特集 “野の花”のごとく (その6)

   増田青年の情熱(続・続)
 この日、増田さんは、上京の連中と一緒にうたった。美しく乱れることの知らないハーモニーは、一層のみがきさえかかっていた。専門教育を経た彼なのに、なにか、このズプなアマチュアの連中から、無言の威圧さえ感じられたものだ。こういったことにも、彼が東混を作るための動機がひそんでいたのかもしれない。
 なつかしいOBたちの話では、この演奏会のために、佐々木基之氏にわざわざ山形まできてもらった、ということだった。そして、上京に先だって、夏、山形市での最初の演奏会もやってきたそうだ。度胸だめしといってはわるいが、近郊の小中学校まわりも数回試みたという。話をきくうちに、増田さんは、彼らとの縁が、簡単にたち切れるものではないのを感じたものだった。
 増田さんと同じように、在京のかってのコーラス部員たちは、ほとんどが合流して、第一回発表会のステージに上った。勤めの人もいれは大学生もいる。曲は、むかし繰り返し何度も楽しんできたものだ。普通に考えれは、晴れのステージなのに危険を感じるのだが、彼らにはその心配がなかったといってよい。合流した者たちは、立派な調和さえ生んだのだ。現在では、この在京の連中が十四、五名で集まり、毎週一回、高田馬場の佐々木氏宅で合唱している。最近、この東京支店に、”みちのく”という名前がつけられた。わたしが取材でお邪魔したとき、たまたま彼らの合唱をきくことができた。佐々木氏に分離唱、分割唱、三声唱を実際にやっていただいて、それから彼らの合唱がはじまったのだが、そのハーモニーの美しさは、いままで聞いたことのないほどの純粋なひびきをもっていた。取材するわたしのペンの手が何度も止まってしまうほど、心までもうばう美しさであった。
 六年前の彼らの上京に、いろんな苦労があったにちがいない。メンバーたちは、いまでは、さまざまな職業にたずさわっていて、仕事で上京できなかった人もいただろう。第一回も、演奏会は黒字だったそうだ。税務署など、田舎の合唱団の上京ときいて、ずい分同情的だったそうだ。
 それにしても地方にいれは、東京というと、すばらしく立派な団体ばかりに見えるものだ。そういう先入感が彼らにもあったにちがいない。その不安も、佐々木基之氏の助言で克服した。佐々木氏の彼らにたいする評価は、決してあやまってはいなかったのだ。
 こういう合唱団にしても、やはり、合唱団としての悩みはあるのだ。二年後の、第二回東京公演のあと、集まりがわるくなったりして、不振な状態だったこともある。今年などは、東京進出はダメかとおもわれた。しかし、そんな語がちらほら出はじめるころになると、どういうものか、期せずして盛りあがってくるのだそうだ。

特集 “野の花”のごとく (その6)」への2件のフィードバック

  1. 小山博幸

    梨大合唱団OBの方ですよね。
    察するところ多分一緒に歌った仲間かと思います。
    今朝、久々に80年の大阪公演の賛美歌を通勤電車の中で聴いていて涙が出てきました。
    良かったらメールください。

    返信
  2. すすき

    小山さん、コメントありがとうございます。
    わかりますよ、名前も顔も。懐かしいですね。でも私が卒業してからの入学、残念ながら話したことはありませんね。また是非ご訪問ください。

    返信

すすき にコメントする コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>