さて神楽の写真です。

「天の岩戸」の前でお祭り騒ぎの女性の舞いです。静かな舞いで、度々ひざまずいて顔を床に近づけます。

ヒーロー:すさのおの登場場面はあまてらすおおみかみが岩戸に隠れて真っ暗な中を手探りですすんで来ます。
神楽は年々上達しているようです。私の母も「みんな上手くなったな。」と感想をもらしていました。
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今年も村祭りに帰省できました。

山間の決して裕福とはいえない部落の神社は、つくりも少々貧弱です。そんな中ですが、私たちの部落の神楽団は周囲がうらやむのではないかと思えるように充実しています。祭り当日、部落を見下ろすようなところに位置する神社には周囲の部落に向けてスピーカーを設置し、楽の音を部落中に響かせて祭りの雰囲気を盛り上げています。

この神社は「勝手子安神社」、その名の通り子宝と安産をお願いする神社です。そのためか、昔から神社の格は決して高くはないのですが、祭りでは近隣の神社と比べても大変にぎわう神社だったそうです。私の前の家では祭りの2日前に結婚式を挙げたばかり、早速若夫婦が祈願しに来ていました。お参りに来た人たちが納める初穂料は、和紙に墨で芳名・金額を書き、神社の内壁一面に貼り出されます。多くの人に神社は支えられています。
私の母は7人兄弟、男5人女2人です。男兄弟はすでに4人が他界してしまい、今では叔父一人です。この叔父は長年運送会社に勤め、私生活では我が家をはじめ母の兄弟の家族に何かと尽くしてくれました。退職後も足(自家用車)をもたない兄弟たちのために実によく足になってくれたのです。その叔父も寄る年波には勝てず、自動車の運転を断念することになりました。たまたま叔父の家を訪問した私たちは、叔父の「愛車との別れ」の時に遭遇しました。他家に嫁いでいる娘が今までの愛車を引き取っていくのです。
いよいよという時になって家族に缶ビールを催促し、「長い間世話になった愛車にやる」のだといいます。受け取った缶ビールをタイヤにかけてあげていました。酒好きな叔父の愛車への思いを感じてしまいました。みんなで愛車の前で記念写真をとり、車は去っていきました。そして私たちも間もなく叔父の家を後にしたのですが、そのあとの叔父の心はどんなでしょうか。
私たちは、長年の叔父の兄弟・親族への愛に感謝です。
今日は私のブログの2歳の誕生日です。
ネタ不足で書けなくなることに怯えながら、何とか今も続いています。
これからも私なりの自己表現をしていきたいと思うのですが、どうなるでしょうか。
今後も是非おつきあいをお願いします。
ブログで知りましたが、知人がマイカーを買い換えたそうです。新車から14年乗った車はマニュアル車で、買い換えもマニュアル車だそうです。そんなこだわりと苦労がブログに書かれています。
http://isaokunn.at.webry.info/200802/article_3.html
それにしても「絶滅危惧種」とはおもしろいことをいいますね。
私も実はこの知人と同じ車種でしかもマニュアル車に乗っていたのです。マニュアルにもこだわりがあったのですが、リタイヤしてしまいました。そんな私の中の気持ちを1年以上前にちょっとだけ書いたのですが、ここにはアップせずに忘れていました。知人のこの文章から、私の当時の記録ものせてみることにします。
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この夏、車を替えた。今までの車は14年半乗った。マニュアル車でエアコンもオートではなく、窓は人力で回して上下した。14年前の購入の折り、当時小学校低学年だった長男を連れてディーラーを見て歩いた。パワーウィンドーやリモートのドアロックなどに子どもは目を輝かせていたが、上記のように時代遅れともいえる車を購入した。今年の車種検討でまず驚いたのは、マニュアル車がカタログにほとんどないことだった。そして時代遅れな私もとうとう時の流れに逆らわずオートマ車に乗ることに決めた。
今日、母を乗せていて急に言われた。
「もう、この車の運転にも慣れたかい?」
そう言えば、今回の乗り換えはほとんど違和感なく3ヵ月ほど過ぎた。「この車に十数年乗ってそののちマニュアル車に替えたらどうだろう。」、そんなことを運転しながら考えた。マニュアルからオートマへの転換はスムーズでも、その逆はきっとそうはいかない。スピードの変化とともに無意識に行ったギアチェンジなど長い年月で作り上げ身につけてきたマニュアル車の運転技能ははげ落ちて、また最初から身につけていかなければならないだろう。
「こういう長い間に培ったものを簡単に捨ててしまっていいのだろうか」
そんな気持ちが心の中にわいてきた。機械はシンプルな仕組みが故障もなく長持ちする。このシンプルな仕組みを使いこなす技能を私たちは蓄えてきた。技術の進歩で複雑な仕組みも故障せず長持ちするようになったのかも知れない。機械が複雑になって、人間はシンプルでいられる。しかし、人間にとってこういう変化は「退化」なのかも知れない。
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昨日、テレビでコンビニのことを何やらやっていました。お年寄りの利用の少なかったコンビニが、いまやお年寄りに不可欠なものになっていることも紹介されていました。こんな放送をみていると、コンビニがお年寄りに支持されるようになってきたんだなーと感心します。スーパーよりも割高なコンビニですが、必要なものを置いている、近くにあるといったことが支持をのばしている理由かなと思いながら見ていました。
金融機関ではできない3時以降の振り込みの取り扱いが、予想以上の支持をえて大きな業績になっているそうです。こんなところでも私たちのニーズを上手にとらえたのだなと感心してしまいます。
番組の途中からは若い人の支持について。一人住まいの独身女性らしき人が、「私はコンビニがなくては生きていけない。」なんてことを言っていました。この女性、冷蔵庫の中には飲み物ぐらいしかなく、自宅で火はまったく使わないそうです。炊事はもちろんお茶も買ってくるので、お湯を沸かすこともないとのことでした。買ってくる方がずっと合理的なのだそうです。
考えてみると私たちの生活は非合理的なことにあふれています。そして私はその非合理的なものが決して悪くないと思っているようです。家事などほとんで手を出さない私ですが、自宅でお茶を入れることはただお茶を飲むためだけではないようです。火のぬくもり、お湯の沸く音、立ち上る蒸気、そんなお茶が出てくるまでに付随してくるものが買ってきたペットボトルのお茶ではバッサリと切り捨てられてしまうような気がします。この若者の考えを分析して理解してみせる学者さんに、「それはないよ!」と思ってしまいます。
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年末恒例の年賀状づくりがやっと始まりました。例年、「もっと早く始めれば」と思うのですが、今年もやっぱりせっぱ詰まっての作業です。
パソコンで作る年賀状のCD付きの本を買ってくるといくらでもきれいな年賀状ができるのですが、私にはどうも肌が合わないようです。毎年、気に入った図案を見つけては、わざわざ品質の劣る版画にしているのです。今年の図案は・・・・

やっぱりよく見えない写真にしておきます。
絵の具も少しずつ買い足して、今では5色が手元にあります。絵筆は昨年のものをまた使用。油性絵の具の薄め液は今では灯油になってしまいました。絵の具のパレットは食品トレーを利用しています。
印刷が終わってよく乾くまでも何日かがかかるのです。時間がかかるので我が家の版画年賀状は限定○十枚です(決して立派なものではありませんが)。そして足りない分はパソコンで作ったもの、今年は絵本の中の絵を借用。これが結構自己満足のものになったのですが、こちらの年賀状は限定○十枚。今年は普通ハガキを少し欲張りましたので、パソコン年賀状はあまり陽の目を見ないかもしれません。
今年も知り合いの「いさお君」が、「順位のない運動会」というブログ記事を書いています。昨年は「順位をつけない」ということばに惹かれましたが、今年はその運動会がどのようなものか具体的に紹介しています。読んでみませんか。
http://isaokunn.at.webry.info/200710/article_1.html
私はこんな運動会が「いいな」、と思ってしまいます。
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