カテゴリー別アーカイブ: 音楽:私の音楽ノート

新しい交流

 私の好きなピアニスト:レオニード・クロイツァーについてブログに書いている方がいる。この方のブログにコメントを書き込んだことから交流が始まった。大変なクラシック・ファンらしいこの方と録音を交換した。私から送ったのは、学生時代の合唱団の録音、あのフォーレの「レクイエム」に取り組んだ年の定期演奏会の録音である。この録音について、次のような感想をいただいた。


    フォーレのレクイエムから聴いております。
    なによりも驚いたのは響きが非常に美しいことです。
    ピアノも正直言って驚きました。
    なによりも音楽への愛情がひしひしと伝わってきます。


    「荒城の月」や「夕焼けこやけ」のような作品の詩情の豊かさ
    といい、佐々木先生という方がどのような方なのか、知りたく
    なりました。・・・・


 その世界にドップリとつかってしまった私たちにとって、この感想は新鮮な印象です。

不思議な体験

 木下航志のコンサートの当日、私はほかの音楽の集まりに参加していた。佐々木先生のご家族を中心とした合唱の集まりである。

 この日は賛美歌をはじめとするアカペラの合唱曲を長い時間歌った後、最後に手書きの楽譜のコピーが配布された。「これ、やりましょう」という曲はピアノ伴奏つきのフォーレの曲「ラシーヌ讃歌」だった。学生時代に先生の指導を受けた中では古いOBに属する私は、この曲の録音を聴いた覚えはあるが唱うことはできない。先生の娘さんがピアノの前に座り、この曲の練習がはじまった。しばらく前奏があり、その後合唱がはじまる。私は唱うことができないが、「あー、娘さんのピアノが聴ける。ラッキー!」と楽しみな軽い気持ちで聴きだした。しかし前奏が始まってすぐ、少し目が潤んだかと思うと、そのあとどっとあふれるように涙が湧いてきた。

 音楽の感動というのは心で感じ、感性で感じる。そういうものを自身の認識の上で感じ取れるものだと思っていた。しかし今回の私の反応は、私の心や感性が感じて涙が出たのではなく、まったく自分の意識を素通りして、そのピアノの演奏にいきなり身体が反応しいきなり涙が湧いてきたととでもいうべきものだった。今までに経験したことのない私自身の反応に私自身が驚いている。

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木下航志

 先日、山梨でも木下航志さんのコンサートがあった。しかし、私は残念ながら聴くことができなかった。コンサートに行った友人のブログに刺激を受け、わたしも彼の印象を少し書いてみたいと思う。

 彼についてNHKで取り上げた番組を二度見たことがある。一度目は小学生の頃であっただろう。内容の詳細はよく覚えていないのだが、視覚に障害をもった彼の小学生になるかならないかの頃、音楽に出会い才能を開花していく。周囲の理解や援助もありストリート・ライブの活動をしていることなどを紹介していた。自らのピアノ伴奏でうたう彼のヴォーカルは、自己の心を開放しあるがままを身体いっぱい声いっぱいに表現するもので魅力あふれる音楽だった。

 二回目の放送は中学生の頃だったろうか、変声期を迎え声の出ない彼は苦悩の時期を過ごしていた。単に声が出ないということだけでない心の中の大きな苦悩だったようである。その当時の苦しみの様子、それから長いトンネルを抜け出して演奏活動を再開するにいたったことなどを紹介していた。そして再びうたいだした彼の歌声は、やはりすばらしいものだった。

 私も彼のライブを聴いてみたい。生の歌声を聴くせっかくのチャンスを逃した私は、今から次のチャンスを願っている。

すべては光る

光る
光る
すべては
光る
光らないものは
ひとつとしてない
みずから
光らないものは
他から
光を受けて
光る

 

この詩も、坂村真民さんの「念ずれば花ひらく」の中にのっている。詩の後に、「この詩の生命は、みずから光らないものは他から光を受けて光るというところにある」と書かれている。

私もまた、この部分が好きだ。こんな詩から私は、素人の私達が触れた音楽の世界を想う。ただ聴き合って生まれるハーモニーを感じ、またそこから音楽を感じる。そんな心のありようがなんともいえずいい。音楽で自ら光り輝ける人は世の中でもごくわずか。しかし、こんなふうに聴き合って唱うと特別な才能のない人も音楽に触れられる。そんなこともあってか、

みずから
光らないものは
他から
光を受けて
光る

という部分がいいと思う。

BELIEVE

 NHKに「生きもの地球紀行」という番組があり、子どもが小さい頃よく一緒に観た。この主題歌が印象的で、子どもも自然に覚えてしまった。たまたまこのサウンドトラック盤「BELIEVE~生きもの地球紀行サウンドトラックⅢ」というCDを知り合いに貸して頂き、わが家のオーディオで聴いてみた。「生きもの地球紀行」という番組、なかなかよい印象をもっている。しかしこのCDをかけてみると以前の印象とはだいぶ違っていた。多くの楽器の音がするのだが、多くの人が一つの音楽を作り上げている人間臭さのようなものを感じない。この感覚は何だろうと思いながらCDの解説書を読むと、演奏者の名前がない。指揮者も楽団もピアニストも書かれていない。あるのは

      Produced by RYUICHI SUGIMOTO

ということだ。私はこういうことは詳しくないのだけれど、これってシンセサイザーということなんだろうか。最近よく目にするMIDIというものなのだろうか。

 電子音楽だとすると、こういう分野が音楽会で認知されてきたという証でもあるだろう。しかし、家族そろってみているNHKの動物番組の背後で人間の演奏ではなく電子楽器を駆使して作り上げた音楽が流れ、そしてその音楽を映像とともに見て「ああ、いい曲だな」なんていうふうに私たちの心に入り込んでいる。映像の背後で視聴者の無意識下にこんな音楽を流していることに私は抵抗を感じてしまう。

オマタタツロウの笛世界2

全国の都道府県を巡っている「植樹祭」が平成15年5月に山梨で開催されたが、このときオマタタツロウさんが笛を吹いたそうだ。当時、私はそれを知らずに植樹祭には行かなかった。だから、松と岩肌のきれいな瑞牆山の麓にオマタさんの笛の音色が響き渡る、そんな素晴らしい情景を頭の中に勝手に描いている。

瑞牆山c
晩秋の瑞牆山(植樹祭跡地にて撮影)

植樹祭余談

植樹祭には両陛下がみえる。地元では町をあげての大イベントだった。山間の狭い生活道路はそのために整備され、新しいトンネルも掘られた。道路上の大きな石が落下する危険があると、石を固定する工事もあった。住民の生活のためにはなかなか整備がすすまない道路環境が、両陛下が来るとなると一気に改善された。うれしいような嬉しくないような・・・・。
植樹祭の用地としてあまり足を踏み入れることのない瑞牆山の麓の森林を切り開き広い用地をつくった。このイベントには地元小学生の協力も欠かせない。小学校に赴いた関係者は小学生に質問されたそうだ。

「緑を育てる植樹祭のために、どうして森を切り拓くの?」

大人も動揺してしまう質問だ。

オマタタツロウの笛世界

このところ、マイカー通勤の途上に「オマタタツロウの笛世界」といういCDを聴いている。オマタタツロウさんは山梨に居をかまえて笛の演奏活動をしている人で、HPでは「笛詩人」なんて書かれている。県内のあちらこちらでオマタさんのミニコンサートがあり、私も家族で何回か聴きに行った。オカリナ、リコーダーをはじめ様々な笛を取り出して素朴なおはなしとともにきれいな音色を響かせ、会場の聴衆も聴き入ってしまう。こんなコンサートの時に購入した一枚のCDである。

発売しているCDは一種類だが、ケースの中の表装はオマタさん自作の絵をもとにして5種類くらいのものがあった。我が家で購入したCDケースの中には落ち葉も一枚入っており、この落ち葉にもオマタさんの画が描かれている。画をめくるとオマタさんが樹木の根本に腰掛けて笛を吹いている写真、林の中で笛を吹き、吹いていると鳥が寄ってくるというオマタさんらしい表装だと思う。私のお気に入りの一枚です、みなさんもいかがですか。

オマタタツロウ笛世界
いつか、どこかの河原で歩きながらオカリナを吹いている人がテレビに映し出された。そのとき思わず「オマタタツロウさんのような人がいるんだね。」と言ってしまったが、何とこの人は宗次郎さんだった。これでは笑い話ですね。しかし、私にとってはオマタタツロウさんの方がメジャーだったのです。

古い楽譜

 みちのく混声合唱団の楽譜はもう10年以上前、ひょっとすると20年くらい前に東京神田の古書店で発見したように記憶している。そしてこのとき、ほかにも東京音楽書院からかなり以前に出版された佐々木先生編集による楽譜も入手した。

初等混声合唱1c「初等混声合唱1」佐々木幸徳著 昭和24年初版、発行

初等合唱曲集2c「初等合唱曲集2」佐々木幸徳著 昭和21年初版、30年17版発行

 いずれも定価は50円、佐々木幸徳著は先生の実名である。前者はだいぶ使い込んで、本の端はすり減っている。後者は表紙に「紫翠会印」の丸いゴム印が押されている。「紫翠会」は佐々木先生を中心とした音楽活動の集まりのようなものだろうか、私たちの合唱団の東京公演の際にも主催者としてこの名前があった。当時の偲ぶことができるようで、こんな古い楽譜に出会い入手できたのも嬉しいことである。

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クロイツァーの本

 久しぶりにインターネットで「レオニード・クロイツァー」をキーワードに検索してみた。意外なことに書籍が見つかった。


http://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail.php?Code=217380


    「レオニード・クロイツァー その生涯と芸術」
        【著 作】 山本尚志 著
        【発 行】 2006年11月
        【出版社】 音楽之友社
 
「ああ、こんな本も出たんだ」というのもぬか喜び。その後に、


       品切れ(現在お取り扱いできません)/重版未定


とある。これ、発行は今月だよ。音楽之友社さん、それはないんじゃないの!

順位をつけない・・・・

 知人のブログに、「順位をつけない運動会」のことが紹介されている。


        http://blog.goo.ne.jp/kikimimi0874/e/68c8fec3be7da5466817666985fe7006


幼稚園で行われるこの順位をつけない運動会での子どもたちの表情がとてもいいのだそうだ。「どうして順位をつけないの」と思う親も少なくないだろう。しかし、順位をつけることで壊してしまうものもあるはずだ。この幼稚園では強い意志をもってそうしているのだろうと思う。


 このブログを読んですぐ思ったことは、音楽におけるコンクールのこと。私たちが合唱の指導をしていただいた佐々木先生はコンクールに強い疑問をもっておられた。山形南高OBの演奏会のアンコールでは、先生のはなしの中で「コンクール、コンクール、あれはいったいなんでしょうか」ということばが記録されている。技術は比較して優劣をつけることもできる、しかし音楽性の比較は無理だろう。まして、それに順位をつけるなんて・・・・。そんなことが私たちの心の中に入ってきてストンと収まってしまった。「コンクールなんて出る必要がない」「順位なんてつける必要がない」といいう言葉は、私達のような特別な才能のない者にとっては本当にうれしい言葉だ。そして何よりも音楽そのものを感じさせていただいたこと、それこそが本当にうれしいことだ。