特集 “野の花”のごとく (その2)

″野の花″のごとく……

 その夜の日本青年館は、名も知れない東北の一男声コーラスをききに、それでもかなりの聴衆が集まった。1000名あまりを収容できる会場は、八割もはいれは盛況を呈した。
合唱団の先輩とか知人の閑係者をのぞき、その夜の聴衆のほとんどが、半信半疑で幕の上がるのを待ったにちがいない。地方都市からの、この若いおのぼりさんたちの晴れ姿に、多分に同情的だったことも否めまい。タカをくくった聴衆も、形式的な声援を送るだけの客も、きっとたくさんいたにちがいない。

 ところが一部、二部とステージが進むうちに、そういう不遜な客たちは、自分たちの態度をあらためないわけにはいかなくなった。

 プログラムをうずめる25曲、それにアンコールをふくめて、そのハーモニーの、美しく安定した姿に驚嘆させられたのだ。男声合唱特有の発想とか勇壮さとか、時には粗野な叫びに似た刺激さえ感じるあの不快さとか、そういったものの片鱗もない洗練された音楽に、いつのまにかひきいれられていったのだ。きわめて自然にひびく自然のハーモニー。刺激がないといえはなさすぎるくらい。天然自然のままの姿といってふさわしいその合唱に、聴衆は何の抵抗もなく感動に誘いこまれていったのだ。

 二十名ほどの少数グループだ。純粋にひびくハーモニーと、その流れだけがこの連中のすべてだった。聴衆たちは、この夜の演奏からつぎのようなことを学んだ。

- 音楽的感動の大半は、ほんとうに美しく調和したハーモニーにあるのだ、と。逆にいえは、ハーモニーをないがしろにしたところには、決して音楽的感動は起りえないものだということ。

 その夜の聴衆たちは、このことをあらためて実感し、このありふれた理屈を、いまさらのように心に銘じたものだ。
これが、この”合唱界”という雑誌の生まれる一年あまりも前のことだ。こうして最初の礎石は、この大地に打ちこまれたのだった。

 きくところによると、そのころの彼らにはつねに50曲の暗譜レパートリーがあったという。そして彼らのコーラスは、音叉などの音で、パートが確かめあって歌いだすようなものではない。メンバーの誰かに合唱の感動が起り、うたいだすや否や、いあわせた音たちはただちに美しいハーモニーを保って流れだすということである。それというのも、彼らは″ある特別の訓練″を経てきたからだ。50曲暗譜の件とも大いに関連がある。彼らが、特別に頭がいいということでもない。また、特別に才能にめぐまれた連中というわけでもないのだ。普通の、どこにでもいる青年たちにすぎない。それに、彼らはつぎからつぎへと、新しい曲にとびこむことをあまり好まない。彼らが純朴で消極的だからというのではない。彼らは、自分たちで作った実しいハーモニーで、同じ曲を何度くりかえしても、感動を新たにすることこそあれ、決してあきることがないのだ。

 彼らにとって合唱することは、練習することではない。たしかに、楽しむための合唱を、合唱しているということがいえそうだ。

 彼らの合唱は、″野の花″のごとく、あるがままの姿である。その美しさは神秘でもなんでもない。誰にでも、自然は、心の中に用意されているはずだから。
さて、ここで、東北の一隅に咲き誇る、この″野の花″たちの物語をはじめることにしよう。

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