カテゴリー別アーカイブ: 音楽:私の音楽ノート

もうひとつの「梨大合唱団OB・OG会」

私達よりも5年ほど若い学年が中心となって行っているOB・OG会の案内をいただき参加してきました。こちらは全くの唱う会、会場は甲府市のあるショッピングセンター脇の学習塾の教室です。学生時代の練習室をとろうとしたけれども、大学のオープンキャンパスのため利用できなかったとのことです。

集まったのは女性10名・男声16名、計26名。それから佐々木先生の奥様と二人のお嬢様。OBとしては何と私が最年長(笑)、そして国分寺のメンバーのHさんとその同級生で40年ぶりの再会となるSさん、昨年まで一緒に唱っていたSさんもしばらくぶりの再会でした。私のなじみのある方はここまで、年代の違いを感じさせられる私達から見たら若い世代の会でした。

事前に、楽譜は讃美歌と緑(青)の本を持ってくるようにとのこと。緑(青)の本とはのばら社の「混声合唱名曲選」のこと。でも讃美歌も愛唱歌もこの会の主要メンバーがコピーを作ってきてくれました。一人は拡大コピーで、もう一人は縮小コピーで。縮小コピーしてきた方、「おまえな、メンバーの歳を考えろ。縮小コピーなんてとんでもない。」とお叱りを受けたそうです。でもこうして何人もの人がこの会を楽しみに楽譜を用意してくるなんていいですよね。それからソフトドリンクが用意されていたり各地からの甘味の土産が並んだり、それぞれの心遣いがうれしいな。

OB会1
OB会2

 
午後2時、会が始まりました。6月のOB・OG会にも見えたKさんのリードで、用意された電子ピアノをつかってまずは分離唱。それから讃美歌310番しずけきいのりの。唱い始めると久しぶりのその響き、感激です。「あ~、梨大の合唱だ~!」と。次々と讃美歌を十数曲それから山田耕筰や愛唱歌等々、途中休憩を挟んで2時間ほどがあっという間でした。

4時をすぎた頃、集まったメンバーそれぞれのちょっとしたスピーチ、学年ごとにまとまって前に出て話します。我々のOB会でもいつも時間を費やしてしまうスピーチ、こうするとちょっと効率的で一工夫ですね。一番年上の私がトップバッター、そして3学年下が2人、多い学年は5人ほどが並びました。そして一番最後は1年時にだけ佐々木先生の指導を受けた最後の学年まで。こうして集まってくるって言うのは、1年間だけでも佐々木先生の合唱が印象深かったんですね。何十年ぶりかで唱ったSさん、「楽譜を見てこれは知らない曲歌ったことのない曲と思うんですけどね、唱い始めると自分でも唱えてしまう。不思議な感覚です。」なんて言葉が印象的でした。先生の奥様とお嬢様にもお話しいただいた後残り20分ほど、また唱い始めました。久しぶりに唱った学生歌、それから唱い残した讃美歌などなど。

会場の時間制限もあり予定通りに5時で終了。次回の話もありました。団内カップルも何組かおり県外の方でも奥さんは山梨出身の方が多いとか。この会はそういう人たちが集まって唱えるお盆の時期に始まったのだそうです。お盆の時でなければ参加できないという人とお盆の時では参加できないという人がおり、今では一年ごとにお盆の時期とそれを一週間ほどずらした時期と、かわるがわるに開催することになっているのだそうです。今年はずらした年、そして来年はお盆と時の順番になるとのこと。来年は出られるかな~?

OB会3

多くの方はこのあと懇親会に向かったのですが、私はそちらはパス。40年ぶりのSさんも懇親会不参加とのことでしたので、せっかくの機会と二人で食事をしてゆっくりと話す時間をもてました。嬉しい一日、声をかけていただいた方達に感謝です。

第13回さらりと音楽談義

13th音楽談義1

今月も行ってきました、さらりと音楽談義。今回のモチーフは「組織」。

まずは主催者から、藤原先生の息子さんがチェロコンクールで優勝したとの報告がありました。兵庫県養父(やぶ)市にビバホールという音楽ホールがあり、そこを会場として開かれているコンクール。小さな町ではじめたコンクールが、今や国際的なコンクールに育ってきているのだそうです。資金的に支える人はもちろん、多くのボランティアの存在もあって続いているコンクール、アートの文化が大きく育ったのです。
他の地域のイベント・団体・コンクールにも話が及びました。

・今は名称が変わってしまいましたが、有名な齊藤記念オーケストラはそのイベント開催・運営のためにつくした一個人がいる、その方がいてこそなのだそうです。
・沖縄では沖縄電力・沖縄タイムス(新聞社)・南城市が一体となって開催している新人演奏会オーディションがある。
・湯布院にも音楽祭があり、長期的展望に立って組織的に取り組んできた。
・アメリカのコンクールでは資金提供者の名前が出てこない。
・米IBMは発足当初から「利益の8%を社会還元(社業と関係ないところへ)する」という社是があり、日本IBMも同じ方針だという。

等々、音楽文化を育て高めるための組織や見返りを求めない支援者のことを伺いました。

話はかわって、藤原先生の所には同じサイズのヴィオラ・ダ・モーレが4台あるそうです。最初の楽器は神田カンパニーからはなしがあったとか。神田カンパニーというのは海野事件の会社だそうです。そういえば一時話題になりましたね、海野事件。その神田カンパニーでチェコからビオラを輸入したが開封してみたらヴィオラ・ダ・モーレだったということで藤原先生に話があり、購入することになったとか。いったいいくらだったんでしょうね。これを修理に出したことがきっかけで、その業者さんが作った別の楽器が引き取り手が亡くなって藤原先生の所に廻ってきたりと、不思議なご縁で手元に同じ楽器が4台になったとのこと。でも共鳴弦の響きの残り具合などそれぞれ個性がみんな違うのだそうです。2台の楽器を弾き比べていただきましたが、素人の私にはわかったようなわからないような、です。

話を聞いていて思ったことがありました。齊藤記念オーケストラのためにはたらいた人のことを伺っては、山形のFさんのこと。分離唱の合唱に一生懸命なFさんのまわりはいつもハーモニーがあります。なんといってもすごいのは一緒に唱っている団体名にFさんの名前がついてしまったこと。決して指導者というわけではないFさんへの団員の方々の信頼の厚さはすごいなと。

来月の音楽談義は16日、お盆の時で残念ながら我が家は参加できそうもありません。次回は2ヶ月後か~(泣)。

13th音楽談義2

日本人の耳をひらく

日本人の耳をひらく日本人の耳をひらく
聴覚がもっている不思議な力
傳田文夫
祥伝社

 ネットで「耳をひらく」というキーワードで検索するとこの本の名前がヒットします。長いことそれを見ていたのですが、我々の間で使われた「耳をひらく」という言葉とは関係がなさそうだと深入りせずにいました。ところが先日知り合いからこの本をいただきましたので早速読んでみました。

我々の生活は騒音・雑音があふれている。それを無意識に聞いているが、改めないと・・・・といったことがわかりやすくていねいに説明されていました。それから日本語特有のリズムが日本人の音楽やらスポーツやらいろいろなところに影響を及ぼしていることも、この本の中の大きなテーマでした。でも文中に「耳をひらく」ということばが登場するわけではありません。どうやら「耳をひらく」ということばが著書の内容をうまく表す表題として使われたようです。

書かれている内容はなるほどなるほどと頷けることばかりです。でも私達にとって音楽する上で特別な意味合いをもっている「耳をひらく」ということばが全く違う理性的なところで使われているようで、どうしても違和感が残ってしまいます。

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「クロイツァーの肖像」

クロイツァーの肖像クロイツァーの肖像
日本の音楽界を育てたピアニスト
萩谷由喜子
ヤマハミュージックメディア

 甲府の大きな書店で見つけ、購入しました。私はかなりのクロイツァー・ファンですから、こういう本を見つけるとうれしくなってしまいます。表装も気に入りました。

ロシア革命、ドイツの戦争と歴史に翻弄され、ロシアからドイツの楽壇での活躍を経て日本に渡ってきたクロイツァー、でも日本でも十分な活躍の場を与えられたわけではないようです。さらにはドイツと同盟を結んでいた日本でのこと、ユダヤ系のクロイツァーには社会から隔離されるなど試練の時期があったそうです。でも戦後も日本に残って音楽界を育てたクロイツァー、日本を愛していたんでしょうね。

最終章はクロイツァー没後の豊子夫人のこと、この本の執筆のきっかけはクロイツァー夫妻の養女涼子さんの依頼によるとのこと、その依頼の中には「豊子夫人のことも書いて欲しい」ということもあったのだそうです。先日、知り合いから豊子夫人のCDを聞かせていただきました。「クロイツァーを尊敬し信頼してたんだろうな」と頭をよぎりました。

一読してみませんか?

さらりと音楽談義(第12回)

12th音楽談義2

1週間たってしまいましたが、さらりと音楽談義の報告です。6月のモチーフは「自然リズム」。

今回は少し遅れてしまいました。多分先生の演奏があったと思うのですが、私たちが会場に入ったときにはもう談義の真っ最中。

「演奏するのに『力を抜け』と言われるけれど、むしろ「いつも力が抜けていて何時力を入れるか」という形でアドバイスすべきなのでは」

と藤原先生。

「普段リラックスしている状態をより深くしておくとよいのでは」

と、これは「ゆる体操」を教えている若者。
演奏会に送り出すとき、日本人は「頑張れよ」と声をかけるがアメリカとかでは「リラックス」と声をかけるとか。
こんな議論を聞いていると、私達の音楽体験に不可欠であった「聴く」「耳をひらく」という言葉が思い浮かびます。周囲の音が自然に聴こえてくる、ハーモニーの中で自然に唱えるというようなこと。本当は簡単なこと、でも「聴こう聴こう」と思ってもなかなか聴けない。少しずつ少しずつ「聴く」ということの理解がすすんでいったように思います。リラックスすることの難しさ奥深さが「聴く」ことと重なってきます。

指導は「褒めて伸ばす」というようなことも話題になりました。最初は「素晴らしい」と言ってあげて、それからいろいろと注文を。「結局、褒めてないんですけどね。」と藤原先生ならではの笑わせながらの展開です。そんな中から小澤征爾さんの「N響事件」なんてことにもはなしが及びました。

日本の音楽教育を受けてオーケストラに入って外国人と一緒に演奏してみると、自分が習ってきたことと全然違うものに気づく。しかし、違うんだけど何だかわからない。このあたりからリズムの話になりました。

・日本人はメトロノームが基準、欧米人は伸び縮みがある。
・日本人は音楽が理屈じゃないのに理屈をならって理屈に合わせようとする矛盾に陥っている。
・機械的リズムは行き着いたところではない。
・機械的じゃないと全部マチガイというような考え。
・欧米的なゆらぎを持っている人(とはいっても地球人ならみんな持っているはず)。
・音楽は時間芸術、美術は空間芸術。
・音楽の「時間の構図」は、美術の「空間の構図」に置き換えることが可能であろう。
・機械的なものから自然のリズム・昔から受け継がれているリズムに近づいていかないとならない。聴く人も自然のリズムがあるから共感できる。
・「こうじゃなくちゃ」というの全くない。

などなど、藤原先生の言葉でした。このようなお話の中に一貫して自然のリズムのこと、リズムのゆらぎのことが語られているようです。

はなしも盛り上がって今回は終了時間をかなりオーバー、そのため最後の先生の演奏はなし、残念! でも先生から語られる音楽の世界、興味深く充実した時間でした。

12th音楽談義1

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第10回さらりと音楽談義

10th音楽談義いつも会場に花を用意してくれています。今回は矢車草の籠を中央に、それを取り囲んでの音楽談義です。

熊本の震災直後です、まずはスタッフから募金の呼びかけがあり、先生からも滝廉太郎は幼少時は竹田市で暮らした、その竹田市の城山も崩れたといった情報も紹介され、被災地に想いを向けつつ音楽談義が始まりました。今回のモチーフは「リズムはゆらぐ」。

まずは先生から、「音楽は大宇宙から受けたリズムで成り立っている」というふうな話がありました。科学は自然を損なうべきではない、(人間の)寿命を全うするように尽くすものであるべきだ。ボタンを押せば食事が出てくるというのは決して便利なことではない。人が動かないで健康になるはずがない。しかし今の科学は全うすべき寿命を縮めているのではないか。ロボットに感情を埋め込むなんて・・・・。ロボットが高校に入学したと言うが・・・・。

先生から「リズムをどんなふうにとらえていますか?」と投げかけがありあました。ある方からは「調子」と、そうして別の方は「鼓動」。「うん、なるほどなー」と感心しながら聞いていました。先生が「余り一つの話題をひっぱてもねー、これが答えというわけではないけれど」と話し出してくれました。古代ギリシャでは「流れ」・「形」をリズムと言った。リズムは決して音楽用語ではなく空間のリズム、時間のリズムなどがあり、時間のリズムの中にあるのが音楽。リズムはあらゆる事物に関連することば、あらゆる事物に使っていいことばなのだそうです。

建築の仕事をされている方が音楽と深くつながっているような話題を提供してくれました。建築につかわれている黄金比のこと、屋根の反り、揺れるからこそ耐久性が得られるやじろべえのこと、そしてそのはなしの続きとして音楽のリズムをメトロノームに合わせてはダメだと言うことに至りました。でも音楽教育ではメトロノームのような一定のリズム、何拍子だから何拍目を強く、といったことを学習する。それを忘れたり捨てたりしなければ音楽にならないことなどに話が及びました。

10th音楽談義2

休憩時にはロールケーキと紅茶を用意してくれました。その時間、先生が「前衛を!」とひとことつぶやいてピアノを弾いてくれました。やさしい感じで始まったのですが、突然驚かされるような音が入ってきたりして度肝を抜かれる感もありました。でも、私は気づかなかったのですが演奏の中には「あんたがたどこさ」などの童謡や荒城の月をアレンジして織り込んであったのだそうです。その演奏の感想を含めて参加者一人一人が一言ずつ語っていったのですが、多くの方がこの演奏から震災をイメージしていたようです。

一人の方が質問しました。「ベートーヴェンの運命の冒頭、指揮者によって演奏が非常にちがうが、そういった演奏はどこまで許されるのでしょうか?」と。先生のお答えは「マチガイ以外は全部正解」。どうやら楽譜というのは音楽をがんじがらめに制限しているものではなく、かなり自由度がある最低限の決まりであるようです。「演奏を聴いて、どういう意味を表しているか考えてしまうが・・・・」との質問には、「それはそれでいいのではないでしょうか。」とのこと。音楽に向き合う考え方、感じ方などひとそれぞれ違っている、そのことを尊重してくれる先生なのだなと感じました。

このあたりでタイムリミット、最後はやっぱり先生のヴィオラ・ダ・モーレの演奏で締めてくれました。振り返ってみると今回のモチーフ:「リズムはゆらぐ」その話題をしっかり話し、聞いていたんですね。

ピアノの調律

我が家にもピアノがあります、アップライト・ピアノ。弾く人がいないまま長年が過ぎてしまったのですが、3年前からピアノを習い始めました。まさに「60の手習い」、全くの初心者です。そこでこの度、10年ぶりくらいに調律してもらうことにしました。

予約の日、調律師さんが我が家に見えて前面の黒い板を外して作業を始めたのですがそこで問題発生。弦を弾いた鍵盤が元に戻るためのバネ、それをハンマーとつなぐ細い糸があるのですが、これが長年の劣化で次々と切れ始めているとのこと。結局この糸を全部取り替えることになり、予想外の時間を要することからまた日を改めてということになりました。

 そして約束の日、作業が始まりました。どのように作業が進むのか、私も興味津々です。

調律1

 まずは鍵盤の数だけの短い糸を必要な長さに切りそろえます。前板を外した後、ねじを外してハンマーを次々と外していきます。変色し劣化してしまった糸を外し、糸を固定していた部分に溶剤を流し込んで接着剤を溶かし、取り残しの糸端を金具でほじり出します。

調律3糸端を外した溝に接着剤を少量落とし、新しい糸を接着していきます。

調律4

糸を装着した木片をハンマーに取り付け、バネにかませ、本体に取り付けていきます。全部付け終わったところでハンマーの位置を微調整。

調律5

 そしていよいよ調律です。中音域の弦にフェルト状のベルトを押し込んで、一音につき三本ある弦の内両端弦が振動しないようにしておいて、中央の弦だけの音を調整します。最初はA(アー)の音、音叉の音に合わせていきます。そこから上下に広げて(多分)一オクターブの音の調正、今度は音叉の音が基準ではなく、合わせたAの音を基準にしての作業。次は中央部から高音部へ音の調整を広げていきます。ここでは一つの音の三本弦のうち二本を木製風の道具で押さえてまずは一本の音合わせ、それがすむと隣の弦を同じ音に調整、さらにもう一本もと三本弦を続けて調整してしまいます。低温部は二本弦さらに低いところは一本弦、弦の数が少ない分作業がはかどります。そして最後、中音域の左右の弦が振動しないように挟んでおいたベルトを順次外しながら音を合わせた中央弦に合わせていきます。

 と、まあこんな説明で間違いはないのかな。

合間にはいろいろと調律師さんに聞いてみました。

「今は、全ての音を出すチューナーがあってそれで調律というのもあるんではないですか?」
「そういうのもありますよ、でも私は和音をたたきながら調律しますし、その方がよいと思っています。」

「聴いて聴いて」の音楽で育った私たちとしては、こういう調律師さんでほっとします。長年ほったらかしていたピアノ、調律をしても元の音に戻ろうとして、高音部の調律をしている間にもその前に行った中央部の調律した音が戻り始めているとか。調律は基本一年に一回ですが我が家のピアノは半年後に調律した方がよいのだそうです。これからは心改めてメンテナンスをしてあげようかな。

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第9回さらりと音楽談義

いつも楽しみにしている音楽談義、3月のモチーフは「はじめとおわり」でした。中央の春らしいやわらかな花を囲んで長テーブルが6脚、参加は15人でした。

9th音楽談義1

 

参加者の前のテーブルにはおやつが、今回もくつろいだ楽しい時間の始まりです。

9th音楽談義3

 

いつものようにまず先生が話し始めます。人類の歴史から地球の歴史、さらには宇宙のことの話が及び「長~い時間」を想像させるお話。

「人類がいなくなっても地球の一生は終わらない。その時地球は、『あ~、スッキリした。』なんてつぶやくのかもしれない。」

なんて、ユーモアのある先生です。人間の一生も地球や宇宙の時間にしてみれば一瞬のこと、その一瞬を充実させるために音楽・芸術があるんだとのことでした。
それから参加者にはなしを振ると、ある大学教授が「ゾウの時間、ネズミの時間、身体の大きさで流れる時間の早さ(時間の感じ方)がちがうんだ。」といったとか、先生の話をきっかけに興味深い方向にはなしが展開していきました。
以下、先生の名言の数々です。

・一期一会、時間は一瞬の連続、一瞬一瞬を大切にしないと。
・音楽時間は、時計時間に合わせるのが正しい、メトロノームに会わせるのが正しい、という考えがあるがそうじゃない。
・指揮者は構図を描きデッサンしている、時間の変化をコントロールしている、時間を与えている等々。
・音色・強弱は練習で、練習と本番が違うからおもしろい。
・明治以来、音楽を嫌いにするようなことをしてきた。強い弱いをリズムと教え込んだ。等、日本の近代音楽が誤った方向で行われてきた面がある(というようなニュアンス)。
・指揮者はメンバーを操り人形のようにするタイプと音楽を楽しくするようなタイプがある。

休憩時間に今回はピアノを弾いてくれました、まず即興演奏を一曲。それから希望したイメージを即興で弾いてくれるということで主催者側の方が希望を出しました。
「川を遡上する鮭、ジャンプも・・・・」と。そして即興ピアノが始まりました、大きな川を鮭が群れをなして泳いでいる、水の流れにもまれながら上流に向かっておびただしい数の鮭が泳いでいく、ときにはジャンプ、岩場をジャンプ・・・・、そんな情景が脳裏に描かれました。
更に後半も興味深いおはなしが聞けました。

・ロボットは音楽を演奏できない。
・人間の感覚は進化しない。快い、危ういという感覚は変わらない。
・きたないい音まで美しいと思うようになると、人間は自分の身が守れなくなる。 等々。

終了時間を過ぎて司会の方が、「このメンバーは最後に先生の演奏を聴かないと今夜は眠れないから」と、強引にまた先生の演奏をねだってくれました。今回もピアノの即興、曲の途中に「さくらさくら」のメロディーが流れたりしました。楽器ケースを指して図々しくも、「もう一つ箱をもってきていますから・・・・」と更にヴィオラ・ダ・モーレの演奏をおねだり。これまた即興曲を聴いてこの日の音楽談義を終えました。

9th音楽談義2

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写真展と児童合唱

フクロウ写真展1

齊藤嶽堂写真展
八ヶ岳のフクロウ/神威(カムイ)の在処

と題する写真展に行ってきました。この写真は会場の玄関に貼ってあったポスターですが、この前近くの会場で全日写連韮﨑支部の写真展をのぞいた折りにこのポスターの縮小版のチラシをいただきました。木の洞にうずくまっているフクロウの姿の写真、何ともいい写真でこれを見に行ってみようと思ったのです。

 

フクロウ写真展2

会場は八ヶ岳の西に位置する長野県原村の八ヶ岳美術館(原村歴史民族資料館)、林の中のモコモコとした建物が個性的です。

窓口で入場料を払って入ろうとしたところ、「今日は地元原小学校の音楽コンサートが美術館内で行われるので、正午からの入場は無料です。」とのこと、ラッキーでした。

敷地内の林の中には金属彫刻が点々と配置されています、更に館内にもたくさんの金属彫刻が。武蔵野美術大学をひらいた清水多嘉示氏がこの村の出身で、その作品が多く展示されているのです。また村内に大規模な縄文集落が発掘され、出土したおびただしい土器・石器なども展示されています。縄文期にもこんなに立派で芸術的な土器があったんだと感心させられました。

それから齊藤嶽堂写真展、これは二つのコーナーに分かれ、一つは八ヶ岳山麓でのフクロウの写真集、もう一つは厳寒の北海道での動物写真集でした。齊藤さんはフクロウに魅せられて八ヶ岳山麓でのフクロウ保護活動をされているのだそうです。フクロウは自然のバロメーター、フクロウが生活していると言うことは餌になるネズミやモグラなどの小動物がいると言うこと、その小動物の食料がまた豊富にある豊かな自然であるということなのだそうです。フクロウの保護は自然保護。元来は樹木の洞に巣を作るのだそうですが、適当な木が切り倒されてしまっているため巣箱をもうけて人工的な手助けもしているのだそうです。そうした巣の中の様子、ふ化から成長に至るまでのフクロウの子育て・見守りの様子などがたくさんの写真で見てとれます。
動物写真を撮るための苦労も紹介されていました。寒さに耐え根気強くシャッターチャンスを待ち続けるという動物写真の世界、驚くばかりです。
そしてもうすぐこの齊藤さんのプライベートギャラリー「ふくろうの里」が私たちの近く:山梨県清里にオープンするのだそうです。楽しみ!

 

 フクロウ写真展3

写真展を見ている間にこどもたちの歌声がきこえてきました。13:30からのコンサートのリハーサル、そしてリコーダーの合奏も。リコーダークラブは20人程度、正確には数えてないのですがソプラノ・アルトリコーダーはもちろん、テナー3本(?)、バス2本、コントラバス1本と本格的です。低音も悠々と流れて立派なものでした。合唱の先生の熱心な指導、こどもたちの一生懸命に歌っている姿も印象的でした。
やがてこどもたちの保護者らしき人たちが続々と詰めかけて80席ほどの椅子は満席、立ち見の人も居る中でコンサートが始まりました。私たちは合唱だけ聴いて引き揚げたのですが、朝ドラの主題歌「365日の紙飛行機」や「金比羅船々」等々の曲、いずれも熱演でした。写真の手前に立っている大きな陰は指揮者ではなくて彫刻です。美術館の彫刻に囲まれて行ったコンサートもこどもたちの記憶に残ることでしょう。

なおこの写真展は3月27日まで開催中です、お出かけしてみませんか。

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「今月の一曲」をお聞き下さい

一曲だけですが分離唱の合唱を聴いていただけるようにしました。

今月の一曲
http://susuki.chips.jp/?page_id=5915

をクリックするか、ページ上部のメニューから「今月の一曲」を選択し、プレイ・ボタンを押して下さい。

音楽ファイルの大きさに制限がありますので、短い曲に限られてしまいますが、これから毎月一曲を選んで聴いていただこうと思っています。どうぞお聴き下さい。