先生の練習にはよくピアノのお弟子さんが一緒にみえた。そして練習の合間にお弟子さんのピアノを聞かせてくれた。3音くらいを与えて即興的に弾くように指示され、お弟子さんは何度かその3つの音を順繰りに弾いていてそのうちに即興曲に変わっていく、そんな場面がたびたびあった。私はこのようなことがすごいことなのかどうかも知らずに聴いていた。もちろん有名なピアノ曲(私はピアノ曲は知らなかったが)もよく聴かせてくれた。そのお弟子さんたちの演奏がどうなのかもさっぱりわからなかった。私はピアノが好きではないなと、その頃は思っていた。
そんな中で、先生がピアノを弾いてくれたことがある。たしか、山田耕筰の日本の歌曲の伴奏を弾いてくれたのだと思う。先生のピアノはすごい、私にとっては感性に直接響いてくる魂の固まりのようなピアノだった。録音でもいいから聴いてみたいと思うのだが、先生のピアノ録音が残っているという話は聞かない。
susukiさん
こんばんは♪
プログ拝見させていただきました。
さわやかな夏合宿の様子や、佐々木先生のご指導の雰囲気が伝わってきました。
佐々木先生の「後姿」を拝見したようで嬉しい気持ちになりました。
佐々木先生のピアノ
聴いてみたかったです。「魂のかたまり」ですか。。
どんな風だったのでしょう。。
想像が膨らみます♪
ブログ楽しみにしております。
またお邪魔します♪
nattuさん、コメントありがとうございます。私自身もこの夏合宿には「さわやか」な印象をもっています。そのあたりが伝わったら嬉しいです。
先生のピアノを、先生の奥様は「一音一音に心がこもっていた」と表現されます。先生のピアノを深く心に刻んでいる言葉だと思っています。
またの訪問をお待ちしております。
大阪在住の童童です。
nattuさんたちと、分離唱で合唱や合奏を楽しんでいます。やっと、ハーモニーが楽しめるようになってきました。
昭和が終わる頃、佐々木先生に出合い・・音大での「音が苦」ですっかりピアノを弾くのが嫌になっていた私を、助けていただきました。
先生のピアノは、心の奥底から・・力強く語りかけてくるような演奏でした。
それは、88歳でいらっしゃた先生の気持ちそのもので・・長い人生を語られているような奥深さでした。
今も先生のお言葉と共に、私の心に残っています。
今、こうして佐々木先生の思い出を語ることができる幸せを噛みしめながら・・このブログでお会いできたことを、感謝しています。
また、楽しみに読ませていただきます。
nattuさん、童童さん、はじめまして。
分離唱で合唱や合奏を楽しんでいるのですか。
しかも、佐々木先生とお会いになったのですね。
うらやましいです。
私は本とテープ(MD)による理解だけで、まったく自己流(佐々木先生の教則本を使ってますけど)でピアノを少し練習しているだけですから、一度、ちゃんとした指導者の下で練習してみたいと思ったりすることが多いです。
童童さん、虚仮さん、コメントありがとうございます。こんなにたくさんの方に参加していただくと、嬉しくなってしまいます。
童童さん、私が先生のピアノを聴いた経験はほんのわずかです。思い出がありましたら、たくさん紹介して下さい。
虚仮さん、新しい出会いですかね。大阪はいいなー。
佐々木先生のピアノの思い出・・・そうですね、まず思い浮かぶのはブルグミュラーの「牧歌」という曲を弾いてくださった時のことでしょうか。
先生は、「何で、音符に縛られてるの。自分の心のままに弾きなさい」と仰いました。そして、弾いてくださったこの1曲。
♪が12音並ぶ出だしなのですが、普通はついつい音を並べてしまうのです。
レッスンでは、皆さん一生懸命に先生の言われたように「心のまま」弾こうとするのですが、先生の耳にはそのように聞こえないのですよね。(そのつもり・・で弾いているのは本人だけ・・といったかんじでした)
「こうなんだよ」と、先生が弾いてくださった牧歌は正に心から歌って、その風景も浮かんでくるようでした。
音の長さに縛られず、言葉を語るようなあの演奏は今も忘れられません。
音楽って、こうなんだ・・と私自身が目覚めさせられた先生の演奏でした。
ピアノの思い出をありがとうございます。こういう話を呼んでいると、その場にいた人がうらやましくなってしまいますね。
「『心のまま』弾こうとしても弾けない」ということは、「『聴こう』としても聴けない」耳をひらくむずかしさに通ずるものなのでしょうね。