先生の指導が始まる前に退団してしまった先輩がいた。純粋な方で、自己の求めるものに照らし合わせて、その頃の合唱団に失望してしまったということのようだった。秋になってからこの先輩に練習の録音テープを聴いていただいたところ、驚いていた。「短期間によくこんなに変わった」ということらしい。中にいる人間にとっては、自分たちの変化などわからないものだ。私たちにとっては、そういう合唱をしていることがただの日常であったにすぎない。だからこの時初めて、私たちの合唱の客観的な評価を聞いた気がする。
録音の中にはモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」があり、流れてくる演奏に合わせて私が口ずさんだところ、この先輩はまた驚きの声をあげた。「アヴェ・ヴェルム・コルプスを編曲するなんて大それたこと、佐々木先生はそんなことまでするのか」ということだった。この先輩はバッハのカンタータとかその他宗教曲などのミュージックテープ(オープンリール)を買ってきては聴いているような方だった。私はただ与えられた曲、与えられた編曲を何も考えずに歌ってきただけだが、「音楽好きの人はそんなことを考えるのか」と、その頃の私は妙に感心してしまった。