天の啓示

天の啓示

佐々木基之

 「みちのく混声合唱団」は神からの贈物だと思って
いる。一月に私のレッスン室で練習が始まった時は、
こんとんとして私の神経を悩ましたものだった。声を
きいても、顔を見ても腹立たしいものだった。これが
天使の集まりなどと思うことは出来なかった。三ヶ月
を経た今日では、一週のうちに日曜日が三日もあれ
ばと思うことがある。この合唱団の実質的な指導者は
○○君だと思っている。彼が私のところへ現れたことも
天の啓示だと感じている。四十年来私が夢想していた
合唱が育ちつつあることを考えると生きていてよかっ
たと思う・・・・・。○○君を中心にした若い情熱と誠意が
この枯れかけた私の夢想に息吹を与えてくれた。

一ヶ月もたたぬうちに私は今までの混声合唱曲に手
を入れて八十数曲の編曲が、神の守護によるように
易々と出来てしまった。

そろそろ人間の欲望を忘れかけていた私が「みちの
く混声」と考えると生命が躍動してくる。八月の上高
地合宿の話は私に青年のような希望を覚えさせる。村
山貯水池へのハイキングも楽しかった。私は昔から、
花見もピクニックも興味のもてない人間であった、少
年のように楽しい気分になることが出来た。あの日、
青空のもとに早春の陽光をうけて合唱する若者たちは
一様にエンゼルと相ぼうを示し、世にも妙なるハーモ
ニーが響いた。一人一人が他人の紙屑まで拾って清掃
する姿も天使と心が通った故であろう。心が美しくな
ると顔にも輝きがでて皆美しい人となる。形や色の問
題でなく、心の輝きでた美しさは老いず衰えぬ美しさ
であることがよく分かった。

このよろこび、この美しさを周囲の人たちにも分け
たいものだ。花見と称して飲み、ハイキングといって
飲む、こんな空虚さに沈む人達にもハーモニーの美し
さと愛情を分けたつものだと、しみじみ思うことであ
る。

発表会のための合唱、コンクールのための合唱、私
は世間の合唱のあり方については、もう何も云うまい。
ひたすらに、みちのく混声合唱団とともに生き抜く決
意を改めて思う。五十人がやがて百人となることだろ
う。百人が何百人になろうとも、「みちのく混声合唱
団」のハーモニーは永遠に輝きみちることを信じてい
る。