今年も友人が送ってくれました。長年お母さんの強い意志で自然濃でみかんを栽培していたそうですが、世代交代で近年は友人が一手に面倒をみているそうです。味わい深いみかん、しばらく楽しませていただきます。
月別アーカイブ: 2015年11月
梨大合唱団夏合宿の感想2
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二年目の夏合宿
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梨大合唱団東京公演の記録を追加
ナス
劉薇さんの健康食事法
「ヴァイオリニスト劉薇さんの実践的健康食事法を学ぼう」
という催しに行ってきました。10年前、医師から腎臓病のため人工透析が必要と宣告されながらも食事法で今も元気でヴァイオリニストとして活発に活動している劉薇(リュウ・ウェイ)さんの直接の話を聞き、その食事をいただく会です。
突然腎臓病といわれながらも医師に言われるがままでなく、自分の身体や心に問いかけながら病気に向かい合っているおはなしに感心しました。医療が多分に対症療法的であるとは感じていましたが、ここでもそんなおはなしが聞かれました。透析は1回に5万円ほどかかるとか、それが公の医療費で自己負担はほとんどなく受けられるそうです。でもそれは国民全体のお金が使われること。腎臓病患者数は膨大である上に日々増え続けている。自己負担がないからと問題意識を感じることなくその治療に入っていってしまうが、公の医療費破綻は目に見えている。そんな心配を日本に生まれ育ったわけではない劉薇さんから問題提起されました。透析という治療がいいのかどうか、どうしても必要な方もいるのかもしれませんがそうともいえない患者さんもたくさんおられるように思いました。そしてその治療は自身が決めること、医師の理詰めの説明に何も考えずに従ってしまうのではなく、自分で情報を集めて自分で考えて、自分が本当に望むことを選択していくことの大切さを話しておられました。
1時間ほど話を聞いた後は劉薇さんの”薬膳ランチ”です。この日のランチはサラダ付きのカレー、雑穀のご飯に様々な食材の入ったカレーでした。カレーはドロっとしたものではなく自らブレンドしあまり煮込まないもの。食材の堅い食感が残っていた方が素材を味わえ、咀嚼で脳を刺激していいのだそうです。劉薇さんの伝えたい食事法・調理法は劉薇さん自身が実践しているものを定型的に教えるものではなく、その人その人が独自に感じ考えて、自分で作っていくものであるようです。写真には写っていませんが、後からデザートがでてきました。これも砂糖は全く使わず、使った素材のもっている甘さのみという事でしたが甘味も十分の上品な味わいでした。砂糖を摂らないことも勧められましたね。
最後に劉薇さんのバイオリン演奏を2曲聞かせていただきました。食事法・日々の生活は柔軟に、でも自身の音楽については厳しく求めていく、そんな心も教えていただいてこの集まりを終えました。
会場はオリジナル木工家具の我楽舎さん、玄関の様子はこんなです。こちらではまた他のライブの計画もあるようです。
梨大合唱団東京公演の記録
第5回さらりと音楽談義(続き)
この集まりの様子を思い出しながら書いていると、また別のいろいろな思いが湧いてきます。日本のよい音楽がなくなっていくのではないかという事が話題になり、よいものはなくならないのだとの強い言葉もいただきました。
そういえば私たちは佐々木先生の下、実に多くの日本の情緒豊かな曲を唱ってきたのです。当時は井上陽水や小椋桂のアルバムが大ヒットし若者の音楽として大きな存在感だったのですが、そんな中私たちはアカペラ合唱で歌う日本の情景を唱った曲に浸かっていました。山田耕筰をはじめとする日本の作曲家の名曲の数々、民謡の「もつこ」・「南部牛追唄」・「稗搗節」等々、童謡の「どんぐりころころ」・「まりと殿様」・「ずいずいずっころばし」・「通りゃんせ」等々、「汽車ぽっぽ」も童謡になるのかな。そしてこのブログのタイトルである「すすき」も名曲です。
現代の子どもは汽車を見たことがないのだから、「汽車ぽっぽ」も消えてゆくのは仕方がないといった言葉を聞いたことがあり、なるほどなと思ったこともあります。でもやっぱりこんな曲、残ってほしいですね。「すかんぽの咲く頃」の、
土手のすかんぽじゃわさらさ
昼はほたるがねんねする
ぼくら小学尋常科
今朝も通ってまたもどる
・・・・・
なんていうのは私たちの世代から見ても古い情景です。でも、なんともいい光景が心の中に広がります。
「かえろかえろと」の
・・・・・
はたのタマネギ たたきたたき帰る
・・・・・
なんていうのもいいな。挙げるときりがありませんね、これら名曲の数々、残していただかないと!
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第5回さらりと音楽談義
行ってきました、今回のテーマは「音楽」。
参加者の一人の提案で、フランスでのテロの犠牲者への黙祷ではじまりました。テロについても話題となりました。力で解決はしない、テロの発端は貧困、だから貧困をなくすことこそ大切だと。
音楽とは、元来科学も天文学も含んでいた、森羅万象あらゆることが音楽であったとのこと。音楽とか天文学とか、なにかと分けたがる傾向があるがそれは好ましくないというようのおはなしがありました。アメリカは最初から違う民族・人たちが集まっているが「分けたがらない
」。しかし日本人ははじめから単一民族、みんな一緒なのに「分けたがる」のだそうです。音楽からはじまって、音楽を超えた広い範囲のはなしに広がってしまいました。
「みんなどんな音楽を好んでいるのか」という一人の問いかから、
「私たちは日本の音楽、芸能を理解していないことに気づく」
との話があり、そこから日本の伝統文化・伝統音楽の話に。
「明治期、西洋音楽が入ってきて日本人は劣等感を持ってしまった。」
「日本は西洋音楽を取り入れようとした。」
「日本の音楽、邦楽などは西洋音楽からみると独特のもの、西洋音楽の合理性にはまらないものがある。」
「わらべうたなどもなくなってしまうのではないか。」
「それは教育方法にも責任がある、日本の名曲『荒城の月』も教科書からなくなってしまった。」
「しかし本物は残さなければいけないし、残っている。快いもの・美しい状態を人間は共通して持っている。だから本物がなくなることはない。音楽が変わってきていると言っても表層が新しいものに変わっているだけだ。」
等々。
今回は「音楽」という大きなテーマでしたが、ここに集まってくるのはそれぞれが音楽好き、音楽を話し出したら止まりません。先生だけでなく次々と参加者が発言して今回の会は展開しました。このような会になっていくのも、私たち素人のはなしを受け止めてくれる藤原先生の人柄が大きいように感じました。話していてあっという間に終了予定の時間を過ぎてしまい、先生が
「じゃ、今日はここまで」
となったのですが、そこは先生の音楽を楽しみに来ている人たち。
「そんな~!」
「一曲お願いします。」
と。そこで先生も、
「じゃ、即興。」
と、ヴィオラ・ダ・モーレを演奏してくれました。話題の端にのぼったシェーンベルの12音階を意識されたものだったのでしょうか。落ち着いた調正というのとはちょっと違った曲、弓は通常、駒のネック側をこするものなのでしょうが、時には駒を乗り越えてあご当て側を動いたり、同時にピチカート風に指で弦をはじいたり、さらにはネックの裏側に出ている共鳴弦も指ではじいたりと
、まさに自由自在の演奏。曲が終わった後、
「こういう奏法があるんですか?」
との質問には
「あるんだよ」
と平然といいながら、「何でもあるんだよ」と。そんな即興演奏でこの日の会は終わりました。
いつも楽しみな今回の会場の装飾。円形に並べた長机の中央に長机を2脚、その上にこんなものが。黄色い色はイチョウお葉で周囲には松かさのようなものが配置、写真に映っている以上にきれいだったんですよ。
秋の収穫
もう2週間前になりますが、今年の秋の収穫がありました。
まずはサツマイモ。10本ほど植えておいたのがこんなに育ってくれました。昨年も作ったけれど、昨年以上の収穫です。雑草に負けないようにと何度か草刈りをしていました。
それからサトイモ。こちらはもう何年も作っているのですが収穫は今年が一番です。こちらも例年よりも頻繁に、草に負けないように草刈りをしたおかげでしょうか。もう少し土を落としてから写真を撮ればよかったな。自然濃でサトイモを作った場所はチガヤが次々と生えてきます。土を落としてみると芋にチガヤの根が突き刺さったり貫通しているところまでありました。チガヤの生命力も、それからそれを許しながらも育つサトイモもたくましい。
最後に落花生。これもこれまでで一番の収穫。茹でて何回も食べました。お酒に合いますね~!
3品とも完全無肥料・無農薬、安心の食材です。これで今年の収穫は終わりかな。