月別アーカイブ: 2006年3月

合併浄化槽の雨水利用

私たちのグループに「雨水利用」を唱える方がいる。雨水の貯水槽をつくって、そこにためた雨水を飲料水としては使えないまでも庭の散水や洗車などに利用するというものだ。この方に、「下水道化にともなって不要となる浄化槽を雨水水槽として利用できないか」と聞いてみた。結果はもちろんOK、そういうことをしている人もいるという。その方にいろいろと資料をいただいた。雨水利用に助成を行っている越谷市についてのものや、県内で実際に浄化槽を転用した方の新聞記事等のものだ。しかし残念なことに県内では全くそのような助成制度はないという。しかし、高価な浄化槽が大きなゴミとならず立派に生きる雨水利用をやってみたいと強く思うようになった。

下水道がやってくる

 現在の場所に引っ越して4年になる。分譲地を購入してやっとできたマイホームである。このときの条件、「近い(数年)うちに下水道のサービスが始まる。そうなったら必ず下水道に接続してもらう。」とのことだった。わずか数年で不要になる高い合併浄化槽を設置しなければならなかった訳である。
 そして1年後(2003年)、地域の公民館で説明会があり「来年5月より下水道の供用開始」を告げられた。
下水道・・・・このおかげで私たちは汚いものから開放され、快適な生活が約束される。ただし、金さえ払えばという条件付きだ。
   森住明弘著「汚れとつき合う 地球にやさしい生活とは」
という本がある。私の好きな本だ。表題からも分かると思うが、この中では過度な清潔好きは返って環境に負荷を与える生活であり、私たちが生活していくのに「汚れとつき合う」気持ちが必要であることがわかりやすく説かれている。そして下水道のことにも触れている。
 合併浄化槽は水の浄化性能を下水道と同等に持っているという。そうなると私たちのように最近設置したばかりの合併浄化槽を殺してしまって下水道に接続することを強要されるのは納得がいかなくなってしまう。説明会に来た役所の人もまた下水道化を決定した人ではない、立場上説明の場に立たされているだけである。不合理さを追求したところで担当の人を困らせるだけである。不合理さを感じながらも、下水道につながなければならない。そのための出費にも納得しないわけにはいかなかった。

よしきり

先生が私たちの合唱団にみえて、最初に持ってきた曲が「よしきり」と「光のお宮」だった。どちらも三木露風作詞、山田耕筰作曲、佐々木先生編曲のものである。佐々木先生の手にかかると、このようなシンプルな曲が絶品となる。

よしきり

あおい芦原 よしきりが鳴く
きりりきりり よしきりが鳴く
夏の暑さに そよ風吹いて
岸の浜荻 よしきりが鳴く

私はこの曲が好きだ。暑い夏の水辺の涼やかさを感じてしまう。暑さの中を突き抜けるような空の青さ、突き抜けるような涼やかさを感じる。そしてこの曲を感じるためには、澄んだハーモニーが必要だ。

私のおもい

このころの練習について、あまりはっきりとした記憶はない。ただ、私の場合は新しい練習方法や先生の音楽の世界に自然にはいっていけた気がする。美しい小曲が次々と歌え、毎週水曜日には先生が東京からみえて指導してくださり、先生の音楽の世界にはいっていられたわけである。なかでも山田耕筰をはじめとする多くの日本的情緒豊かな小曲を感じさせていただいたことが印象的である。ちまたでは某姉妹が日本の小曲や童謡などを歌いもてはやされているが、先生のもとで唱った私たちにとっては何ともひどい歌に聞こえてしまう(比べること自体がまちがいか?)。先生は真の意味で、「日本の心」を伝える音楽家という気がしている。

それから一つはっきりしていることは、私自身が音楽を感じたということだ。私は高校時代も合唱を経験した時期がある。若く頼もしく指導してくれた先生だった。合宿では悲しい曲に気持ちが同化したためか、大部分のメンバーが涙してしまったこともある。演奏会では先生が率先して裏方さんのようなステージの準備をしてくれる姿を見て、感心していた。当時の私にとって、このころの音楽体験には非常に満足であった。ところが佐々木先生の音楽は違った。とにかく直接感性に響いてくる、感じてしまうのだ。音楽を感じてしまう私にとって、これが音楽としかいいようがなかった。楽しい仲間と唱う、みんなで演奏会を成功させる、こういったことで音楽を楽しむことも当然ある。しかし佐々木先生の音楽は、「音楽」そのものを感じるものであった。

毎週水曜日

この年、先生は水曜日の練習に毎週みえた。奥様と幼い娘さん二人をつれ、自家用車でである。それから当時ちょっとしたヒット商品であったろうが、ソニーのカセット・デンスケという革製ケース入り携帯用のカセットデッキを肩から下げてきた。そして、いつの練習もこれに録音されていた。

70才超の先生にとって東京からの運転は大変なことだったと思うが、私たちの合唱団に本当に情熱を注いでくれたと思う。それだけに、練習には厳しかった。特に旋律を唱うソプラノには厳しかった記憶がある。先生の指導は技術的なところではなく、むしろ人間的なところに向けられる。印象に残っている言葉としては、まず第一に「聴いて聴いて」だ。この年、先生は徹底して「聴く」ことを教えてくれたように思う。それから「お話しとおんなじだよ」ということ、「聞いている人に言葉がわからなければいけない」とも言われた。「うたやいいんでしょ」という乱暴な唱い方を戒められ、小さな声でそっと唱ってみせて曲の中で語ることを教えてくれた。そして良くないときには「全く冷淡だよねー。」とため息をつくように言われた。だから先生からは音楽と一緒に人間的な部分、人間性というようなものについて教わった気がする。