今年のNHK大河ドラマは「風林火山」。そこで山梨県では少々フィーバー気味です。知らない間に甲府駅北口近くに○○櫓という目を引くものができています。八ヶ岳の麓では、県営牧場を提供して撮影セットが組まれたのですが、撮影終了後は「風林火山館」という名で見学できるようになりました。
先日、この「風林火山館」に行ってきました。十数年前の大河ドラマでは「武田信玄」がありましたが、このときのセットは実際に見学に行ってみると大変みすぼらしいものだったそうです。しかし、今年のセットはなかなか立派に作ってあり、それなりに楽しんで見学しました。

信玄が城を持たず住まいにしていたという躑躅が崎館は今は武田神社となっていますが、撮影セットはこの躑躅が崎館をモデルにしたものだそうです。堀には水がためられ、立派な風情でした。
カテゴリー別アーカイブ: 日常
完全復活
PCが完全復活しました。
最後まで悩まされた無線LANの設定も終わり、やっと居間でもネットを楽しめます。
私のPCは未だにWindows2000。新しいものを購入すればいいのでしょうが、貧乏性の私にはなかなかふんぎりがつかず・・・・。
多くの方に助けていただき、ただただ感謝です。
復活しました?
パソコンの復活に挑戦中です。やっと、我が家のパソコンからこの記事を書いています。
我が家で無線ルータ経由でのインターネット環境なのですが、この無線の設定が難物です。とりあえずルータにケーブルで接続して、このインターネットを利用できるようになったのですが、無線LANの設定はまだ解決の糸口が見えていません。無線ルータは「書斎」という名の2階の物置部屋に置いてあります。
ですから現状では、インターネットを利用するのには普段出入りのないこの部屋にこもるしかないのです。完全復活はもうしばらくかかりそうです。
PCの病
我が家のパソコンが病に臥せって半月になります。かなり重症なのですが、買い替えの決断ができません(貧乏性?)。結局、内蔵用ハードディスク(4千数百円)を購入して復活に挑戦中です。多くの人に助けてもらいながらすすめているのですが、まだまだネットが使える状況にはありません。書きかけの記事もあり、失礼をしております。
文化祭
以前話題にした地区の文化祭が開かれました。12:30開会でしたが、私たち文化協会の役員は朝8:30集合で、準備から後片づけまで丸々一日のお付き合いでした。上層部の苦言が功を奏したのか、観客も最後まで減ることなく、心配も払拭された文化祭でした。
芸能部門のトップバッターは「コーラス」、合唱好きの私は「一体どんな合唱をするのだろう?」と興味津々でした。曲目はロシア民謡一曲と「宗谷岬」、それから知らない曲を一曲でした。ピアノ伴奏付の二部合唱一七人(もちろん全て女性)、ソプラノは少し頑張ってしまうきらいはありましたが、アルトは素朴な歌い方でなかなか好感がもてました。後で聞いたはなしでは、近くでピアノと声楽の音楽教室を開いている先生に2週間に一度見てもらっているのだそうで、指揮もその先生でした。
基本的にア・カペラ四部でばかり唱っていた(遠い昔のことです)私には、コーラスといっても別世界のような感じがします。今回のような形のピアノ付き二部合唱は職場で余興的にやったことがありますが、二部では和音の響きというようなものが感じ取れず、「わからないな」という印象を持ったものでした。三部・四部では自分の音が自然に収まっていく感じがするのですが・・・・。
でも決して今日のコーラスを否定するわけではありません。上手下手はよくわかりませんが、とらわれのない歌い方に、心のありように拍手です。
会場の後方には展示部門の展示パネルが並び、絵画・写真・書・俳句・手芸・生け花などさまざまな作品が会場を盛り上げていました。楽しそうにすすめている多くの人たちの姿を見、日曜日もたまにはこのような事に一日お付き合いするのもいいものですね。
神楽団
神楽を演じ、運営する人たちの集団を神楽団(かぐらだん)と呼んでいます。うちの部落は「○○神楽団」、となりの部落は「△△神楽団」とそれぞれの部落の神社毎に神楽団が存在します。そして近隣の神楽団の中では、私の部落の神楽団が充実しているようです。
神楽というとどうしても舞だけに目がいってしまいますが、楽もまた大切なものです。笛吹きは疲れますので交代で行っています。しかし十分な交代要員がいればいいのですが、なかなかそうもいかないのが実情のようです。数年前の祭では、一日中行われる神楽のうち午前中の早い時間にはなかなか笛が鳴らず、昼から午後への時間がすすむにつれて楽の音がよく鳴り出しました。でも、今年の楽は最初からよく鳴り、その充実ぶりがうかがえました。
この3月か4月のこと、部落内の空き家に田舎暮らしを望んで移ってきた若い家族がいます。若いご主人さんは早速神楽団への誘いを受け、仲間入りしてくれました。実を言うと私も数年前、笛吹きの誘いを受けたのです。しばらく練習してみたのですが、一向に音が出てきません。そんなわけで残念ながらこの仲間入りは断念してしまいました。しかし、この若いご主人さんはわずか一ヶ月程で楽をしっかりと吹けるまでになり、この春の祭りには早速に立派にデビューしたのです。これまでにも何人かの方が田舎暮らしにと越してこられ、この若い方のように神楽団に加わって活動してきました。一緒に神楽を作り上げることで、人と人の交流も深まっているようです。

私たちの部落には近隣にちょっと名を馳せた「天の岩戸」の舞いの名手がいます。しかし体力的な衰えもあり、今は後進に道を譲っています。今年、「天の岩戸」の舞の場面になったとき、この方は大太鼓を叩いていました。場面に応じて一緒に盛り上がって叩いているその様子に感心してしまいました。そんな姿からも「伝統芸能」を作り上げていく歓びが伝わってきます。今は個人の家の中にいくらでも娯楽があります。しかし神楽団の人たちをみていると、はるか昔娯楽の少ない時代からこのように部落の若者が集まり笛や太鼓を奏で舞を繰り広げながら「郷土芸能」を作り上げてきたことを今も感じることができるのです。
大和神楽②
神話では、天照大神が天の岩戸の中にこもってしまった後、困った人々は岩戸の前でどんちゃん騒ぎをして気を惹き、何とか天照大神を引っ張り出してまた明るい世界にしてもらおうと努力します。大和神楽でもスサノオの尊が退場した後、次々と男女踊り手が出てきて舞を披露します。


舞い終わった踊り手は神楽殿の天照大神の並びに腰掛けて次の舞を見物です。踊り手の人たちは一杯ひっかけていますので、一運動(一舞い)のあとの神楽の楽を聞きながら腰掛けているとついいい気持ちになり、舟を漕いでいる人も見受けられます。舟を漕いでいるうちに誤って神楽殿から転落してしまったなんていう有名(?)な話まであるのです。さて、一向に開かない岩戸にとうとう力ずくで岩戸を外してしまおうという豪傑が登場します。何度か失敗した後とうとう岩戸を引っ剥がすことに成功したこの豪傑は大きく息をつき、神楽のクライマックスを見終えた観客からは拍手が湧き起こります。
日本神話を調べると、天照大神を天の岩戸から引き出すのにはこんなに力ずくではなく、岩戸の前でお祭り騒ぎをしてもう一つ太陽があるように思わせ、様子見にちょっとだけ岩戸を明けて外を覗いたところを鏡で反射させて、知恵を絡めて岩戸を開けるのだそうです。しかし、大和神楽では神話にはないヒーローが登場し、このヒーローが大衆に受け入れられているようです。
観客も神話に基づいた、そして多少のアレンジを利かせたこの神楽を楽しみにしており、このストーリーが終わるまでは観客が減ることがありません。「天の岩戸」が終わった後もまだまだ神楽は続くのですが、この最大の山場を見終わると多くの観客は引き上げていきます。私たち家族もここで神社を引き上げたのですが、このとき年輩の集団も引き上げていきました。この集団はかなり遠くから来た人たちで、わざわざこの地の神楽をみるためにやってきたようです。そして駐車場まで歩きながら、
「たいしたもんだ、まったく省略がなく・・・・。うちの部落のものとは全然ちがう。」
などと、口々に賛辞を送っていました。「省略」もしたくてするのではなく後継者不足等いろいろな悩みを抱えてのことと思います。それでも私たちの地区の神楽が褒められることはただの住民にとっても嬉しいことです。
(9.0k CT)
大和神楽①
子どもの頃、人のにぎわいと出店が並ぶのを楽しみに神社に行ってはいたが、神楽というのはただ冗長に舞っているだけでつまらないものだと思っていた。しかし大人からストーリーを少しづつ聞き足してこの年齢になると、見ていてもなかなか面白いものだ。おまけに「今舞っているのは○○さんだ、この人は上手だ。」などという情報が周りからはいってくる。
神楽のメインは何といっても「天の岩戸」である。天照大神がしずしずと登場して特別な舞いもせず正面に座ってしまう(天照大神は女性神です、特別な舞もないので舞があまり上手でない人でもよいなどという陰口もささやかれます)。荒くれ者素戔嗚尊(スサノオのみこと)の投げつけた馬の皮に驚いて天照大神は洞窟に入り岩戸で入口をふさいでしまう。天照大神は文字通り太陽神である。太陽神が隠れてしまっては世の中が真っ暗となってしまう。スサノオはこのあと神楽殿からさがっていくのだが、天照大神が閉じこもってしまった直後に天に両手をかざす場面がある。今年の舞を見ながら、「あー、真っ暗になってしまったということを表現しているんだ」とはじめて感じたのです。それからスサノオは腰を低く手を前に出しながら退場していく。このときも、「あー、真っ暗な中を手探りで行くことを表現しているんだ」をわかったのです。
むこうに天照大神(女性神)が座っています。前に持っているのが天の岩戸です。スサノウの尊がこうして真っ暗闇の中を手探りで退場していきます。
神社の祭り
先日、実家の部落の祭りがあった。うちの部落の神社の祭りは春・夏・秋とあった(多分今もあるだろう)が、春だけが神社で大和神楽が奉納される。神社は各部落にあるが、祭はどうやら4月末のこの時期に集中するようだ。今日はこの部落、明日はとなりの部落という感じだ。そうした中でうちの部落の祭は4月29日と決めている。他の部落は4月の第?日曜といったふうに決めているのだが、うちの部落では毎年休日となる。良い日に決めたものだ。

今はどこの神社の祭りもかつてのようなにぎわいはない。祭が村人みんなの娯楽でその日を待ち遠しくしているというような時代ではなくなってしまった。それでもここの神社は子安神社といい、子宝や安産の御利益があるとのことで近隣の中ではにぎわいを見せる祭だった。社は貧弱だが神楽の舞い手も多く、今でも充実した神楽を奉納している部落である。かつては鳥居から神楽殿までの境内には出店が並んでにぎわったものだが、今は商売にならないのかテキ屋さんも来てくれない。そこで部落の女性達が自前でお店を出し、数少ない子どもたちが手伝っているという微笑ましい光景もある。
神楽殿の前には太い丸太を30cm程に切った手製の腰掛けが並べられており、年寄りなどがそこに陣取って神楽をみている。
文化祭
私たち、比較的新しい分譲地にも自治会があり、ことしは順番で文教(文化協会)の役員が順番で回ってきてしまった。今日はその初めての会合があった。
どこの地区もそうなのだろうが、この地区にも年一回の文化祭があり、さまざまな活動サークルの発表の場となっている。しかしこの文化祭を私は一度も見たことがない。だが、今年は一日文化祭のお手伝いと覚悟は決めている。
この文化祭、実はお客さんが非常に少ないのだそうだ。そのために、「これはとても地区のお祭りとは言えない、この地区の文化祭は止めたらどうだろうか。」という提案までで飛び出した。昨年の最後はコーラスだったのだが、メンバーがステージに立ったところ聴衆は誰もおらず、敷いてある茣蓙にむかって唱ったそうである。幼稚園児の発表があれば賑やかになるだろうと思い、そんな企画をしたところ、園児一人に両親・祖父母と4人はきてくれた、賑やかになって大変嬉しかった。しかし園児の出し物が終わったらサーッと引き上げてしまい、また一気に寂しくなってしまったそうである。
こういうことは、私たちの地域だけのことではない。以前住んでいた県内の大きな市の文化祭でも観客は少なく、出演者がお互いのステージを見るようにとの取り決めがあるにもかかわらず、最後の出演団体の時には観客席は本当にガランとしてしまう。やはり同じ悩みをもっていた。
体育祭といえば参加者も多く、運動神経の悪い人もそこそこ楽しめて盛り上がる。それなのに、この文化祭の低調ぶりは目に余る(実際には見たことがないのだが、そう聞いている)。この違いは何だろうか、何が原因なのだろうかと考えてしまう。




