カテゴリー別アーカイブ: 音楽:私の音楽ノート

第5回さらりと音楽談義(続き)

この集まりの様子を思い出しながら書いていると、また別のいろいろな思いが湧いてきます。日本のよい音楽がなくなっていくのではないかという事が話題になり、よいものはなくならないのだとの強い言葉もいただきました。

そういえば私たちは佐々木先生の下、実に多くの日本の情緒豊かな曲を唱ってきたのです。当時は井上陽水や小椋桂のアルバムが大ヒットし若者の音楽として大きな存在感だったのですが、そんな中私たちはアカペラ合唱で歌う日本の情景を唱った曲に浸かっていました。山田耕筰をはじめとする日本の作曲家の名曲の数々、民謡の「もつこ」・「南部牛追唄」・「稗搗節」等々、童謡の「どんぐりころころ」・「まりと殿様」・「ずいずいずっころばし」・「通りゃんせ」等々、「汽車ぽっぽ」も童謡になるのかな。そしてこのブログのタイトルである「すすき」も名曲です。

現代の子どもは汽車を見たことがないのだから、「汽車ぽっぽ」も消えてゆくのは仕方がないといった言葉を聞いたことがあり、なるほどなと思ったこともあります。でもやっぱりこんな曲、残ってほしいですね。「すかんぽの咲く頃」の、

土手のすかんぽじゃわさらさ
昼はほたるがねんねする
ぼくら小学尋常科
今朝も通ってまたもどる
・・・・・

なんていうのは私たちの世代から見ても古い情景です。でも、なんともいい光景が心の中に広がります。
「かえろかえろと」の

・・・・・
はたのタマネギ たたきたたき帰る
・・・・・

なんていうのもいいな。挙げるときりがありませんね、これら名曲の数々、残していただかないと!

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第5回さらりと音楽談義

行ってきました、今回のテーマは「音楽」。

参加者の一人の提案で、フランスでのテロの犠牲者への黙祷ではじまりました。テロについても話題となりました。力で解決はしない、テロの発端は貧困、だから貧困をなくすことこそ大切だと。

音楽とは、元来科学も天文学も含んでいた、森羅万象あらゆることが音楽であったとのこと。音楽とか天文学とか、なにかと分けたがる傾向があるがそれは好ましくないというようのおはなしがありました。アメリカは最初から違う民族・人たちが集まっているが「分けたがらない

」。しかし日本人ははじめから単一民族、みんな一緒なのに「分けたがる」のだそうです。音楽からはじまって、音楽を超えた広い範囲のはなしに広がってしまいました。

「みんなどんな音楽を好んでいるのか」という一人の問いかから、
「私たちは日本の音楽、芸能を理解していないことに気づく」

との話があり、そこから日本の伝統文化・伝統音楽の話に。

「明治期、西洋音楽が入ってきて日本人は劣等感を持ってしまった。」
「日本は西洋音楽を取り入れようとした。」
「日本の音楽、邦楽などは西洋音楽からみると独特のもの、西洋音楽の合理性にはまらないものがある。」
「わらべうたなどもなくなってしまうのではないか。」
「それは教育方法にも責任がある、日本の名曲『荒城の月』も教科書からなくなってしまった。」
「しかし本物は残さなければいけないし、残っている。快いもの・美しい状態を人間は共通して持っている。だから本物がなくなることはない。音楽が変わってきていると言っても表層が新しいものに変わっているだけだ。」

等々。

今回は「音楽」という大きなテーマでしたが、ここに集まってくるのはそれぞれが音楽好き、音楽を話し出したら止まりません。先生だけでなく次々と参加者が発言して今回の会は展開しました。このような会になっていくのも、私たち素人のはなしを受け止めてくれる藤原先生の人柄が大きいように感じました。話していてあっという間に終了予定の時間を過ぎてしまい、先生が

「じゃ、今日はここまで」

となったのですが、そこは先生の音楽を楽しみに来ている人たち。

「そんな~!」
「一曲お願いします。」

と。そこで先生も、

「じゃ、即興。」

と、ヴィオラ・ダ・モーレを演奏してくれました。話題の端にのぼったシェーンベルの12音階を意識されたものだったのでしょうか。落ち着いた調正というのとはちょっと違った曲、弓は通常、駒のネック側をこするものなのでしょうが、時には駒を乗り越えてあご当て側を動いたり、同時にピチカート風に指で弦をはじいたり、さらにはネックの裏側に出ている共鳴弦も指ではじいたりと

、まさに自由自在の演奏。曲が終わった後、

「こういう奏法があるんですか?」

との質問には

「あるんだよ」

と平然といいながら、「何でもあるんだよ」と。そんな即興演奏でこの日の会は終わりました。

5thさらりと1

いつも楽しみな今回の会場の装飾。円形に並べた長机の中央に長机を2脚、その上にこんなものが。黄色い色はイチョウお葉で周囲には松かさのようなものが配置、写真に映っている以上にきれいだったんですよ。

後輩達と

かつて一度書きましたが、私が卒業して間もない頃に一緒に男声合唱を楽しんだ後輩の仲良し四人組。毎年集まりをしているその輪に今年は私も入れてくれるとのこと。立川で一泊して翌日は国分寺・分離唱の合唱に参加という計画に私も飛びつきました。

彼らは大阪・岐阜・愛知・宮城からそれぞれ上京、上野:国立博物館やら浅草やらスカイツリーやら東京観光を楽しんで、夕方に私が合流ということになっていました。そんな彼らが上野公園の雑踏の中でかつて一緒に唱った彼らの一年後輩にばったり会ったとか。その後の予定を変更して公園内で座るところを探してしばらく旧交を温めたそうです。私に声をかけてくれたことといい、本当に温かい友人達です。

ホテルで合流してすぐに居酒屋へ、実に様々な話題が飛び交うのですが、出た話題の一つが映画「じんじん」。映画の内容からドリアン助川さんの絵本の話、剣淵町のはなし、そしてNHK「小さな旅」のはなし(これは私が紹介)。こんな話で盛り上がる我々おじさん達、改めて考えるとあの剣淵の居酒屋で絵本を語っているおじさん達とそんなに違わないではないですか。「うん、これもいい光景だぞ。」と。4時間ほどの楽しいひとときはあっという間でした。

そして宿に帰ってまたまた持ち寄ったお酒を飲みながら延々と。なんと言っても一緒にハーモニーを楽しんだ面々、話は尽きません。もちろん、かつて私たちの輪の真ん中にいて2年前に亡くなったKさんのことも。翌日の合唱に差しつかえるからと午前2時に散会しました。

翌朝は雨、朝食後都合で帰るKさんを送ってからまた部屋に戻って30分程唱ってみました。なんと言っても久しぶりの合唱、耳が戻るかどうか心配なのです。で、ソプラノもアルトも男声で讃美歌を数曲。

「ウーン、どうかな?」

というところでしたが、ほどほどに切り上げて早めに国分寺:佐々木先生宅に向かいました。国分寺の合唱の指導者Mさんの大鉈に期待です(笑)。

さらりと音楽談義(第4回)

第4回の「さらりと音楽談義」がありました。「音楽家:藤原義章さんといっしょに、演奏やお茶とともに、このよのまざまな事物をモチーフにして展開する気軽で楽しい談話会。」とはチラシから。私たち夫婦は二回目の参加です。今回のモチーフは「真似る」。

五輪のエンブレムの盗作騒動の話題からはじまりました。音楽の世界でも「全くのオリジナルで創作するというのはもはや不可能ではないか」とのこと。長い歴史の中で創作のアイデアは出尽くしている、だからなにかしら「真似る」部分が出てしまうのはやむを得ないとのこと。大作曲家のブラームスも親しくしていた弦楽奏者から訴えられたことがあるとか。ヴィオラの接着に化学的な接着剤でなく膠が使われる、はがしやすいことが修理できることにつながる。ブラームスとその友人とのつながりも強固な接着剤のようではなく膠のようにゆるやかなものだったんだと、こんな調子でユーモアも交えながらの音楽談義、たのしい時間です。

会場は南アルプス市の小笠原というところ。私は知らなかったのですが、この地域の人の間ではよく知れ渡っている歴史上の人物:小笠原長清についても話してくれました、郷土の英雄かな。平家に仕えていたが源頼朝の挙兵にともなって源氏についた人物、長野の深志城や高遠城も一族の小笠原氏が治めていたとか。流鏑馬をはじめ、広めたのも長清だとも。

この日もヴィオラ・ダ・モーレという楽器を持参して、音楽談義の合間にこの楽器で曲を弾いてくれます。先月予告してくれていたカザルスで有名なスペイン民謡「鳥の歌」、それから「南部牛追歌」。岩手の南部と山梨の南部のつながりにも話が及びました。

そして締めもやっぱりヴィオラ・ダ・モーレの演奏、

「愛の喜び」
ブラームス「ハンガリー・ダンス6番」

これで終わりかなと参加者の談笑のはじまる中にも「小さい秋」、でもこの曲の途中にちょっとだけ「夏の思い出」が登場したりして自由にアレンジを楽しんで聴かせてくれたのかもしれません。

4thさらりと音楽談義

今回はサークル状に長机をならべて参加者の顔を見ながらの談義。終わってみると壁際に花瓶にきれいに花が生けてあるのに気づきました。今回は花屋さんから調達してくれたのでしょうか、きれいな花です。スタッフの方々の心遣いにも感謝です。

絵本の町:剣淵

18日朝、NHKテレビ「小さな旅」を見ました。今回は、

ようこそ 絵本の町へ
~北海道 剣淵町~

というタイトル。以前に映画「じんじん」を見ましたが、この映画の中に登場する町です。

絵本で町おこしをした町。子ども達が木の下に座って絵本を広げています。一人で読んでいる子、グループで一つの本を囲んでいる子、そんな光景が自然にあるようです。町立図書館:「絵本の館」は全国でも有数の絵本専門の図書館。館内では声を出して読んでいいということで、子ども同士て輪になって読み聞かせをしていました。木製の壁で小さく仕切られたコーナーには絵本を持ち込んで楽しんでいる親子がいました。

なんと言っても魅力的だったところ。農家のおじさん達が居酒屋のテーブルを囲んで和やかに飲みながら食べながら語らいながら脇のバックを開く。と、何冊かの絵本がはいっていて、その中の一冊をとりだして語り出します、「はなさきやま」。するとまた別のおじさんがちがう絵本を、なかには手ぬぐいで鉢巻きをしたジャガイモ農家のおじさんがジャガイモを題材にした絵本をやっぱり読み聞かせ。こうしておじさん達が長年にわたって互いに語り互いに聴き合って自身の読み聞かせを高めてきたのだそうです。その楽しそうなこと。

長年読み聞かせボランティアをしてきた農家の主婦の方の小六の娘さんは自分でも読み聞かせをしたいと幼稚園で読み聞かせデビュー。その前にお母さんと一緒に図書館「絵本の館」に行って二人で絵本選び、本を手にとってページをめくる度に母子が交代で声を出して読んでいる姿もよかったな。家では家族を相手に練習、お母さんからの助言。そして当日・・・・。こうして絵本の文化、読み聞かせのこころが次の世代に育っていくんだな~と思いました。

番組中で言ってました。このまちでは絵本が、読み聞かせが、「当たり前の存在としてある」と。町にすばらしい文化を育てたんだなと思います。

 

ところで、「当たり前の存在としてある」という言葉に私の中に浮かんだことがあります。聴き合って唱って生まれるハーモニーのこと。分離唱の教育で生まれるハーモニー、学校教育で耳が育った人が次々と生まれてくる。その結果としていつでもどこでも当たり前のようにハーモニー。そんなことを佐々木先生は願ったんだろうな、なんていう思い。当時先生の口から聞かれた「合唱村」、ちょうど剣淵の絵本・読み聞かせを分離唱の合唱に置き換えたような夢でした。私たちには学生時代、毎日昼休みの30分間の合唱、そして水曜夕方の1時間半、土曜午後の3時間。そんな聴き合って唱う時間が当たり前のようにありました。そういう当時当たり前だった環境も、なくなってしまって初めてその大切さに気づかされます。一緒にハモれるひとが次々と学校から生まれてきてくれたらな、とそんな願望が私の中にもあります。

高校時代に山形の高校の分離唱教育で育った方達、数年前都内での演奏会を聴いた帰りのこと、マイクロバスでの山形への岐路に退屈だろうとお酒の差し入れがあったとか。でもこの人達は山形まで唱い通したそうです。そして私たちの同窓会、次々と第二の人生の年を迎える私たちもまた「集まればハモるのがあたりまえ」なんていえないこともありません。私たちの夢も全く実現できていないわけではないのかな。

八ヶ岳音楽祭

八ヶ岳音楽祭

「八ヶ岳音楽祭」を聴いてきました。北杜市で毎年企画している演奏会で、今年のプログラムは、

ベルリオーズ:序曲<動物の謝肉祭>作品9
フォーレ   :「レクイエム」ニ短調作品48
フランク   :交響曲ニ短調

私の関心はなんと言ってもオーケストラ版のフォーレのレクイエムでした。職場の先輩が「今年唱うんだ」といいうのを聴いて、「じゃ、聴きに行きますからね」と言ってきたのでした。学生時代私たちが唱ったのはピアノ伴奏、2年ほど前に女声合唱で聴いたのはパイプオルガンの伴奏で、オーケストラを背景にした生演奏ははじめてでした。

ホールは7~800席と言うところでしょうか、木造で内装も木で囲まれた落ち着いた雰囲気のホール。オーケストラのみの<動物の謝肉祭>のあとレクイエムには編成をちょっと小規模に、それから小さなオルガンを持ち込んで準備完了。まず合唱団が入場、テナー・バスともに20人弱に対してソプラノ・アルトは40人超。イベント的な大合唱ではこういう編成が常でしょうがそのアンバランスを視覚的に少しでも和らげるのでしょう、ソプラノとアルトの間に男声が挟まる形で並びました。オーケストラの奏者が入場、そしてソリスト・指揮者が入場して始まりました。

やはり大分感じが違いますね、オーケストラ版のレクイエム。ピアノでやったときに比べるとゆったりとした感じの曲作り。ラテン語の発音が違っていたりと余計なことで気になった部分もありますが、やっぱり名曲です。久しぶりに味わいました。

休憩時間、小用に出るとそこで昔私たちが歌ったときバリトンソロを歌った友人、それから私の2学年下の学生指揮者をしていた友人(どちらもKさん)とばったり。

「今日は唱うんじゃなかったの?」
「Kさんのソロの方がよかったよ。」
「唱っているよ、一番前(の客席)で、心の中で」
「どうりでソロがよかったね。」

等々、久しぶりの再会に軽口の応酬を楽しみました(笑)。

最後はフランクの交響曲ニ短調、はじめて生で聴きましたが、こうして聴いているといろいろな楽器の音がわかるものですね。

「あ、オーボエ。」
「今度はフルート」
「ホルンだ」
「今ハープが鳴ってるな」

なんていう感じです。

私たちが一年間しっかり唱ったレクイエムは懐かしさもありますが、聴いているとハーモニーの雑な部分も聞こえてきてしまします。今になっても染みついているものはあるようです。ですから、オーケストラ曲の方が余計なことを考えずに楽しめたようにも思います。

「これからは、たまには生のオーケストラも聴きたいな」という気持ちもわいてくる演奏会でした。

フォーレ「レクイエム」

職場の先輩が今、合唱をしています。学生時代には男声合唱団に所属していた方ですが、定年退職を迎えた後にまた始めたのだとのことです。その団体の方針なのでしょうが、毎年ある八ヶ岳音楽祭という企画に参加し、今年はフォーレの「レクイエム」を唱うのだそうです。私も学生時代にピアノ伴奏で唱ったこの曲には特別なおもいがあります。今回はオーケストラ伴奏でとのこと、今年初めにそんなことを聞いた私は「聴きに行きますからね」と。そのコンサートが10月12日、今日そのチケットをその先輩から入手しました。楽しみです。

八ヶ岳音楽祭

 

チケットを受け取りながらその先輩と話しました。普段は月2回の男声合唱。団員は7人で1stテナー1、2nd2、バリトン2、バス2の編成だとか。こじんまりと楽しそうです。うらやましいなと思いながらも、練習は発声・パート練習、そして合唱と、そんな話を聞くとやっぱり私には抵抗があるだろうなと思ってしまいます。

さらりと音楽談義

友人の紹介で、「藤原義章さらりと音楽談義」という催しに行ってきました。

会場は地域の集会所のようなところ、正方形状に集めた長テーブルを囲んで、音楽家:藤原先生を囲んでいろいろなおはなしを聞き、音楽を聴かせていただくという催しです。

10分ほど前に会場にはいると参加者はまだほとんどおらず、主催者の方がテーブルの上に自然の花を集めて生けていました。そしてできあがったお花、背後の照明の前でいい感じでした。

音楽談義1

おはなしは、「クラシック音楽はいつごろ日本に入ってきたと思いますか?」との質問から始まりました。多くの人が明治時代と考えていた中、答えはなんと1500年代、武田信玄の時代だったそうです。九州のキリシタン四大名がヨーロッパに派遣した四人の少年使節、歴史でちょっとは記憶がありましたが、これらの少年達は音楽を学ぶことを目的にしていった、そして帰国後は秀吉の前で音楽を披露し、秀吉はその音楽が大変気に入って四度アンコールをしたとのこと。しかしやがてはキリシタンは迫害され、この少年達は追放されたり殺されたりしてしまったのだそうです。こんな音楽史の知識も新鮮でした。

バイオリン、ビオラ、チェロはバイオリン族と呼ばれる兄弟のような楽器群。しかしコントラバスは別の流れの楽器で、こちらはヴィオール族。楽器の構造がちがったり、作り方もかなり違うようです。ここでヴィオール族の楽器:ヴィオラ・ダモーレの登場。

音楽談義2

ヴァイオリンの胴の上面は板を変形して作るらしいのですが、こちらは厚い板を彫刻して作るのだそうです。ヴァイオリン族は四弦と決まっている(これも知らなかった)が、こちらは七弦が張ってありさらにそれらの下に何本かの共鳴弦が張ってありました。楽器に共鳴弦をつけるという考え・技術はアジアからヨーロッパにもたらされたとか、さらには弦楽器のルーツは狩りの弓矢の音にはじまるとか、洞窟が風で共鳴して音が出る、それがフルートのルーツだとか。はなしは多方面に発展して尽きることがありません。

この楽器の先端にはエンジェルが彫り込まれていました。背後を見ると羽がついているのです。

音楽談義3

日本ではここに11面観音の顔が彫り込まれているものもあるとか。ヴァイオリンが一方では量産化(もちろん職人芸のものもあるでしょうが)されていったのに対し、ヴィオラ・ダモーレは今も職人芸で個性的に制作される色彩が強いようです。

最後に、藤原先生がこのヴィオラ・ダモーレを演奏してくれました。聞き覚えのある一曲と、この楽器のために作曲された少し長い狩りの曲の二曲。

藤原先生の人柄もあり、2時間がこの会の名称の通りたのしくあっという間の「さらりと音楽談義」でした。

「心の時代」、そして絶対音感と相対音感

心の時代「心の時代」
さだまさし
サンマーク出版

1998年発行のエッセイ集です。まえがきとあとがきによると、「心の時代」というニューアルバムと、同題のコンサートツアーと連動して、強く「心の時代」を訴えたい。そこで「同じタイトルの本を」ということになったのだそうです。「3日もあればいいんだからさ」と豪語して始まったこの企画、そしてなんと2週間で200ページ超のこの本書き上げたのだそうです。

そう書くのは著者の勝手ではありますが、次はどんな味わい深い文章だろうと期待して本を手にする立場からするとちょっとしらけてしまします。睡眠不足をおして短期間に強引に書き上げた作品、じっくり味わって読もうなんていう心は失せてしまいます。そこで私もこの本は拾い読み、でした。

この中に「絶対音感」と「相対音感」のことがかかれていました。著者によると、

「絶対音感」とは、どこかで何かの音がしたとき、その音がピアノの鍵盤で言えばどの音なのかが「判別できるだけの音感」

「相対音感」とは、たとえばどこかで何かの音がしたとき、仮にその音の名前はわからなくても、何かで(自分の声やそばにあるピアノなど)その音を“再現できる”音感

子どもの頃からなら比較的簡単に「絶対音感」は得られるが、「相対音感」は教育ではなかなか得難い。

のだそうです。私なんか「絶対音感」は才能に恵まれた特定の人にだけ与えられているもので、「相対音感」は特別の才能がなくても身につけることができるものと思っていたのですが、この著者のことばによると全く逆のようです。世間の多くの人は私のように考えていたと思うんですがね。でも、少年時代からヴァイオリンの英才教育を受けて音楽エリートをめざしていた著者のことば、「そうなのか!」と驚きでもあります。

Bluetoothスピーカーに苦戦

友人がBluetoothスピーカーなるものを見せてくれました。このときはスマホで鳴らしてくれたのですが、なかなかの音質、しかも無線、そしてコンパクトなボディーで気に入りました。このとき見せていただいたのはB○○○の製品でヒット商品であったようです。

 

Bluetoothスピーカー私はICレコーダーで録音、パソコンに取り込み、CDへの焼き付けを度々行うのですが、その過程でパソコンでちょっといい音で聴きたいなという欲求がありました。そこで私もネットで価格の割に評価が高そうなこの製品をBluetoothのUSBアダプタと併せて購入しました。

我が家でこの設定に取り組んだのですが、うまくつながりません。職場のパソコンに強い人にも見てもらったのですがなかなか手強いようです。どうもパソコン側の問題であるようです。購入したお店に相談したいところなのですが、パソコンとUSBアダプタ、それからスピーカーとそれぞれメーカーが異なり、販売店が十分な対応をしていただくことも難しそうです。ネットで見るとレジストリ・エディタを使うようなことも書いてあり、これは私には手に余る内容です。

取りあえず有線でつないで鳴らしてみましたが、こちらは無事鳴ってくれました。あとは、「困った時の息子頼み」、長男の帰省を待つことにしました。