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「今様」

通勤途上の車の中で久しぶりに今様(混声合唱)をききました。私たちが分離唱の合唱で唱った録音です。弦を張ったような緊張感のあるユニゾンではじまり、そこからハーモニーに音が広がっていくこの曲は独特のおもむきがあります。平城の盆地に立ち、周囲を見渡すとゆったりとした奈良の山々が春霞の中に見わたせる、花の季節には山肌に桜が咲き誇る、そんな万葉でもうたわれている古代の大和の風景が思い浮かびます。

今となっては時すでに遅いのでしょうが、君が代論議がありました。「君が代が国歌としてふさわしいかどうか」、というものです。君が代で歌われている世界が国歌としてはどうかと疑問があるところですが、ではどうするか。「新しい国歌をつくる」とか、「『さくらさくら』を国歌にする」というい主張もありましたね。そんなことを聞きながらかつて私が思ったのは、「『今様』こそ国歌にどうだろうか」ということでした。曲の優雅さ、日本古謡独特の旋律、古代日本を代表する大和の風景、こんな日本的な要素にあふれた「『今様』こそ国歌にふさわしい」と思ったものです。

    はるのやよいの あけぼのに
よものやまべを みわたせば
はなざかりかも しらくもの
かからぬみねこそ なかりけれ

 ア・カペラのハーモニーの中で唱うこの曲、印象深いですね。

南高OB その4

南高OBのCDがOBの手により製作された。1955年から90年代までの長い年月で蓄えられた録音を5枚組にまとめたものだ。私はこれをOBの紹介で入手した。CD作成に寄せた文章から、作成されたのは1997年か98年頃である。このCDの表装にはOBのメンバー、佐々木先生、森山先生の似顔絵が描かれている。そしてサブタイトルには、「~究極のハーモニーを求めて45年~」とある。分離唱をもとにどこよりも素晴らしいハーモニーを実現したという自信のことばであろう。私がテープで聞いた演奏がたくさん入っており、さらに先生の指導から離れられてからの演奏もたくさんはいっている。指揮者は佐々木先生の他、高校での育ての親の森山先生、南高OBの一人でありこの合唱団を長年指導をされ佐々木先生と深いつながりのあった田島さん、それから増田邦明(順平)さんなどである。プライベートの限定プレスであり売り切れとなったが、その後再プレスしたと聞いている。関心のある方は問い合わせてみてはどうだろうか。ただし、この演奏を聴くためにはモノラル録音をものともせず聴くことができることが必要だ。

南高OBCD

私の場合は、そうなるのにかなりの時間がかかっている。  CDのジャケット。タイトルは

「山南OB Best Colection 126」
~究極のハーモニーを求めて45年~

似顔絵の中央にいるのが佐々木先生、その左にいるのが森山先生と聞いている。

南高OB

先生と深い縁に結ばれた団体に、山形南高校OB合唱団がある。この団体については、私が詳しく知るところではないが、簡単に触れたい。この高校には佐々木先生の音楽教育に共鳴し、分離唱をもとにした音楽教育を生涯にわたって続けた森山先生がいた。在学中に分離唱による音楽の授業を受け、ここを巣立ったOBで組織された男声合唱団が山形南高校OB合唱団だ。先生はこの団体をいつも「南高OB」と呼んでいた。佐々木先生はわれわれの合唱団を12年ほど指導されたが、南高OBは20年くらい指導された。先生とは相思相愛の団体だったようである。高速道路もまだ十分には整備されていなかった頃であろうが、山形へも自身の運転で足を運んだということだ。この合唱団の演奏会が、私たちの団体を指導していただくきっかけになったことは以前にも述べた。時の違いもあり無理なことではあるが、この団体の生の演奏を「自身の耳で聴けていたらなー」と今でも思う。

分離唱合唱団3年目

 この年は小曲ばかりを数多くこなした。讃美歌の多く、この年の特徴である黒人霊歌、日本の童謡などである。この年私にとって印象に残っている曲は何といっても「どんぐりころころ」「まりと殿様」「ずいずいずっころばし」などの日本の童謡だ。いずれも洒落た楽しい編曲で、これらの曲には当時の私たちの合唱団らしさを非常に感じてしまう。
 第3回の東京公演は1回目と同じ朝日生命ホールを会場にして行われ、この年からレコードは定期演奏会と東京公演両方の録音をもとに作られるようになった。納められている曲目も私たちの合唱団らしい小曲がちりばめられ、10枚以上作成されたLPレコードの中でもこのLPは私個人としては最も楽しめる1枚に数えられる。
3年目のレコードのジャケット

夕焼雲

真っ赤な空の 夕焼け雲よ
「カオ、カオカオ」と 蛙が鳴いた
すずしい道は もう日が暮れる
まだ、まだうすい お月が見える
みどりの谷の 花にもうつる
真っ赤な空の 夕焼け雲よ

このころの印象的な曲に「夕焼雲」がある。演奏会のプログラムにものったが、練習の中でも実によく歌った曲だ。テナーソロがはいるこの曲に、当時のテナーのパートリーダーがソロを唱った。声の細い決して声量のない方だったが、この曲の情感をたっぷり味わわせてくれた。この方はこの年で社会人となり、翌年からは声のきれいなバリトンがソロを担当するようになった。先生はこの曲のソロをバリトンに唱わせることにかなりのこだわりがあったようだ。本来テナーソロのこの曲にバリトンを当てた先生には、以前の記憶か何か相当な強い印象をもっておられたのだろう。しかし、わたしにとってのこの曲の情感は、この方のテナーソロと一緒に育っていった。この曲も私たちの合唱団が分離唱の合唱に向かってひた走った頃の忘れられない一曲だ。

分離唱合唱団はじめての定演 その2

 久しぶりにこの録音を聞いた。60分テープ2本のうち、1本目の両面及び2本目のA面がその録音であった。そして、B面には、本番を前にしたステージ上でのカデンツや数曲の合唱が入っていた。こういう意外なソースを発見すると、うれしくなってしまう。カデンツの録音もまたいいものだ(山形の森山先生はカデンツを、「世界で最も小さな名曲」といって指導したそうだ)。たぶん学生指揮者の主導で唱っていたのだろうが、1曲歌い終わると先生が二言三言指示され、そのあとみんなのざわめきとおしゃべりがはいる。一般的にはこんな録音を聞くのは苦痛でしかないのだろうが、その場にいたものにとっては場の雰囲気を丸ごと感じられて楽しいものだ。

分離唱合唱団はじめての定演

1973年12月1日の定期演奏会は、ちょうど第30回の節目に普通の合唱団から分離唱の合唱団に変身した記念すべき演奏会だった。当時合唱といえば邦人作曲家の合唱組曲を演奏することが多かったのだろうが、この時の曲目は讃美歌・外国や日本の小曲ばかりで、特に山田耕筰作品が多かった。そして、一番大きな曲はというとドヴォルザークの「家路」だった。個々に印象深い曲をあげたいところだが、プログラムのほとんど全てが先生の指導一年目の強い印象をもった曲ばかりだ。思いつくままにその曲目をあげてみよう。

「夕焼け雲」、「光のお宮」、「青蛙」、「燕」、「あわて床屋」
「すかんぽの咲く頃」、「雪の降る街を」、「すすき」
「背くらべ」、「待ちぼうけ」・・・・

これらの小曲を先生が一曲一曲紹介しながら演奏会がすすんだ。ステージの合間には先生の手記がアナウンスされ、アンコールもたくさん行った。

録音を趣味として、そのための機材を自分で所持している学生がいた。この時の演奏会の録音はその学生にお願いしたが、この学生もやがては入団し私たちの仲間に加わった。

31thプログラム

秋合宿

秋になると週一回の先生の指導も厳しさを増してきた。だからこの時期の印象は夏合宿の時のような明るいイメージではない。10月だったか11月だったか、多分2泊3日だったと記憶は定かではないが、そんな時期に秋合宿が行われた。もちろん最初から最後まで先生の指導で練習が行われた。会場は大学から10kmほど離れた勤労青年センターで、ここでは食事も食堂にまかせきり、炊事当番が練習を抜けるということもなく、短期間であったが練習に集中できた合宿だった。演奏会に向け、ここで一段と音楽が高められていったのだろう。

この合宿には、先輩が高価なカセットデッキを持ち込んで録音してくれた。このときの録音は、定期演奏会のプログラムと全く同じ順序に記録されている。演奏会からかなり前だったと思うのだが、すでに先生の頭の中にはプログラムができあがっていたようだ。

日唱のコンサート

この年、日本合唱協会のコンサートがあり、多くの友人達と聴きに行った。夏合宿よりもまえだったかも知れない。指揮は増田順平さん。私たちは増田順平編曲の合唱曲集「からたちの花」をこの頃すでに何曲も唱っていたのだが、このコンサートでもこの曲集のなかから多くの曲を聴かせてくれた。当時は知らなかったが、増田順平さんもまた佐々木先生とつながりのある人だ。もう少し詳しくいうと、先生が私たちの合唱団にみえるまえに指導していた山形南高OB、その学校の卒業生だ。卒業後OB合唱団に所属したのかどうかは知らないが、増田順平さんもまた分離唱を取り入れた合唱指導をしているらしい。

この時の演奏、先生が違うと同じ曲・同じ編曲でもずいぶんと違うものだと思った。増田順平さんの編曲は洒落たものが多く、そういったところを「うまい」とうならせるような演奏だった。しかし、日本の情緒を感じ、感性に直接響いてくる先生の指揮による演奏とは随分違う、多分に技巧的な印象だった。そういえばこの頃、この団体の「からたちの花」のLPレコードも発売されており、聞いた記憶がある。

私のおもい

このころの練習について、あまりはっきりとした記憶はない。ただ、私の場合は新しい練習方法や先生の音楽の世界に自然にはいっていけた気がする。美しい小曲が次々と歌え、毎週水曜日には先生が東京からみえて指導してくださり、先生の音楽の世界にはいっていられたわけである。なかでも山田耕筰をはじめとする多くの日本的情緒豊かな小曲を感じさせていただいたことが印象的である。ちまたでは某姉妹が日本の小曲や童謡などを歌いもてはやされているが、先生のもとで唱った私たちにとっては何ともひどい歌に聞こえてしまう(比べること自体がまちがいか?)。先生は真の意味で、「日本の心」を伝える音楽家という気がしている。

それから一つはっきりしていることは、私自身が音楽を感じたということだ。私は高校時代も合唱を経験した時期がある。若く頼もしく指導してくれた先生だった。合宿では悲しい曲に気持ちが同化したためか、大部分のメンバーが涙してしまったこともある。演奏会では先生が率先して裏方さんのようなステージの準備をしてくれる姿を見て、感心していた。当時の私にとって、このころの音楽体験には非常に満足であった。ところが佐々木先生の音楽は違った。とにかく直接感性に響いてくる、感じてしまうのだ。音楽を感じてしまう私にとって、これが音楽としかいいようがなかった。楽しい仲間と唱う、みんなで演奏会を成功させる、こういったことで音楽を楽しむことも当然ある。しかし佐々木先生の音楽は、「音楽」そのものを感じるものであった。