カテゴリー別アーカイブ: 音楽:梨大合唱団

日唱のコンサート

この年、日本合唱協会のコンサートがあり、多くの友人達と聴きに行った。夏合宿よりもまえだったかも知れない。指揮は増田順平さん。私たちは増田順平編曲の合唱曲集「からたちの花」をこの頃すでに何曲も唱っていたのだが、このコンサートでもこの曲集のなかから多くの曲を聴かせてくれた。当時は知らなかったが、増田順平さんもまた佐々木先生とつながりのある人だ。もう少し詳しくいうと、先生が私たちの合唱団にみえるまえに指導していた山形南高OB、その学校の卒業生だ。卒業後OB合唱団に所属したのかどうかは知らないが、増田順平さんもまた分離唱を取り入れた合唱指導をしているらしい。

この時の演奏、先生が違うと同じ曲・同じ編曲でもずいぶんと違うものだと思った。増田順平さんの編曲は洒落たものが多く、そういったところを「うまい」とうならせるような演奏だった。しかし、日本の情緒を感じ、感性に直接響いてくる先生の指揮による演奏とは随分違う、多分に技巧的な印象だった。そういえばこの頃、この団体の「からたちの花」のLPレコードも発売されており、聞いた記憶がある。

夏合宿 その4

 話を戻して1年目の夏合宿、合宿最終日はもう練習がなく荷物をまとめて帰るだけである。先生はその前日いっぱいの指導を終えて東京に帰ることになった。夕闇につつまれた頃、寺の境内に全員で見送りに出て、自家用車に乗り込むまでの間みんなで何曲か合唱をした。唱った後、先生は私たちに出会ったことの喜びを語られた。しんみりとした雰囲気の中で、先生の「皆に会えてよかった」「みんないい人間になってくれよと」いう言葉に男性団員の一人が感極まって「先生!」と叫んだ。先生の著書「耳をひらく」にも記されているあの場面に私もいた。

丸坊主、後日談

 1年目の先生は厳しかった、だからみんな先生の注意には襟を正した。結構怖かったのも事実だ。「男性はみな坊主頭」がいいと先生がいうのも全くの冗談ではないことをみんな感じていた。2年目からの先生は、1年目ほどの怖さではなくなった。2年目になってから入団してきたある男子学生はそんな先生の怖さは知らなかった。2年目の夏合宿で、夏休みを終えて合宿で久しぶりに見たこの方は何とパーマをかけてきた。そしてこの年の合宿では、先生が新入団員には全員面接をすると言い出した。彼は面接の対象者である。周囲の者はこのパーマに先生の怒りが爆発しないかと内心心配したものだ。しかし、面接は何事もなく無事終了した。

夏合宿 その3

 先生の話されることは、音楽ばかりではなかった。「食」についても非常に強い関心をもっておられ、玄米菜食を実践しているはなしを聞いたのも印象的である。タンポポが食べられることも初めて知った。玄関やトイレの履き物を履きやすい向きにそろえておくことを求められ、洗面時に水道水を出し放しにしていると怒られた。高度成長期に科学万能のような考えや民主的な教育で育った私達に、突然従来からあった日本の文化を突きつけられたようなものだったが、それについて抵抗感を抱いた人はいなかったように思う。ただし、「男性はみな坊主頭」という先生の理想(?)に従う人は誰もいなかった(笑)。

夏合宿 その2

 この合宿、先生ははじめから(だったと思う)指導してくださり、このときも次々と新しい曲を譜読みしてはレパートリーを増やしていったように思う。朝から夕方まで先生の指導を受けるのだから、感じることも多かった。詳しいことは覚えていないのだが、この合宿で何か開けてきたような明るい印象を持っている。何の疑問も持たず先生の音感合唱に向かって突き進んだこの時は、私の学生時代の記憶の貴重な1ページだ。夜は班別のミーティングのようなものがあったが、先生は各班にまわってこられて話に加わってくれた。このとき、「今回の休みほど合唱が恋しいと思ったことはない」というようなことを言ったところ先生が突然「何でそういう気持ちを手紙でくれないんだ」と厳しい口調で言われた。そういう便りを待っていてくれ、また便りを非常に喜んでくれた。先生に心を寄せれば、またやさしい心を返してくれる、そんな先生だった。しかし私にはそういう便りを送るような心は育っていなかった。今思うと残念なことである。

夏合宿

大学の夏休みは長い。当時は7月11日から9月10日までの丸々2ヶ月間だった。毎日唱っていた私たちも、夏休みが始まると練習がなくなり9月1日の合宿までは我慢となる。この年の夏休みはいつにもなく合唱が恋しくなった。

その合宿、先生も家族をともなって私たちと同じお寺に寝泊まりした。残暑の厳しい時期だが、ここは河口湖畔の気候もだいぶ涼しいよい環境であった。食事は自炊である、班別に炊事当番が決まっていてメニューや材料などは事前に準備しておき、時間になるとその(男女混成の)班は練習を抜け出して食事の準備にかかる。こんなことも我々にとっては楽しいことであったが、炊事当番が練習の途中で抜けることについて先生は大変嘆いておられた。

またおうひまで

讃美歌は佐々木先生の指導を受けるようになった私たちの合唱団のレパートリーであった。やさしくてハモリやすく美しい曲がいっぱいある。これらの曲は先生がみえるようになってから覚えたものだ。ただし1曲だけそれ以前から団の愛唱歌に入っていた曲がある。「神ともにいまして」だ。「讃美歌の最後はゆっくり伸ばしてハーモニーを感じる」そんな歌い方を当たり前のようにしていたのだが、先生の「神ともにいまして」は最後をスタッカート気味にしてサッと終わる。そんなところにも先生の音楽に新鮮な感動(すこし大げさか)があった。

この曲の中に「また会う日まで」という歌詞がある。それまで「またあうひまで」と唱っていたが、先生は「またおうひまで」と唱いなさいという指示だった。現代の教育を受けた私たちにとってはどう考えても「またあうひまで」なのだが、先生の音楽では「またおうひまで」なのだ。そしてそれを当時の私たちはそのまま受け入れた。このあたりからも、団員の先生への信頼の度合いがわかってもらえるのではないか。もう音楽的には、先生は絶対的存在だった。

青空の下で

 狭いキャンパスから歩いて30分ほどで登ることができる、「○○山こどもの国」の公園があった。その一角には野外ステージのようなところがあり、街を見下ろすことができる場所だった。土曜の練習の後、「これからみんなで行こう。」ということになることがある。山の上にのぼって見晴らしのよいところで、あるいは歩きながら、愛唱歌集や日本の歌・童謡などをうたった。練習と違う開放感と青空の下で唱った合唱はまた思い出深い。今ではこの場所はグロテスクな県立科学館が建ってしまい、当時の面影はほとんどなくなってしまった。

ピアノ

 先生の練習にはよくピアノのお弟子さんが一緒にみえた。そして練習の合間にお弟子さんのピアノを聞かせてくれた。3音くらいを与えて即興的に弾くように指示され、お弟子さんは何度かその3つの音を順繰りに弾いていてそのうちに即興曲に変わっていく、そんな場面がたびたびあった。私はこのようなことがすごいことなのかどうかも知らずに聴いていた。もちろん有名なピアノ曲(私はピアノ曲は知らなかったが)もよく聴かせてくれた。そのお弟子さんたちの演奏がどうなのかもさっぱりわからなかった。私はピアノが好きではないなと、その頃は思っていた。
 そんな中で、先生がピアノを弾いてくれたことがある。たしか、山田耕筰の日本の歌曲の伴奏を弾いてくれたのだと思う。先生のピアノはすごい、私にとっては感性に直接響いてくる魂の固まりのようなピアノだった。録音でもいいから聴いてみたいと思うのだが、先生のピアノ録音が残っているという話は聞かない。

よしきり

先生が私たちの合唱団にみえて、最初に持ってきた曲が「よしきり」と「光のお宮」だった。どちらも三木露風作詞、山田耕筰作曲、佐々木先生編曲のものである。佐々木先生の手にかかると、このようなシンプルな曲が絶品となる。

よしきり

あおい芦原 よしきりが鳴く
きりりきりり よしきりが鳴く
夏の暑さに そよ風吹いて
岸の浜荻 よしきりが鳴く

私はこの曲が好きだ。暑い夏の水辺の涼やかさを感じてしまう。暑さの中を突き抜けるような空の青さ、突き抜けるような涼やかさを感じる。そしてこの曲を感じるためには、澄んだハーモニーが必要だ。