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手作り絵本展

手作り絵本展1
手作り絵本展の評判を聞き、見に行きました。場所は甲府市立図書館の展示室、磨きコンクリートの飾り気ない壁の入り口に手作りの看板が出ていました、
「私のつくった絵本展」。

手作り絵本展2
中に入ると、こぢんまりした部屋の中央に長机三脚を中央に三角形に並べてその上に絵本が展示してありました。白地の上にカラーのテーブルクロスがあったり、絵入りのテーブルクロスを使ったり、本の配置にも工夫を凝らしていました。女性や子どもが見入っていてなかなかいい雰囲気です。
このテーブルはこの一年間の作品の展示。家族のことを扱ったもの、一年間描いた絵を写真におさめて絵本に仕上げたもの、TVを含めて出会った印象的な人を綴ったもの、版画を駆使したもの、そして本格的に創作絵本に挑戦した作品と、制作した人それぞれの個性があり面白いものです。

手作り絵本展4
奥の壁の大型のこの貼り絵は会員の皆さんの合作なのだそうです。この貼り絵について聞いてみました。
「特に題はないけれど、曼荼羅をイメージして描いたということです。
地球、宇宙に生きるもの(人間を含む)を各自で描いて、地球、空を
イメージした背景に張っていった。水彩絵の具の使い方の勉強だっ
たので、背景は水でにじませた紙に絵の具をおいていった。」
ということです。

手作り絵本展3
その壁の下にはこの会のベテランの方3人の歴史を物語る力作が数多く並んでいました。中には子どもの作品も並んでいます。家族みんなで手作り絵本を楽しんでいるんですね。壁にはその方々のプロフィールもありました。
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「雪とパイナップル」

先日、鎌田實さんの本を1冊読み終えました。読んだ後にじんわりと充足感を味わえるエッセイがたくさん詰まった本でした。昨日だったか今朝だったか、その鎌田さんがテレビに登場していました。東北大震災の被災地でおこなっている医療ボランティア活動、そこでのさまざまなことが映像とともに紹介されていました。
そこで今日、図書館で聞いてみました。

「鎌田實さんの本はないですか?」
「ありますよ。」

と答えてその書架に案内してくれ、そこにはエッセイ集が3冊並んでいました。そして、「確か他にも・・・・、チェルノブイリの・・・・」とまた別の書架に移動して見つけてくれたのがこれ、
雪とパイナップル雪とパイナップル
鎌 田  實 著
唐仁原教久 絵

チェルノブイリ原発事故の被災者への医療ボランティアで出会った白血病の子供とその家族の闘病のこと、子供を亡くした後の家族との交流のことなどをつづったものでした。でも、詳しく書くのはやめておきますね。あとがきにあたる「旅を終えて」にはこんなことばが載っています。

幸せは、もしかしたら
幸せをめざしているプロセスのなかに
あるのかもしれない・・・・
・・・・
悲しくて、切なくて、美しい話でした。
こんなジャンルがあるかわかりませんが
大人が読む絵本というカタチにしました。
かつて子どもだった大人たちに読んでもらいたい。
ジワジワと若い人にひろがっていって
大人から子どもたちに手渡され
本の好きな子どもたちがいつか読んでくれるようになったら
こんなうれしいことはありません。
・・・・

生命と向き合うすばらしい仕事・ボランティアの活動をされている鎌田さんだからこそすばらしい出会いがあるのでしょうね。こんな魅力的なおはなしをありがとうございました。

「宮廷道化師 ミムス」

ミムス「宮廷道化師 ミムス」
リリタール 作、 木本 栄 訳

この本を先週末から読み始めました。王子さまで育った主人公のゆったりした話しで始まったのですが、それから急転直下のどん底に転落。このあたりからはもう話しの中にひきこまれて・・・・。あまりあらすじはやめておきましょうね。

昨日の人間ドック、この本を持っていって検査と検査の合間、食事の時間、それから医師の面談までの待ち時間、バリウムをスムーズに出すようにと傍らにほうじ茶をおきながら読みふけりました。おかげでこの日読了、久しぶりに話しの世界に没頭しました。

元はドイツの小説、言葉のやりとりの機微で生活の糧を得ている道化師、その会話の諸々をうまく翻訳するのは大変なことだったんでしょうね。訳本の多くは読みにくいものですが、翻訳とは思えないような文章に引き込まれました。満足・・・・。
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雪わたり

雪わたり
家内が友人から宮沢賢治「雪わたり」を借りてきました。
絵本というのはものによっては何回も再版され、その際に画家も変わってしまうこともあるようです。この本の画は堀内誠一さん、かわいい画ですね。1969年初版の本ですから多分今では違う画のものが出版されているんでしょうね。
お話しは北国の冬の景色、一面が雪に覆われて子どもが歩きまわれるほど表面が固く凍ってしまっている情景をうまく描いているものだと感心してしまいます。キツネと交流する様がほほえましいですね。「幻灯」というのがまた忘れかけた言葉でした。
動物と自然と人間の子どもの交流、「どんぐりと山猫」にも同じ雰囲気がありますが心温まる賢治独特の世界ですね。
「キックキックトントン、キックキックトントン。」
が繰り返し登場し、最後には
「キックキックキックキックトントントン。」
とキックが4回、トンが3回。不思議な何ともいえないリズムがお話しの中に心地良く流れていて、印象的な絵本でした。

「戸村飯店 青春100連発」

戸村飯店
妻の友人が「おもしろいよー」と薦めてくれた本、戦争ばかりの記述に辟易としていた「坂の上の雲」に何とか区切りをつけ、こちらを読み始めました。軽いタッチだがおもしろく、一気に読んでしまいました。

主人公が兄弟二人の間を行ったり来たりするのもユニークでした。

高校のクラス合唱に奮闘する場面、合唱漬けだった私には興味深いところでしたね。ここで唱った(と書かれている)「大地讃頌」という曲、よく耳にします。我が家の子どもも学校時代歌ったようですし、授業参観の折にも聞かせてもらいました。中学校の音楽の教科書に載っているのでしょうか。でも私たちは唱ったこともなければ聴いたこともない曲でした。こんな「クラス合唱」を題材にする所なんか女性作家ならではのようにも思います。「ピアノ伴奏者がいて、ピアノと共に曲を盛り上げる、クラス対抗のコンクールで優勝をねらって・・・・、だけど優勝したのはむずかしいアカペラ合唱をしたクラス。」なんていうところ、合唱というイメージは一般にはこうなんだと思います。

アカペラ合唱・・・・やさしくて、素人にも楽しめて、ハーモニーが感じられて。これこそ合唱の代名詞であって欲しいな、本当は。

「坂の上の雲」

年末から、司馬遼太郎「坂の上の雲」を読んでいます。昨年なぜか大河ドラマが早々に終わり、その枠で12月に放送されたドラマ「坂の上の雲」を見ていて読みたくなったのです。幸い図書館にも新しく文庫本が入っていたので借りてきました。
坂の上の雲

なかなかおもしろく読んでいたのですが、ドラマの方が話は終わってないのに途中で終了してしまいました。ドラマが終わってしまうと途端に読みたいという欲求が薄れてしまいました、わがままなものですね。しかし、先日の連休(土日)にまた読書の時間をまとめてとったところ、再びこの話の世界に戻ることがてきました。
小説の舞台は明治の初期から日露戦争まで(まだ読み終わっていませんが)です。平和主義者(笑)の私としては、維新から昭和20年の終戦まで日本は一気に軍国主義の道を走った暗い時代という印象を持っていました。小説の中では、文人である正岡子規まで日清戦争に狂喜し争いの取材に出国する事を熱望していました。そこに違和感も感じたのですが、一方で国内の争いに明け暮れていた日本が短期間に近代化をすすめ周囲からあざ笑われるほどの西洋化をすすめて、やがてはじめた日清戦争では意外にも大国:清国に勝ってしまう、そんなことに文人までもが小躍りして喜ぶ様子に「なるほどな」と思ってしまいます。軍国主義への暗い道をまっしぐらというよりは、むしろ新しい国家が形成されていく時代。そんな時代に生きる喜びを人々が感じ、はつらつとして活躍している、そんな明治初期だったのでしょうね。
この小説私が呼んでいるのはまだ第2巻、まだまだ先は長いようです。楽しみです。

「誇り高き日本人でいたい」

今年5月に聞いたC.Wニコルさんの講演会では、会の終了後ロビーで2冊の著書を販売していました。その一冊を図書館で購入していただき、読むことが出来ました。
誇り高き日本人でいたい

内容は著者の生い立ちや日本に来るまでのこと、日本で出会ったすばらしい日本人のこと、そして最後に森の再生のこと。日本国籍を取得し、今では生来の日本人以上に日本人らしいのかもしれません。私たちは「愛国心」という言葉には身構えてしまうところがありますが、ニコルさんには自然な形で心の中に(もちろん日本に対する)愛国心があるようです。

本を読み終えて特に印象に残るのは森作りのことです。講演会の時には黒姫の森の映像もたくさん見せていただきましたが、放任された森でなく豊かな森をつくるための人の関わりのことがこの著書にも書かれています。

こんな話を読んでいるとやはり私の中の山の記憶がよみがえってきます。私の実家は山間地、山の記憶といえば農作業のない冬の間の山仕事についていった記憶ですね。私たちが子どもの頃は炭焼きも盛んでした。部落の共同の倉庫には出荷する炭俵も積み重ねられていました。山では燃料である薪切り、ぼや切り(焚きつけに使う細い枝を集め、切りそろえて束にする)、しょいこでの薪背負い(まきしょい)、植林、下草狩り、木の掃き(落ち葉を集めて家畜のいるところに敷いてあげました)、今思い出すのはそんなところかな。山での収穫が燃料になり、家畜の敷きわらの代わりになり、農作業の資材にもなりました。良質の木材はもちろん建築材です。その基となる植林がなかなかできない私たちの田舎のような貧しい山村でも雑木林が立派に育てば山師に買い取ってもらい、立木のまま買い取ったこの人達は切り倒して大きさをそろえ、トラックに積み込んでパルプ工場に売りに行きました。

そんな山と森と共に生きる術を私たちは全て捨ててしまったのかもしれません。でも、逆に山に頼らなくても生きていける豊かな時代になったのかもしれません。孫の誕生を記念して植樹を考えた父達の頭に描く理想の山は杉や檜などがきれいに植林された山でした。しかし、ニコルさんのおはなしでは豊かな森というのは多様な生物が生きることのできる森で、針葉樹一色のものではなく、樹木も含めて多様な動植物が共生している森のことだそうです。そう考えると、山に頼らなくても済む豊な時代の今こそ豊かな森の再生に力を注ぐことの出来る時代なのかもしれません。

「豊かな森」、魅力的なことばです。

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「十三歳の夏」

清水真砂子さんの「ゲド戦記の世界」の中で何人かの作家が紹介されています。ゲド戦記の登場人物であるテナーのことばを、日本の作家であれば誰に語ってもらうのがいいかと考えたそうです。そんな中に乙骨淑子さんの「十三歳の夏」という作品が登場しましたので読んでみました。
十三歳の夏

親戚に引き取られた女の子の周辺と心情を描いた作品で、十三歳にしては大人だなと思えるような心の風景を描いています。私には清水真砂子さんのように作家の語りがどうというようにはとてもとらえることは出来ませんが、新しい家族の中での心の重たさや以前暮らしていた人たちとの交流の弾むような心など、実にいいなと思いました。
それからこの本の小林与志さんのカットも気に入ってしまいました。

「ゲド戦記」の世界

図書館で「ゲド戦記」が話題になりました。そうすると図書館の方が薄い一冊の本を取り出してすすめてくれました。わずか60頁ほどの、

「『ゲド戦記』の世界」清水真砂子著

です。2006年の講演をもとに編集された本です。早速立ち読みを始めると、すぐに清水真砂子さんのお話の世界に引き込まれてしまいまいした。
「ゲド戦記」の世界

ゲド戦記を読んだとき、やはりその世界にすぐに引き込まれました。翻訳を感じさせない、日本語作家以上にすばらしいことばの世界かもしれません。単なる翻訳でなく、日本語にするときのことばを練りに練った翻訳なんだろうなと思っていたのですが、この本では著者のことばへのこだわりが語られています。

「小さいときからとっても言葉が好きだった。素敵な言葉に会うともう飛び上
がるほどうれしかった。新しい言葉にであうと、それがやっぱり、うれしくて
うれしくて。・・・・」

と語っていますが、そんなこころの世界があるんだなと感心しまいます。

「『ゲド戦記』との30年も、ほんとうに、言葉を探し、言葉と格闘し、言葉と戯
れ、言葉に笑い、言葉におびえ、言葉と和解し、という日々だったような気が
します。」

という文章があり、この章の題は「言葉探しの30年」でした。

「登場人物が成長にともなってことばが変わっていかなければいけない。」

とか、

「この登場人物のことばは日本語作家の誰に語ってもらおうか。」

などと考え、何人かの作家とその著書も紹介されています。
自宅でこの本を読み、家族でこの訳者の言葉の世界を話題にしていると、ことばの世界も素晴らしい広がりを感じさせてくれるものだなと思ってしまいます。

「風が強く吹いている」

先週末は久しぶりに読書でした。読んだ本は、三浦しをん著「風が強く吹いている」です。

風が強く吹いている
たまたま同じアパートの住人となった学生10人が箱根駅伝に挑むという、夢物語です。非現実的ではありますが、才能に恵まれず競技生活をあきらめていた走者が走っている場面の心理描写があったり、天才的なランナーの主人公が自身の心を他人には言葉でうまく伝えることができない葛藤があったりと、単に夢物語が実現していくだけではないおもしろい小説でした。
山梨にも箱根駅伝でおなじみの大学があります。正月2・3日というと、テレビの前に釘付けという人もたくさんいます。小説の中では、高校駅伝に優勝したことのある仙台城西高校なんて名前や甲府学院大の黒人選手が登場したりして笑ってしまいました。こういう箱根駅伝ファンにとっては一気に読んでしまえるおもしろさです。一度読んでみませんか。