていました。もちろん私も今日はじめて母の作品をみました。

母の第1作は来年の干支、牛です。何か型に入れるとだいたいの形は出来るらしいのですが、そこから先の細やかな形は本人の腕次第。私の子ども時代の我が家は2頭の乳牛を飼う農家でした。母には牛に対する思いもまた特別のものがあるようです。そんなためか牛の角やら耳やらがなかなかのできばえです(身びいきかな)。

陶芸-牛
2作目は花瓶、これは粘土で絵をかたどったものを花瓶の上に貼り付けたようなもので、絵には厚みがあります。多分、柿をデザインしたのでしょうね。どんなできばえか不安だった母も、作品をみてかなりの満足のようです。

木彫りフクロウ

木彫りフクロウ
清水のエスパルス・ドリーム・プラザの中に海外の民芸品を扱う店があります。中は所狭しと民芸品が展示され、特有の強烈な香が焚かれていましたが、この中をゆっくり見物しました。そうして見つけたのがこの木彫りのフクロウです。羽を収めているフクロウの像はよくあるのですが、羽を広げたものはそう見ません。値は控えておきますが、「ワッ、安い」と思い買って帰ることにしました。今は我が家の玄関の飾り物です。
「これ、包装をお願いします」というと、それ用の箱もなくプツプツの緩衝材で包んで紙袋に入れてくれました。こういった民芸品は普通なら結構高いと思うのですが、海外から大量に超安値で買いあさってくるのでしょうか。「こんなに安くていいの?」と思うような店でした。

あ、それから私はこの店のお香の臭いの影響か、くしゃみが止まらなくなってしまいました。どうやら花粉症のようなアレルギーを起こしてしまったようです。店を出てしばらくするとおさまり、ホッとしました。

人前結婚式

人前結婚式
昨日、甥の結婚式がありました。案内をいただいたとき、

    「式は神前、それとも教会式?」
「人前です。」

というわけで、はじめて見る人前結婚式とはどんなだろうと興味津々でした。芝生のガーデンにヴァージンロードの絨毯を敷き、その両サイドに親族をはじめとする立会人の席が設けられていました。司会者により式がすすめられ、結婚証明書へのサインや指輪の交換などが行われていきました。司会者の言葉によると、日本では一番歴史のある結婚式だとのことでした。そういえば私たちの子どもの頃、式は自宅でした。結婚式というと花嫁さんが歩いてその家に入り、座敷で媒酌人が三三九度など取り仕切っていたのを思い出します。そういう伝統的な結婚式が人前結婚式だったんですね。いつのころからか結婚式の会場がいわゆる結婚式場に変わり、式を執り行うのは神主さん、それから徐々に教会式も増えて牧師さんが登場するようになっていました。

今回の結婚式、みんなで挙げてあげる式のような好印象が持てました。そのあとも司会者のことばでは披露宴といわずに「レセプション」、レストランでのレセプションでは各小テーブルを新しいカップルがまわりながらそれぞれの場所でたっぷり写真撮影。新郎新婦の祖母へのやさしい心遣い、おいしい料理と共にたっぷりと楽しませていただきました。

高校同窓会(その2)

 同窓会総会・懇親会は盛会だったのはもちろんですが、これと並行してギャラリーが開催されていました。長年私たちの母校に勤務され、今回の記念誌の表紙を飾った油絵の作者である先生のギャラリーでした。会場には四十数点の絵画が展示され、なかでも記念誌の表紙の原画は版も大きく目をひきました。印刷された絵もいいのですが、やっぱり本物は違いますね。
 
 会場をひとまわりして最後のコーナーに長机が置かれ、その上にたくさんのスケッチ帳が開かれていました。そのすべてが高校生がポーズをとっているもののスケッチです。どうやら美術の先生がその授業の中で、生徒にポーズをとらせ描いたもののようです。スケッチの下にはいずれも日付と生徒名が記されていました。みんな同級生の部分を探し出し、特に自身のスケッチを探し当てたときには歓声をあげ、持っている携帯電話で写真に収めていました。芸術の選択で美術をえらんだ人たちには宝物を探し当てたようなよい土産だったことでしょう。しかし私は残念ながら書道選択、うらやましい~。

高校同窓会

同窓会記念誌
今日は出身高校の同窓会が開かれました。毎年五十?歳になる学年が幹事学年となるのですが、わたしたちがその学年だったのです。

同窓会には記念誌がつきものです。その年その年の幹事さんが趣向を凝らすのですが、厚い冊子の大半を占めるのは寄付をしてくれたスポンサーの広告となってしまいます。それでも広告以外の本文で幹事学年の色を出そうと無い知恵を絞るのです。例年通り何人かからの挨拶文、幹事学年の恩師の寄稿もあるのですがそれ以外の企画、今年は「元気韮高人」と題して社会で活躍しているOBに原稿を寄せてもらいました。
表紙は校訓である「百折不撓」の書と、高校ゆかりの美術の先生による休校舎の油絵が配置されました。現代的に写真を配した昨年のものに決して引けを取らない、むしとしっとりと落ち着きのあるいい雰囲気に仕上がりました。担当され苦労された皆さん、ご苦労様でした。

停電

 昨日、山梨では激しい雷雨のためか停電がありました。ニュースでごらんになった方もいることでしょうね。停電は起こっても局所的一時的なものですが、昨日の停電は大規模なものでした。夕方から夕飯時の1時間くらい(正確には計っていませんが)、しかも範囲はと言うと山梨全域でした。山梨で東京電力と契約している世帯は約59万世帯、このうち何と96パーセント56万世帯余りが停電したのだそうです。
 ろうそくを灯して薄暗い中、復旧は「まだかまだか」とじりじりした気持ちで待っていました。電気が止まるというのは不自由なものです。テレビも電話も使えず、仕方がないのでマイカーを玄関先までひいてきてカーラジオをかけていました。それでもまだガスは使えますので調理はできたのですが、オール電化でIHクッキングヒータを利用されている家庭ではそれもできないわけですね。もし冬になって停電が起きた場合、仮に石油ファンヒーターを使っていても点火や制御に電気を使っているのですから、寒い中暖房もできなくなってしまいます。一つのエネルギーに頼らない生活をしていることも大切ですね。
 ところで私の友人の家庭では停電がちょうど夕飯時となり、娘さんがキャンドルを出してきて灯し、「これで食べよう、なかなかいい雰囲気だ」とろうそくのあかりで食事を楽しんだそうです。停電の暗がりも楽しんでしまう心のゆとり、いいですね。

アナログ表示

 NHKテレビ画面の右上隅に小さく「アナログ」と表示されるようになりました。7月24日から始まったそうですね。3年後に完全にデジタルに移行することを周知させるために、デジタル対応でないテレビ画面にだけ表示されるのだそうですが、大変なことをはじめたものです。「現状のテレビをぎりぎりまで使おう」とか、「テレビが壊れたけれどデジタル対応はまだ高価だから安いアナログテレビを購入した」という人もいるはずです。周知が目的だそうですが、わかっていてアナログテレビを使い続ける人にとっては、なんとも嫌な気分にさせられる表示です。まるで「早く買い換えろ!」っていうプレッシャーをかけているようなものです。電機メーカーからもスポンサー料が入るテレビ局ならともかく、国民の税金と受信料で運営しているNHKのやることでしょうかね。

炭焼き

 竹炭作りの映像を見ていると、かつての記憶がよみがえってきます。我が家も二年ほど炭焼きをしていました。自宅の一段上の土地に大きな(?)炭窯をつくり、炭を焼いたのでした。ビデオに映った竹炭生産の映像では、箱に入った竹炭がローラーの上を転がって出てきます。細い入り口の向こうには広い炭窯の内部があり、人が入って焼き上がった炭を詰めて外に送り出してくるのです。こういうローラーこそありませんでしたが、我が家でも全く同じようにして炭を焼いていたのです。生の木を並べるときの重さから、焼き上がった後の炭の軽さが印象的でした。良い炭がぶつかるときに出る金属的な高い音もまたいいものでした。しかし、焼き上がった後の炭窯の内部は暑く、天井は低いのでずっと中腰の作業でした。更に炭の微粉が立ちこめる内部での作業では鼻の中が真っ黒になるのです。炭窯から出てくるとやっと腰を伸ばして立つことができ、何ともいえない開放感を味わいました。高齢の方たちが楽しそうに働いている様子に「いいな」と思いつつ、かつての記憶がよみがえってきて、「これもなかなか大変な作業だよな」と思い直しました。
 ついでにわずかな炭の知識を少し。私の地域では炭に二種類、白炭(しろずみ)と黒炭(くろずみ)があります。特に意識せずに聞いてきたこの言葉ですが、竹炭組合の話をしながら母にこの二つの炭の意味合いを聞いてみました。私の実家で焼いた炭や竹炭組合で焼いている炭はどうやら黒炭です。人が入れるような大きな炭焼きがまに木材を並べて蒸し焼きにし、十分冷めてから中にはいって取り出すのが黒炭です。これに対して、炭窯ははるかに小さく、釜の中に人が入れないために釜の入り口で長い金属製の金具を使って炭窯の中に木材を並べ、焼いて真っ赤になった状態の炭(これを「おき」といいました)を炭窯の外に掻き出して土の中に埋めて冷めた炭を取り出すのが白炭、この炭は灰が表面に白くついているので前者の最初から黒い黒炭に対して白炭と呼ばれてきたとの事でした。我が家のある、山間の地域のかつての主たる産業は「炭焼き」だったようです。親の姿の見よう見まねで、男の子たちはまたまたミニチュア版の「炭焼き遊び」を競ったものだそうです。
 ガソリンをはじめとする燃料が高騰する今日、自然の産物から生み出される「木炭」「竹炭」の復権があるのでしょうか。竹林が荒れてしまわないように手入れして出る竹材を竹炭に、山の手入れをして出る木材から木炭に、そんな自然エネルギーが緩やかに広がっていくのでしょうか。

竹炭と地域のリーダー

 山梨県の最南端近くにある身延町、ここでは「生涯現役」と唱いつつ竹炭を生産している身延竹炭企業組合があります。その組合長さんのお話を聞く機会がありました。演題は、
         「一瞬のひらめきが人生をかえた竹炭づくり」
 県議引退後、山梨県内の「ブドウの剪定枝から炭焼き」をテレビで見たのが始まりで。地域の高齢者に竹炭生産を呼びかけたところ50人ほどが集まり、活発に活動されています。「ここへ来ると健康でいられる。私は酒好きで、ここへ来なければ今頃健康を害しているだろう」なんて言う話も印象的でした。
 日本では独自の文化を海外に発信しているのだそうですが、竹文化を取り上げたとき取材を受け身延の竹炭が海外に紹介され、そのためかラオスからの視察があり青竹に盛りつけたおにぎりと新鮮野菜が大変喜ばれたそうです。ラオスにも野生の竹が多く竹炭生産の技術指導と貧しい子どもたちへの奨学金を依頼され、組合のメンバーで奨学金のための寄付を集め送ったことから、今ではラオスの人たちとの国際交流にまで発展しているそうです。
 山間の高齢化をはじめ多くの問題を抱えた地域でも、力のあるリーダーのもとに第二の人生を歩む人たちが集まり、現役世代以上に生き生きと海外にも眼を向けた活動を行っていることに驚いてしまいました。
        http://www.fujikawa.or.jp/~tikutan/

神社で昼寝

 神社にかかわる記憶をもうひとつ。
 私の子ども時代、我が家はあのビールのホップの生産農家でした。夏休みの多くは子どもも手伝うホップの収穫作業がありました。我が家のホップ畑はこの神社のすぐ近くでした。毎日弁当持参でホップ畑に行くのですが、昼休みはこの神社に行って弁当を食べ、神楽殿で昼寝をするのです。木陰である上に、床が高くて風通しが良く、今にして思えばなかなか贅沢な昼寝でした。仰向けに寝ると天井は6~70cmくらいの格子状に区切られており、その一つ一つにはそれぞれ家紋が彫り込まれています。どの形は何々姓だとか我が家の家紋はどれだとか、父の説明を聞きながらの昼寝のひとときでした。
(28.5k CT)