前回のエントリーにパートを交代しながら唱ったことを書きました。こう書くと、いかにもしっかり音取りが出来る人のように思われそうなので、少し細しく書きます。
世の中には、楽譜を見れば音が、音楽がイメージできる人がいるらしいですね。更に上を見れば、どうやら楽譜を見て響きがイメージできる人もいるようです。そういった才能は限りがないのでしょうね。しかし私たち凡人には遠く及ばないところです。ところで私はどうかというと、そう言った才能にはからきし恵まれていないようです。そうなのですが、長く歌い続けた讃美歌などはハーモニーの中では何となく唱えてしまうのです。前述した才能の持ち主と違うところは、自分一人では全く唱えないこと。ハーモニーの中にあってこそ、唱ったことのないパートも唱えてしまうのです。それはたぶん、私たちが経験した合唱が聴き合って唱う方法であったことと深く関係しているようです。私も若干は経験したことがあるのですが、普通合唱というと自分のパートを一生懸命覚えて、それを他のパートに影響されることなく、(出来るだけ他のパートを聴かないようにして)しっかり唱うことが基本でした。しかし私たちが経験したのは最初からハーモニーの中で唱うこと、ですから知らず知らずのうちに他のパートも聞いているのでしょうね。大人数の合唱の中では、唱ったことのないパートも、一緒に唱う人の声を聞けばわかります。しかし各パート一人という合唱で初めてのパートならそうはいきません。しかし、聞きながら唱っていると初めてのパートでも収まるべき音がわかり自然にそこに収まってしまうような感覚でしょうかね。
前々回、前回の「森の音楽会」で一緒になったTさんはその辺りのことを、「我々の合唱をしていると、基本的にはどのパートも唱えるんだよね。声が出るぶんには・・・・。」なんて言い方をしていました。Fさんとの合唱のことを書きながら、こんなことばがよみがえってきました。
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えぇ、よくわかります。
一人では歌えなくても、周りの音があると、スポっと音が決まるのですよね。
学生のときに簡単に「できたはず」のことなのに、今は苦手意識を持ってます。ですが、今でもその感覚を覚えているので、その「耳」を復活させたくて分離唱の練習をしています。
でも、まだ調子の波があります。3ヶ月ぐらい毎週指導を受けて「耳」ができてからなら、1~2カ月に1度ぐらいの練習で良いかもしれませんが、まだまだのようです。