分離唱による合唱団の誕生まで

佐々木先生を指導者としてお迎えしたのは1973年4月からです。以前は県内のその世界では有力な指導者のもとでコンクールへ出場し全国大会に出場したこともあったそうです。しかし72年度は外部指導者なしで活動していました。そして指導者のいない活動に限界を感じて、次期の中枢をになう学年の人たちから指導者を呼びたいという声があがったのです。

団員の中に一人、佐々木先生のお弟子さんの下にピアノレッスンに通う方がおり、その方の関係かと思うのですが72年の5月、一度先生に2日間のご指導をいただきました。ただ、先生と団員との接触はそれ以前にもあったようです。そんな、私が知る以前のことが「大草原のヤス」さんのブログの以下のページにに記されています。

騙されたと思ってやってごらん
http://naohana-batake.sakura.ne.jp/wp/2015/06/06/

先生の指導をいただいたものの、この年は普通の合唱団として活動していました。この年の演奏会の記録もありました。先生の二日間のご指導のことにも触れられています。

佐々木先生に出会う前(その3)
http://naohana-batake.sakura.ne.jp/wp/2015/07/02/

そしてこの年の11月、次期学生指導者に決まっていたAさんが、先生が長年指導されていた山形南高校OB合唱団(男声合唱)の定期演奏会を前述のお弟子さんらとともに山形まで聴きに行きました。このコンサート、Aさんにとっては衝撃的だったそうです。とにかく「初めから終わりまですべてハーモニーの連続だった、すごい!」というふうなことを聞いた覚えがあります。感激してステージに上がり、先生と握手をしてきたとのことでした。

そんな背景もあり、73年4月、大学の新年度がはじまる直前の春合宿から先生の指導を仰ぐことになったのです。

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