江戸時代の武家を題材にした物語。栗屋清吾は剣の腕は立つが栗屋家の三男坊で部屋住みの身分。道場仲間の山倉伊八郎も同じような身分だが、その伊八郎に実父の後を継いで藩の筆頭家老にという話が持ち上がる。清吾は伊八郎に用心棒を頼まれ、二人で運命を切り開いていく物語。軽い読み物風ではありますが清吾の実直さと伊八郎の剛胆さですすむはなしは痛快です。
月別アーカイブ: 2019年2月
甲州街道を歩く(第4回)
創立20周年記念甲州街道ウォーク第4回
八王子宿 ~ 与瀬宿
標記ウォークに参加してきました。昨年3月に日本橋をスタートして14回かけて長野県下諏訪までを踏破しようというもの。現在は山梨県笹子峠を越えたところまで来ているのですが、東京から神奈川への小仏峠越えは6月の猛暑、8月の台風の影響で延び延びとなり、先日やっとこのこのコース・ウォークが実施されたのです。
今回は中央線西八王子駅で降りて近くの千人町桑の実公園に集合、ここで開会のセレモニーがありました。この日は都心でJRの停電トラブルがありどうなるかと思ったのですが、幸い大きな支障もなく9:50、ここをスタートしました。
南浅川を渡ります。川の両眼には見事な桜並木、花の季節は見事でしょうね~。
やがてトンネル、ムムム?どうやら進路が違った模様、こんな事もあるんですね(笑)。引き返しました。
再び先ほどの橋を渡ったところで、この川岸の桜並木の土堤を歩くことになりました。桜並木はやがて梅並木に、今ちょうど満開です。
そしてまた見事な桜並木に。
一時間ほど歩いたところで都立綾南公園、ここで小休止となりました。再び歩き始めて多摩御陵にむかう道に出ました。見事な欅並木、そしてその向こうには趣のある橋柱が見えます。
本来のルート:国道20号に出てすぐにまた旧甲州街道に入ります。旧道とはいいながら道幅は広く石畳が敷かれていて綺麗な街道でした。
高尾駅到着、一駅区間歩きました。駅舎も和風です。ここでトイレ休憩。今回はハードな峠越えと言うことで、体力に不安のある方はここからの参加もありなのです。
国道20号線と別れて小仏峠方面行きの道にはいりました。間もなく見つけた雛人形、ここは酒屋さんの店先です。レトロな木戸の前に大型の手作り雛が椅子に掛けている姿、いいじゃないですか。
こちらは駒木野庭園、余裕があれば寄ってみるんだけどな~。
壁絵と非常階段保護柵の絵、これは病院の外観です。いいな~!
駒木野宿に着きました。当時を思わせる街道沿いの家。
宿の跡を示す大きな石碑が桜の古木と並んで立っています。
歩を進めます。前方に圏央道が見えてきました。
中央高速と圏央道が交差するジャンクションの下を歩きます。
少しずつ登り坂に。
この釣り堀も中央線の電車内から見えるんですよね。
昼食場所の日影沢キャンプ場へと左折します。
昼食会場到着。この甲州街道、健脚派のA班とゆっくり派のB班に分かれて歩くのですが、今回私のA班はB班の先着を許してしまったのです(笑)。時間が押しているためか昼食時間は30分、そしてここでも先に到着したB班が先発です。その5分後に我々も集合写真撮影の後、歩き始めました。
日影沢から再び甲州街道に戻ったところで見上げるとこんなものが。オランウータンのような類人猿、いないかな?
沢が段々狭くなっていきます。川と並んで走る車道。
京王バスの終点まで来ました、ここで小休止。ちょうどB班に追いつきましたので、ここで今度は本来の形のA班先発に戻りました。
街道南側の斜面に寶珠寺の看板、きれいに整備されたアプローチ、時間があればね!
いよいよ山の中に入ってきました。この日は雨予報だったのですが、ご覧のとおりの青空。暖かなウォーキング日和となりました。
車道の終点です、ここでも小休止。ここからは土の道、いよいよ峠越えです。
この地点脇には小さな滝が。
傾斜も急になりました。
杉の枝葉の隙間から差し込む光線が風情を高めます。
峠到着です、やった~、苦しかった~。峠は意外と広く、木製のテーブルや腰掛けも用意されています。ここでしばらく休憩。
ここからは下り坂です。スタート時に説明された「最も風情のあるところ、昔の旅人の気分を味わって・・・・」、その通りですね。杉木立の中を緩やかに下るのは何と気持ちのいいことか!
杉林の中を歩いて来て竹林を目にすると、またこれが綺麗。
さらにさらに、林のなかを・・・・。
下りが急になってきました。林の中を道は蛇行します。
車道に出ました。高速道路の走行音が聞こえます。
やがて見えてきました、相模湖側の高速道路と中央線。
高速道路の下をくぐります。
国道20号に合流してまもなく小原宿。これは本陣の立派な建物。平屋風ですが中は四階建てなのだそうです。残念ながらこの日は休館。
宿の面影を残す道路沿いの家並み。
見えてきました、相模湖駅です。駅着は15:50、ちょうど電車に乗るのにもいい時間。
「やりました、小仏越え!」
今回の参加者は85名、この大部隊を峠越えさせるために奔走された皆さん、ありがとうございました。そしてご苦労様でした。 おかげでキセル状態(?)も解消しました。「日本橋から甲斐大和まで歩いたんだよ」と胸をはって言うことが出来ます。次回は甲府盆地にはいっていくんですね、また楽しみです。
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「今月の一曲」更新しました(2月)
「今月の一曲」を更新しました。今回は「わが家の歌」、1971年山形南高音楽部の分離唱の合唱で育ったOB数人が母校の音楽室に集まって楽しんだ演奏です。少人数でこんなふうにハーモニーを楽しめたらいいな!
下記をクリックし、「今月の一曲」ページでお聴き下さい。
「この嘘がばれないうちに」
前作の「コーヒーが冷めないうちに」は昨年映画化されるほど好評だったんですね。その続編です。
喫茶店「フニクラフニクラ」、そのある座席に座ると出されたコーヒーが冷めるまでの間タイムスリップして人に会うことができる。
第1話『親友』22年前に亡くなった親友に会いに行く男の話
第2話『親子』母親の葬儀に出られなかった息子の話
第3話『恋人』結婚できなかった恋人に会いに行く男の話
第4を『夫婦』妻にプレゼントを渡せなかった老刑事の話
いずれもじんわり「読んでよかったな!」と思えるミニストーリー。これらの話の中で店で働く数(女性の名前)やその従兄妹:店主の父娘の抱える過去も少しずつ解きほぐされていきます。
今作もおすすめ。
杜づくり講座
市が主催する「杜づくり講座」に参加してきました。参加者は15人ほどで、まれに見る盛況だそうです。私としては実家の山林や既に木が立っている耕作放棄とをどうしようかとの思案の中での参加です。参加者はほとんどがチェーンソー持参で、みなさん薪ストーブの愛用者、ストーブ用の薪を自前で作るための参加のようでした。私はもちろん自前のチェーンソーなし、主催者側の機械を借りての作業でした。
内容は午前が薪割り、チェーンソーのメンテナンス、玉切り。午後が里山の資源活用。
薪割りは斧を使ってのものと電動薪割り機を使っての両方を体験。斧での薪割りはかなりコツがいるようで、体力も消耗します。それに対して電動薪割り機、便利ですね。ケガに気をつけさえすれば楽な薪割りです。でも斧での薪割りでスパッと割れたときは気分爽快!
チェーンソーのメンテナンスは、ソーチェーンの種類や刃の研ぎ方の説明など。日々のメンテナンスが大切なのだそうです。毎日使用後には燃料を抜き取ってからなおエンジンが止まるまで空運転して完全に燃料が無くなった状態にするのだそうです。「始動動作を3回やってかからなければその機械はもうダメ!」との厳しいおことばでした。
玉切りでチェーンソー初体験、防具をつけて安全上の注意のあと一人一人順に玉切り。パワフルなものですね。刃が切れ目に挟まって動かなくならないように、くさびを打ち込むことなども教わりました。
里山の資源活用は班に分かれて伐倒と玉切り、山の斜面に切り倒してあるものを足場の良いところまでロープを使って引き下ろし、残っている小さな枝を払ってから所定の長さにチョークで印をつけて、そこで玉切り。伐倒は、われわれ初心者としては見るだけでした。細い木のようでも地面に落ちるときには大きな音がして、迫力があるものです。
終了後は玉切りしたものをもらって帰ってきました。参加者には全員保険がかけられていたそうです。結構危険のある作業、素人としてはちょっと考えてしまいます。
「静かな木」
「必ず、愛は勝つ!」
「天翔ける」
幕末に名君と言われた福井藩主:松平春嶽の物語。時代物作品の多い著者ですが、実在の人物を歴史に則って書いている感じで今まで呼んできた作品とはちょっと趣が違う感じがします。でも、西郷隆盛を描いた「大獄 西郷青嵐賦」とは共通点があるかな。史実をよく調べて、淡々と語り描いている印象です。
読む前の私の知識は「維新の頃松平春嶽という人物がいた」という程度、この人物の維新の頃どう存在しどう働いたのか、はじめて知ることができました。昨年は大河ドラマ「西郷どん」もありました。同じ時代を別な視点で眺めることができたように思います。15代将軍の徳川慶喜像もまた面白い。
葉室さんの文章、私は好きです。西郷の死と共にこの人の一生もスッと収めてしまったような終わり方、改めて西郷さんはこの時代を代表する人物だったんだなとも思いました。
「チキンラーメンの女房」
「料理家ハンターガール奮戦記」
料理家ハンターガール奮戦記
ジビエの美味しさを知らないあなたへ
井口和泉
朝日新聞出版
先日TVでジビエ肉を使ったカレー(だったかな)を出す店が紹介されていました。その店主は若い女性。その後図書館でこの本を見つけたのです。「あー、あのときの女性の本」と興味を惹かれ借りてきました。
子どもの頃、我が家では乳牛を2頭飼っていました。子が産まれたのを何度かみました。今になって改めて、子を生ませて子を引き離して牛乳を搾取していたんだなと思います。そんな子牛を業者が引き取りに来ます。可愛がっていた子牛を連れて行ってしまう、そしてそれはまた食肉になったのかも知れません。良質な肉を得るために品種改良をくり返し、優秀(?)な牛の卵子は大量に冷凍保存されて新しい生命を育て、そして食料に変わっていくという。そんな生命から食料に変わっていく現場を他人まかせにして、私達は美味しい食肉を享受している。
自然に生きる動物を食す。美味しいだろうと想像はできますが、実際に自分で捕獲する、生命を絶つ、血抜き、解体、そして食料に変わっていく。その中での自身の心のありよう、つらい気持ちなどがつづられていて考えさせられます。こんな料理家の強さや生き方をよく書いてよく伝えているなと思わせられました。
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