月別アーカイブ: 2006年5月

南高OB その3

不況の中で何とか職に就いた私は真っ先にオープンリールデッキを買った。そして始めたことは南高OBの録音のコピーである。私の友人Kさんは、先生の口から漏れ聞かれるアーチストや演奏に対し「聴いてみたい」という好奇心が旺盛で、数々の演奏を見つけだしては私にも提供してくれた。先生が「南高OB」といえばやはり「聴いてみたい」の一心で、先生のところにあるだけの録音を借りてきてくれた。そしてこれを2人分コピーしたのは私の仕事だった。何本かのテープのケースには先生の手で「要保存」とか「要永久保存」とか朱で書かれていた。1955年~72年の録音、72年以外は全てモノラル録音である。私はこの頃になってやっと南高OBの良さを実感できるようになった。特に1955年の第1回東京公演、61年の第3回東京公演、62年の山形での演奏会などは録音の古さを補ってあまりある素晴らしい演奏である。55年の演奏、これはハーモニーが素晴らしい。だからこんなにゆったりとした演奏ができるのかと思う。61年になると趣が変わってくる。ハーモニーから生まれたほとばしるような音楽性という気がする。この頃の南高OBの黒人霊歌は絶品だ。私はSPレコードのコピーやこの南高OBを繰り返して聞いてデッキのヘッドがすり減ってなくなってしまい、一度はヘッドの交換をしなければならなくなったほどだ。

強力な助言者Aさん

強力な助言者Aさん
 これまで述べたようにいくつかの業者と接触した結果、素人である私は専門家である業者とのとやりとりに大変不安を覚えていた。高姿勢で接してくる業者に対し、負けずに受け答えして合併浄化槽の雨水槽への転用を実現する、「果たして私に、そんなことができるのだろうか。」という不安である。そんな中、心に浮かんだのが講演会の時に紹介していただいた設計を仕事にしているAさんだ。しかし、この段階ではただ単に「顔を合わせたことがある」というだけの関係であり、直接おはなしをうかがうには余りにも無理があった。そこでもう一度紹介をしてくれたOさんに先方のことを聞いた上で、Aさんに電話をした。「浄化槽の転用のための助言をお願いしたい」旨を伝えたところ快く聞いて下さり、早速に私の自宅に来ていただけることになった。

自然農法

 14日のNHK教育テレビで、
    こころの時代 再放送
    「粘土団子世界の旅」自然農法60年の歩み 福岡正信
が放送された。福岡正信先生は字幕によるとすでに93才とのことだ。佐々木先生はこの方の自然農法に共鳴され、練習の中でもよく話題にされた。10才余り年下のこの方を、「教えていただく人は年下であろうと先生だ」と言っていつも「福岡先生」と呼んでいた。だから福岡先生の自然農法の世界も、私にとっては佐々木先生の音楽とつながる世界だ。
 今日の放送では特に粘土団子がクローズアップされ、海外の砂漠化がすすんだ土地を再生させる力を自然農法がもっていることが紹介されていた。また、「水に困っている海外の多くの国は福岡先生の自然農法に救いを求めているのに対し、水に困っていない日本では今もって理解されていない」ともいっていた。さらに、人間の知恵が間違った方向に行ってしまったというような内容も話されていた。
 私はこれらの話を、佐々木先生の素晴らしい音楽の世界を理解してくれる人が意外と少ないことと重ね合わせながら聞いていた。

南高OB その2

 練習における先生の話の中で、この合唱団の話は度々登場した。自分たちの合唱にもかなりの満足感があったためか、私の場合はこの団体への関心は特にもたなかった。しかし、この時期から関心を寄せ、先生から録音をコピーしていただいた団員Sさんがいた。わたしもこの方からコピーさせていただき、よく聴いた。Aさんが山形に聴きに行った1972年の演奏会、それからはるかにさかのぼる1963年の演奏会のものである。72年はステレオ録音、63年はモノラル録音であり、当時はどちらかというと72年の録音を主に聴いていた。特によく聴いて記憶に残っている曲としては、72年の「I’ve got six pence」や63年の「どんぐりころころ」などのリズム感あふれる演奏だった。これらの録音には私たちの合唱と共通するものを感じながらも、この時期の私は南高OBに特別強い印象を持っていたわけではない。

酸素ビジネス

    街角で酸素補給
    セブンイレブン 酸素市場参入
 これは今日の毎日新聞経済面にあった記事の見出しだ。いま巷では「酸素バー」というのがはやっているそうだ。これは街角で高濃度の酸素を吸入できる店で、高濃度の酸素により「爽快感」が得られるのだという。このブームに乗じて、セブンイレブンでは酸素スプレーを売り出すのだという。1缶で1回2秒の吸入が35回でき、1日5~6回の使用なら1週間使えるのだそうだ。2種類の香りがあり、1本600円。
 以前テレビで、高濃度の酸素中に放された鳥か何かの映像を見たことがある。酸素がたくさん得られるのだから、その容器(部屋)の中でものすごい勢いで飛び回り、そして短時間で死んでしまった。高濃度酸素による爽快感は、長い時間の生活を凝縮した形でもたらされるのかも知れない。
 「爽快感」を得るために、金を出して酸素を買う。この酸素スプレーも人間の快適さを求める欲望の産物だ。一時的な爽快感のために600円、これは決して高い買い物ではない。しかし、この600円の商品を作り出すためにどんなものが必要となったのか、どんなにエネルギーを費やしたのか考えてしまう。これは決して600円という金額で片づけられるものではないのではないか。しかしよく考えると「エアコン」をはじめとして、私たちの爽快感を得るための先輩格の産物もたくさんある。だから酸素スプレーだけ批判しても始まらない。私もそんな数々の産物の恩恵を受けている一人であり、全てを否定するわけではない。しかし、物理的なことで得る爽快感よりも、人間らしいもっと本質的なところでよろこびを見いだす、そんなことを目指すような生き方に私たちは変わっていくべきなのだろうと思ってしまう。

N社との接触

 団地内のMさんはすでに雨水槽への転用工事を終えている。Mさんが依頼したN社は、我が家も浄化槽管理の契約を結んでいる業者でもある。「最後のお付き合いを当社に」との挨拶も受けていた。そこで、この業者に来ていただいて私の考えを述べ、見積をお願いすることにした。来たのはパリッとした背広を着こなした中年の自信にあふれた営業マンだった。この業者はMさん宅の工事を引き受けていることもあり、雨水槽への転用自体を否定することはなく話を聞いてくれた。こちらの条件としては、
    ・わが家の排水の下水道公共ますへの接続
    ・雨樋から浄化槽までの雨水配管
    ・浄化槽内のろ材の撤去
    ・浄化槽内の清掃
    ・雨水利用のためのポンプ及び水栓の設置
といったところだ。これらについて見積を作成してもらうことになり、数日後見積書を手にすることができた。
 しかしこの業者には、すでに手がかけた形式にこだわる傾向があった。浄化槽内の隔壁に穴を空けなければ槽全体を一つの水槽として利用することができないという当たり前のことが通じない。「隔壁にはもうすでに穴があいている、それ以上空ける必要はない。」などと言われてしまった。業者は持っている知識を全面に出し、その土俵で話をすすめようとする。周囲に前例のないことをすすめるためには、自己の考えに引き寄せるだけの知識は備えておかなければならない。強気な業者を相手に、このことをすすめていけるかどうか非常に不安を覚えた。

南高OB

先生と深い縁に結ばれた団体に、山形南高校OB合唱団がある。この団体については、私が詳しく知るところではないが、簡単に触れたい。この高校には佐々木先生の音楽教育に共鳴し、分離唱をもとにした音楽教育を生涯にわたって続けた森山先生がいた。在学中に分離唱による音楽の授業を受け、ここを巣立ったOBで組織された男声合唱団が山形南高校OB合唱団だ。先生はこの団体をいつも「南高OB」と呼んでいた。佐々木先生はわれわれの合唱団を12年ほど指導されたが、南高OBは20年くらい指導された。先生とは相思相愛の団体だったようである。高速道路もまだ十分には整備されていなかった頃であろうが、山形へも自身の運転で足を運んだということだ。この合唱団の演奏会が、私たちの団体を指導していただくきっかけになったことは以前にも述べた。時の違いもあり無理なことではあるが、この団体の生の演奏を「自身の耳で聴けていたらなー」と今でも思う。

分離唱合唱団3年目

 この年は小曲ばかりを数多くこなした。讃美歌の多く、この年の特徴である黒人霊歌、日本の童謡などである。この年私にとって印象に残っている曲は何といっても「どんぐりころころ」「まりと殿様」「ずいずいずっころばし」などの日本の童謡だ。いずれも洒落た楽しい編曲で、これらの曲には当時の私たちの合唱団らしさを非常に感じてしまう。
 第3回の東京公演は1回目と同じ朝日生命ホールを会場にして行われ、この年からレコードは定期演奏会と東京公演両方の録音をもとに作られるようになった。納められている曲目も私たちの合唱団らしい小曲がちりばめられ、10枚以上作成されたLPレコードの中でもこのLPは私個人としては最も楽しめる1枚に数えられる。
3年目のレコードのジャケット

ひゃくなげ

 高山植物:しゃくなげの一種、ひゃくなげです。
 もう15年ほど前、山仕事をしていた今は亡き伯父(母の兄)から「植えてみろ」といただいて実家に植えたものだ。それ以来一度も花をつけたことがなかったが、今年初めて咲いた。つぼみは赤いが開くとピンクに変わる。一つのつぼみと思っていたものから多くの花がひらく。はじめて開いたこの花に、母も喜んでいる。
 H18.5.3