カテゴリー別アーカイブ: おはなし・ことばの世界

落語家:弁橋さん

弁橋さん 山梨県韮崎市出身の落語家が誕生しました、春風亭弁橋さん23歳。韮崎の素人落語会に中学時代から参加して、高校卒業で落語界入り。昨年8月に前座から二ツ目に昇進し、その披露に地元韮崎で落語会。それ以来約1ヶ月に1回のペースで、

「弁橋、二ツ目に挑戦」
「弁橋の勉強会」

の二つを交互に開催しています。前者は二ツ目の先輩を一人ゲストにお迎えし弁橋さんと二人で2席ずつ、後者は弁橋さん一人の独演会(?)で3席を語ってくれます。

2月15日は第3回で「二ツ目に挑戦」、ゲストは三遊亭吉馬さんで二人の演目は、

「弥治郎」
「お見立て」
「鈴ヶ森」
「試し酒」

でした。開演前には二人のトークサービスがあり、お二人の素顔もちょっと見せてくれました。

ベテランの味のある落語もいいですが、このような若手の次々と新しい噺を覚え力を蓄えていっている、そんな新鮮な噺をきけるのも嬉しいな。これからの予定は、

第4回 「弁橋、二ツ目に挑戦」 3月14日 韮崎ニコリ
第5回 「弁橋の勉強会」    4月10日   〃

弁橋さん、応援してるよ~!

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先輩宅で

先輩のお宅でハモろうと、一緒に唱いました。音楽の先生だった先輩の教え子も一緒、女声3人と私たち夫婦。まずは分離唱をして、その後カデンツ、それから讃美歌・すすきなど。佐々木先生の「すすき」の編曲に感嘆の声があがりました。ひとの感覚に触れるのっていいですよね、唱い慣れてしまっていた私もこの曲のよさを再発見するようで嬉しくなってしまいます。

 

池田さん宅の色紙その部屋のテーブルの上にあったのは先輩のお父さんによる色紙。84歳の頃のものだそうです。字もいいけど綴られている言葉もいいな、と思いスマホに納めてきました。ご高齢でもこんな気持ちを持ちづつけたお父さん、どんな方だったんでしょう。

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舞楽詩「風の又三郎」

風の又三郎1風の又三郎」
-宮沢賢治童話集Ⅰ-
春日部たすく 画
岩波書店

 甲府の幼児教育に尽力している寺のボランティアグループの主催で表記の舞台があり、昨日見てきました。劇団は「わらび座」、もちろん宮沢賢治作品の「風の又三郎」が原作です。しかし私はこれまでに読んではいなかったので、この日に備えて読んでみました。一度読んでみてもちょっと難しいな、ともう一度。で、この舞台で賢治の世界を感じさせてもらおうと言うわけです。

 

風の又三郎2

 舞台は踊り歌い演奏する、どの役者さんもこれらを全てこなして表現するものでした。序章があり、東北の四季を賢治の他作品「水仙月の四季」・「早春独白」・「高原」などから神楽・鬼剣舞・東北の手踊り・鹿踊りをみせてくれました。

そして「風の又三郎」のはなしに入っていきます。冒頭から「どっどど どどうど」というこの作品特有の嵐のような強風を太鼓と棒術を駆使した踊りでみごとな表現でした。身につけたマントを動きの中で翻し、止まっているときにもフワッとさせるなど、又三郎ぶりもまた魅せてくれました。原作からのアレンジもあり、一郎の弱さや三郎の「風の又三郎」ぶりなど一段とクローズアップして、舞台化した作者と劇団の表現は原作とは少し変わってきている新たな解釈を迫力ある音楽と踊りで堪能しました。

 

風の又三郎3

よかった~!

第5回さらりと音楽談義(続き)

この集まりの様子を思い出しながら書いていると、また別のいろいろな思いが湧いてきます。日本のよい音楽がなくなっていくのではないかという事が話題になり、よいものはなくならないのだとの強い言葉もいただきました。

そういえば私たちは佐々木先生の下、実に多くの日本の情緒豊かな曲を唱ってきたのです。当時は井上陽水や小椋桂のアルバムが大ヒットし若者の音楽として大きな存在感だったのですが、そんな中私たちはアカペラ合唱で歌う日本の情景を唱った曲に浸かっていました。山田耕筰をはじめとする日本の作曲家の名曲の数々、民謡の「もつこ」・「南部牛追唄」・「稗搗節」等々、童謡の「どんぐりころころ」・「まりと殿様」・「ずいずいずっころばし」・「通りゃんせ」等々、「汽車ぽっぽ」も童謡になるのかな。そしてこのブログのタイトルである「すすき」も名曲です。

現代の子どもは汽車を見たことがないのだから、「汽車ぽっぽ」も消えてゆくのは仕方がないといった言葉を聞いたことがあり、なるほどなと思ったこともあります。でもやっぱりこんな曲、残ってほしいですね。「すかんぽの咲く頃」の、

土手のすかんぽじゃわさらさ
昼はほたるがねんねする
ぼくら小学尋常科
今朝も通ってまたもどる
・・・・・

なんていうのは私たちの世代から見ても古い情景です。でも、なんともいい光景が心の中に広がります。
「かえろかえろと」の

・・・・・
はたのタマネギ たたきたたき帰る
・・・・・

なんていうのもいいな。挙げるときりがありませんね、これら名曲の数々、残していただかないと!

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後輩達と

かつて一度書きましたが、私が卒業して間もない頃に一緒に男声合唱を楽しんだ後輩の仲良し四人組。毎年集まりをしているその輪に今年は私も入れてくれるとのこと。立川で一泊して翌日は国分寺・分離唱の合唱に参加という計画に私も飛びつきました。

彼らは大阪・岐阜・愛知・宮城からそれぞれ上京、上野:国立博物館やら浅草やらスカイツリーやら東京観光を楽しんで、夕方に私が合流ということになっていました。そんな彼らが上野公園の雑踏の中でかつて一緒に唱った彼らの一年後輩にばったり会ったとか。その後の予定を変更して公園内で座るところを探してしばらく旧交を温めたそうです。私に声をかけてくれたことといい、本当に温かい友人達です。

ホテルで合流してすぐに居酒屋へ、実に様々な話題が飛び交うのですが、出た話題の一つが映画「じんじん」。映画の内容からドリアン助川さんの絵本の話、剣淵町のはなし、そしてNHK「小さな旅」のはなし(これは私が紹介)。こんな話で盛り上がる我々おじさん達、改めて考えるとあの剣淵の居酒屋で絵本を語っているおじさん達とそんなに違わないではないですか。「うん、これもいい光景だぞ。」と。4時間ほどの楽しいひとときはあっという間でした。

そして宿に帰ってまたまた持ち寄ったお酒を飲みながら延々と。なんと言っても一緒にハーモニーを楽しんだ面々、話は尽きません。もちろん、かつて私たちの輪の真ん中にいて2年前に亡くなったKさんのことも。翌日の合唱に差しつかえるからと午前2時に散会しました。

翌朝は雨、朝食後都合で帰るKさんを送ってからまた部屋に戻って30分程唱ってみました。なんと言っても久しぶりの合唱、耳が戻るかどうか心配なのです。で、ソプラノもアルトも男声で讃美歌を数曲。

「ウーン、どうかな?」

というところでしたが、ほどほどに切り上げて早めに国分寺:佐々木先生宅に向かいました。国分寺の合唱の指導者Mさんの大鉈に期待です(笑)。

素語り

絵本の読み聞かせが文化になっている剣淵という町をTVで見て、私自身もすばらしい町だなと感心しました。その剣淵町に限らず絵本の「読み聞かせ」はずいぶんと普及し、なじみのある言葉になりました。

一方、「素語り(すがたり)」ということばは「読み聞かせ」ほど馴染みのあることばにはなっていないように思います。そこでもう一つ、「素語り」についても書いてみたくなりました。

「素語り」はどうも朗読とは違うらしい。昔話や民話などをおぼえししまって語って聞かせる(新聞記事で、「暗記して」と表現した人もいましたが、これはちょっと情緒が感じられないな)。まるおぼえして、おはなしを自分のものにして語るものらしい。もうかなり前(20年くらい)からたびたび聞く機会があったのですが、これがまたいいのです。絵本の読み聞かせは聞き手には絵が見えてしまう。それは絵の世界とおはなしが融合して楽しめるのでしょうが、視覚的に見えてしまうものに縛られてしまうように思います。素語りではおはなしだけがはいってきて聞き手が空想をふくらませる、これがいい。我々が子どもの頃(小学校中学年まで)はラジオの時代でした。毎日流れてくるラジオドラマに聞き入って、頭の中で場面を描いて聞いていました。そんな時期を経験してきた私たちだから「素語り」がすんなりと楽しめるということもあるかもしれない。でも、映像も一緒にはいってきた中で育った人たちよりもより豊かなものがあるのではないか、なんて生意気に思います。頭の中で場面を描く経験は今の子ども達にもきっとよい成長をもたらしてくれるのではないでしょうか。現代の生活で子どもに「ラジオをききなさい」ともいえないし、また多くの人が楽しめるラジオドラマもないだろうと思います。そんな私たちが素朴な語りの中で想像をふくらませておはなしの中に入り込める「素語り」にも「読み聞かせ」同様に多くの人が関心を寄せてくれたらいいなと思います。

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絵本の町:剣淵

18日朝、NHKテレビ「小さな旅」を見ました。今回は、

ようこそ 絵本の町へ
~北海道 剣淵町~

というタイトル。以前に映画「じんじん」を見ましたが、この映画の中に登場する町です。

絵本で町おこしをした町。子ども達が木の下に座って絵本を広げています。一人で読んでいる子、グループで一つの本を囲んでいる子、そんな光景が自然にあるようです。町立図書館:「絵本の館」は全国でも有数の絵本専門の図書館。館内では声を出して読んでいいということで、子ども同士て輪になって読み聞かせをしていました。木製の壁で小さく仕切られたコーナーには絵本を持ち込んで楽しんでいる親子がいました。

なんと言っても魅力的だったところ。農家のおじさん達が居酒屋のテーブルを囲んで和やかに飲みながら食べながら語らいながら脇のバックを開く。と、何冊かの絵本がはいっていて、その中の一冊をとりだして語り出します、「はなさきやま」。するとまた別のおじさんがちがう絵本を、なかには手ぬぐいで鉢巻きをしたジャガイモ農家のおじさんがジャガイモを題材にした絵本をやっぱり読み聞かせ。こうしておじさん達が長年にわたって互いに語り互いに聴き合って自身の読み聞かせを高めてきたのだそうです。その楽しそうなこと。

長年読み聞かせボランティアをしてきた農家の主婦の方の小六の娘さんは自分でも読み聞かせをしたいと幼稚園で読み聞かせデビュー。その前にお母さんと一緒に図書館「絵本の館」に行って二人で絵本選び、本を手にとってページをめくる度に母子が交代で声を出して読んでいる姿もよかったな。家では家族を相手に練習、お母さんからの助言。そして当日・・・・。こうして絵本の文化、読み聞かせのこころが次の世代に育っていくんだな~と思いました。

番組中で言ってました。このまちでは絵本が、読み聞かせが、「当たり前の存在としてある」と。町にすばらしい文化を育てたんだなと思います。

 

ところで、「当たり前の存在としてある」という言葉に私の中に浮かんだことがあります。聴き合って唱って生まれるハーモニーのこと。分離唱の教育で生まれるハーモニー、学校教育で耳が育った人が次々と生まれてくる。その結果としていつでもどこでも当たり前のようにハーモニー。そんなことを佐々木先生は願ったんだろうな、なんていう思い。当時先生の口から聞かれた「合唱村」、ちょうど剣淵の絵本・読み聞かせを分離唱の合唱に置き換えたような夢でした。私たちには学生時代、毎日昼休みの30分間の合唱、そして水曜夕方の1時間半、土曜午後の3時間。そんな聴き合って唱う時間が当たり前のようにありました。そういう当時当たり前だった環境も、なくなってしまって初めてその大切さに気づかされます。一緒にハモれるひとが次々と学校から生まれてきてくれたらな、とそんな願望が私の中にもあります。

高校時代に山形の高校の分離唱教育で育った方達、数年前都内での演奏会を聴いた帰りのこと、マイクロバスでの山形への岐路に退屈だろうとお酒の差し入れがあったとか。でもこの人達は山形まで唱い通したそうです。そして私たちの同窓会、次々と第二の人生の年を迎える私たちもまた「集まればハモるのがあたりまえ」なんていえないこともありません。私たちの夢も全く実現できていないわけではないのかな。

清水眞砂子講演会

甲府で講演会がありました。

清水眞砂子講演会
「半音のない世界で - いま子どもの本にできること」

 ゲド戦記を翻訳された方です。「ゲド戦記」・・・・いきなりその世界に惹き込まれ翻訳とは思えない豊かな世界を感じさせていただきました。その先生の講演、大変楽しみにしていました。

講演は休憩を挟んで約3時間、前半は「かわいいだけが子どもの本?」と題して、子どもにかわしいものだけを与えてかわいいことを求めるようにさせないこと、子どもには厳しいハードルも乗り越えられる、というようなことだったかな。後半は「わかりやすさの行きつく先」と題しての話でした。

以下、いくつか印象に残った言葉を記します。

「電話なら生理的なものが伝わってくるが、メールは無機的。文字(手紙)では健康状態がわかることもある。」
「子どもが苦難に直面している時、不安を取り除いてやろうとするが・・・・。」
「『本を読んで心豊かになる』といわれるが、本を読んで壊されることもある。」
「はたらきかけないでいることの豊かさ」
「かわいそうのなかで育つと、かわいそうになってしまう。」
「何が正しいかは、あなたがどこで生まれたかによって違う(スウェーデンの教科書)」
「一番感動したことは語らずにとっておいて欲しい。」
「こどものとき、一人で世界と向き合う瞬間がある。」
「『わからない』ことを恐れなくていい。」
「『戦争の後に平和がやってくる』というけれど、『平和の後に戦争を呼び寄せてしまう』」
「大風呂敷を広げることをすすめる」
情報を得る手段が急速に新聞からネットへと変わってきているが、「新聞は思いがけないものが飛び込んでくる。」
「ラインに流れることばの貧しさ」
「希望を持っている人は、ものごとをじっくり見つめる。」
「児童文学はハッピーエンドでなければいけない」

「半音のない世界」ということ。
ある作曲家の「コマーシャルソングに半音は使えない」ということばがあったそうです。きれいな世界、やさしくわかりやすい世界を表現するのには半音は使えない、音楽で不安・葛藤・不幸等々複雑な内面の表現には半音が絶対必要であり、子どもに与える本もきれいだけではいけない、といった趣旨でこのことばを使ったのようでした。

ことばを育て人が育つ(育てる)ための視点、新鮮なことばがたくさんありました。

「花子とアン」と甲州弁

朝ドラ「花子とアン」が始まりました。「赤毛のアン」の翻訳をした山梨出身の村岡花子の物語ということで、私たちの周囲での関心はかなりのものです。放送開始以前もNHKのローカルでは度々その予告CMを流していました。その売りの一つは甲州弁です。甲州弁の昔語りで有名な方が「甲府駅の精」(声)となって、甲州弁でこのドラマの紹介をしていたのです、もちろん甲州弁で。そんなわけで私たち山梨県人にとっては注目のドラマが始まったのです。

花子の両親・祖父も名演、そしてヒロインの子役の俳優さんもなかなかの熱演です。

さて、その甲州弁ですが、こちらは違和感がありますね。よく登場することばは。

「・・・・でごいす。」
「・・・・しろし。」
「・・・・じゃんけ。」

やっぱり使い方が地に着いてないなぁ。そういえば昨年ブレイクした「あまちゃん」の「じぇじぇじぇ」も地元の人が聴くと不自然だったとか、少々の訓練で自然に話すことは無理なことなんでしょうね。

そのことは仕方ないと思うのですが、もっと抵抗を感じるのは年齢や相手による甲州弁の使い分けです。昨日は実家の母と話したのですが、

「『・・・・でごいす。』をあんな子どもが使ったかねぇ?」
「いいや、つかわなかったぞなぁ。」

と。甲州弁も地域によって違いがあったかもしれませんが、私が育った地域では「・・・でごいす。」は大人ことばでした。「・・・・しろし」は父親が子に言うことはなく、その場合は「・・・・しろ。」と切り捨てるように。「・・・・じゃんけ」の「け」にも微妙なニュアンスがあったなぁ。

そういうことはありますが、役者さんたち、見事に好演しているなと感心して見ています。

「山のトムさん」

 岩波書店「石井桃子集」を読んでいます。最近開かれた山梨子ども図書館講座「石井桃子の仕事」で講師の方が絶賛していたという児童文学の石井さん、そんな事を聞いているので読み始めました。
 この中におさめられている「山のトムさん」、日本の話なのにトムとうなはどういうことだろうと思っていると、飼い猫につけた名前でした。開拓にはいった家族がねずみの被害に耐えかねて苦手だった猫を飼うことに、その猫に名付けた名前が「トム」。トムを中心に開拓の暮らしが綴られています。石井さん自身の実体験に基づいて書かれているのだそうですね。この話の程にねずみに悩まされたことはないけれど、わが家も昔はねずみを穫らせようと猫を飼っていました。ねずみを捕まえると口にくわえて私たちの居間に見せに来て、部屋で放しては捕まえてしばらくの間遊んでから私たちの目の前でバリバリと食べてしまう。だからこのおはなしの情景、自分で見た光景を膨らませながら楽しめます。
 山の開拓の暮らしはどんなに貧しく厳しいものだったのだろうと思うのですが、そんな悲愴感は感じさせずに楽しくおはなしが展開しています。