月別アーカイブ: 2015年9月

「心の時代」、そして絶対音感と相対音感

心の時代「心の時代」
さだまさし
サンマーク出版

1998年発行のエッセイ集です。まえがきとあとがきによると、「心の時代」というニューアルバムと、同題のコンサートツアーと連動して、強く「心の時代」を訴えたい。そこで「同じタイトルの本を」ということになったのだそうです。「3日もあればいいんだからさ」と豪語して始まったこの企画、そしてなんと2週間で200ページ超のこの本書き上げたのだそうです。

そう書くのは著者の勝手ではありますが、次はどんな味わい深い文章だろうと期待して本を手にする立場からするとちょっとしらけてしまします。睡眠不足をおして短期間に強引に書き上げた作品、じっくり味わって読もうなんていう心は失せてしまいます。そこで私もこの本は拾い読み、でした。

この中に「絶対音感」と「相対音感」のことがかかれていました。著者によると、

「絶対音感」とは、どこかで何かの音がしたとき、その音がピアノの鍵盤で言えばどの音なのかが「判別できるだけの音感」

「相対音感」とは、たとえばどこかで何かの音がしたとき、仮にその音の名前はわからなくても、何かで(自分の声やそばにあるピアノなど)その音を“再現できる”音感

子どもの頃からなら比較的簡単に「絶対音感」は得られるが、「相対音感」は教育ではなかなか得難い。

のだそうです。私なんか「絶対音感」は才能に恵まれた特定の人にだけ与えられているもので、「相対音感」は特別の才能がなくても身につけることができるものと思っていたのですが、この著者のことばによると全く逆のようです。世間の多くの人は私のように考えていたと思うんですがね。でも、少年時代からヴァイオリンの英才教育を受けて音楽エリートをめざしていた著者のことば、「そうなのか!」と驚きでもあります。

LED照明

居間の天井に取り付けた丸形の蛍光灯が突然消えてしまいました。蛍光管を替えてもつきません。グローランプが原因かとも思ったのですが、この蛍光灯にはグローランプがありません。職場の同僚に尋ねたところ同様の経験者がおり、それはインバータ式で本体を替えなくてはとの答え。

「替えるなら今はLED照明だよ」

と。節電になる、長持ちする、でも本体が高いとか聞いていて手が出なかったLED照明をとうとう我が家でも購入することになりました。

昨日購入・取り付けして我が家の居間の明るさも復活しました。考えてみると居間は一番利用頻度の高いところ、ここから寿命になるのは当然です。無段階の明るさ・色調調節、それもリモコンで。こんな風に変わったんだ、知らなかった。こういうふうに新しいものになるときにはいつも思います。

「リモコンなんてなくてもいいのにな~。」

でもすぐに慣れてしまいます、リモコン生活。

(5.6k)

「銀漢の賦」

銀漢の賦「銀漢の賦」
葉室 麟
文春文庫

しばらく前にNHKでドラマ化して放映しており、我が家では毎週楽しみにしていました。中村雅俊主演でいい味わいのドラマでした。図書館にありましたので原作を読んでみました。

やはり歴史物、江戸時代の西日本の小藩:月ヶ瀬藩が舞台。少年時代~若い頃の三人の友。年を経て、百姓の十蔵は一揆のすでにこの世にはなく、身分も心も離れていたはずの主人公日下部源五と松浦将監の友情がよみがえっていく。ドラマもよかったけど小説で読むとまた一味も二味も違います。最後の結末もドラマではかなり省略していたかな。ほんのりと、そしてちょっとうれしい結末。失脚した側用人の後任起用にはちょっと笑ってしまいました。これは付録かな。

乗鞍岳

遅くなってしまいましたが、8月末乗鞍岳に行ってきました。久しぶりに家族4人そろってのお出かけでした。ここは標高2702mまでバスで行けてしまい、標高差300mを上ると3026m剣が峰まで登れてしまうという初心者にはありがたい山です。

朝7:00我が家を出発、9:00乗鞍高原バス停着、バスを降りると2702m、別世界でした。10:40頂上バス停(畳平)を歩き始めました。

お花畑駐車場から少し歩き下るとお花畑の周遊路があります、まわってみたい気もしましたがとにかく山頂を目指すことにしました。

登山道脇の花、

キキョウ少し小さいがキキョウのような花

 

白リンドウ白地で縦に縞模様となったリンドウのような花

 

乗鞍には、こんな高いところにもかかわらずいくつもの池が点在しています。まずはバス停周辺の各施設が飲料水として使っているという不消ヶ池、残雪が池の中に入り込んで水が深いブルーと淡いブルーの2色になったきれいな池でした。

 

剣ヶ峰歩き始めて50分ほどで肩の小屋に到着、ここからは急な山道で目指すは左奥の剣が峰です。

 

権現池さらに上ること1時間、ちょっとした尾根に出たところで急に眼下に権現池が見えました。やはり傍らに残雪がありきれいな水の色、印象的でした。疲れたところで登場するきれいな池、感動的です。「なんで近くへ行けないの?」との声も聞こえましたが、「近寄れないからきれいなままであるんだよな」と我が家の会話。

 

山頂からこのあと山頂まではわずか、登頂して上ってきた道を見下ろしました。

 

それから権現池が見えるところまで引き返して昼食、そして来た道を戻りました。山の上では霧がかかったり晴れたりの繰り返し、山の天気は本当に変わりやすいですね。でもずっと照りつけたわけではなく、晴れ間も見えたりとこの時期の登山にはよい天気に恵まれたようです。