特集 “野の花”のごとく (その8)

   東混での成果
 増田さんと東混の話は、まえに書いた。増田さんは、この一年ほどまえから、再び、佐々木基之氏のもとにレッスンに通いはじめているそうだ。佐々木氏の音感教育とは″音に感じる″ことだという。物理現象の音を、人間の精神の高さまで引きあげ、それによって創造しようとするものだ。東混の指導にあたっていて、彼はさらに高い飛躍の壁に行きあたったのかもしれない。
 増田さんの話の最後に、彼が東混でやっている佐々木氏の音感教育の方法を、紹介することにしよう。
 現在東混では、増田さんの他に二人のトレーナーをおいて、この分離唱を行なっている。四十名近くの団員を三分して、ひとりが十二、三人を受けもつことになる。これくらいだと30分くらいで指導しやすいとのことだった。
 まず、ひとりひとりに分離唱を行なう。CEGの三和音を分散和音でなくひき、その余韻を利用して、その和音のなかにとけこめるようなC、E、Gを反復うたわせる。そのためには、よく耳をすませて和音を聞かなければならない。その和音に関する限り、CもEもGも一定の音しかありえないから、もしそれを数人で斉唱させたとしたら、結果は、一本に統一された美しいユニゾンの線が得られることになる。各人が、和音のなかでとらえた自分の音がどんなものか、これは決して単音練習から得られるものと同じではないことを知るのだ。平均率に調律されたピアノ(これも絶対にすべての音が平均率に等分されているとはいえない。調律が調律師の耳と技術でなされる限り、また、使用したあとのピアノでは、狂いはだんだんにひどくなるものだ)を手段に利用することによって、人間の自然感覚のなかの純正調を引きだすわけだ。人間の自然な感覚に依存すればいいのだから、こんな簡単なことはない。むしろ平均律にあわせることのほうが、百分の何パーセント狂わせることのほうが、はるかにむずかしいものだともいえる。

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