3分離唱のレッスン(音楽教育に光)

分離唱のレッスン
「和音の中の一音を歌う」だけの、やさしい訓練。

 分離唱は、先生がピアノ(オルガン)でひく和音(同時に三つの違う高さの音が鳴る)を聴きながら、その中の一つを歌う、というだけの簡単なものだった。先生はつぎつぎに組み合わせのいろいろちがう和音をひいて行かれ、そのたびにその中の一つの音の名を示された。私はそれらの音を歌って行った。和音はあちこち変わって、私の歌う音もそれにつれて動いたけれど、常に三つの音(和音)の中の一つを歌うことにちがいはなかった。音あての訓練ではないのでもしまちがえて歌ってしまっても先生は即座に正しい音を歌って下さった。私はまた、その音をまねて歌った。遊戯のようでおもしろかった。それから先生は、いつもピアノを聴くようにおっしゃった。たった三つの音の中の一つを歌うだけのやさしい訓練なのだが、分離唱の意味はここにあった。一つの音を歌いながら、ピアノで鳴っている和音を「聴く」ということが最も大切で重要なことだった。

 分離唱というのは、私たちがもともと持って生まれた耳の力を、百パーセント働くようにさせる一種の作業である。私たちの耳は、今どんな人も完全に十分に働いてはいないのだ。それは平均律で調律してある世界中の楽器の影響なのだが、むずかしくなるので、この話はやめておこう。

 こうして、この和音を聴きながら、その中の一音を歌う訓練を重ねていくと、そのうち自分の声がピタリとその和音にはまってしまって、溶け込んだような状態になる。合わせようと思わなくても、ピアノのひびきを聴いていれば自然にそうなって来る。耳が働き出すので、ただ聴くだけで和音にピッタリした声の状態が作れるようになるのだ。この状態が「耳をひらく」ということばで呼ばれていた。私が本屋で偶然手にした本の題名はこのことだったのだ。

 私は想像をしてみた。もし、こうして耳をひらいた人ばかりが合唱をしたら、どういうことになるだろう。それはそれは、すき間のない純粋なハーモニーが生まれることだろう。そして、このむだのない、透明なハーモニーの中で歌うほど、人々はその心地よさに酔いしれるにちがいない。それから歌っている人自身の心を満たして精神状態も変えてしまうことだろう。

 そんなことを考えた時、ふと思いあたることがあった。そうだ、これはあの「耳をひらく」の中で学生さんたちが書いていたことと同じだ。「分離唱によって耳をひらくことは、人間革命だ!分離唱は、目に見えない精神的な世界をのぞく感覚を、身につけることを教える」と。

 

 

 私は、耳をひらくという境地がまだよくわからなかったが、十分働き出した耳で合唱をしたら、きっとごまかしのない音楽がつくれるだろう、という予想は立てることができた。私は今、相当働かない耳になっているのだ。分離唱で耳をひらいたら、いつかあの学生さんたちのことばも、そのままわかる時が来るだろう。そう信じてそれからも佐々木先生のお宅へ通い続けた。

 先生のお宅ではピアノもひいたが、あんなに易しいと思っていたバイエルやソナチネ(いわゆる初級・中級のピアノ教則本)が、耳を使おうとすると意のままにならないのには驚いた。音楽に耳を傾けてひこうとしても、いつの間にか、ただ指に任せてひきまくってい

た。何度やっても同じことだった。

 結局私の耳が十分働いていないのだ。考えてしまうばかりで耳を使わないから、自然と音楽を感じなくなって来ていたのだ。報われない中でひくから、肩もこるしイライラしてしまったりしたのだ。ああ、子どもたちにこそ耳からの音楽が最も必要なのだ!分離唱のレッスンを受けるようになって、このつらさが少しずつ遠のいて来るのを私は感じた。

 でも、少し根をつめて練習をすると、また昔の自分に戻ってしまって、気がつくとピアノをガンガン鳴らしていた。肩もこってしまっていた。私は佐々木先生にも言われたように、できる限り、前の音楽体験を忘れようと努力し

た。ゼロに戻って音楽の勉強をやるんだ、そう思った。

 そんな状態の私だったから、子どもたちに分離唱を試みても、正しい耳で聴いて伸ばしてやることなど、到底できはしなかった。私はとにかく、自分自身がまず変わる時期を待つしかないと思った。

 音大の音楽が想像した以上に、こんなに自分に害があるとは思ってみなかった。私はくやしかったがそれでも毎週毎週、なんとなく気が楽になって行く自分を感じてこの先がとても楽しみになった。

  つづく

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