月別アーカイブ: 2009年10月

母の陶芸’09

今年も芸術の秋(?)到来、町の文化祭が開かれました。

昨年から陶芸を始めた母は、陶芸教室の先生に言われるまま今年も展示に出品しました。今年の作品は絵付け皿です。先生の手助けからだんだん離れつつあるようです。仕上がりを見ぬまま展示となり、母もどんな仕上がりか興味津々でしたが。なかなか楽しい作品に仕上がっていました。(身びいきたっぷり・・・・。笑)
母の陶芸

曼珠沙華

山形では河川敷などあちらこちらに彼岸花が自生し咲いていました。この赤い花も独特な雰囲気ですね。葉が全く見えず地面から花が生えている、色鮮やかですが不思議な花です。この彼岸花を曼珠沙華ともいうそうですね。そしてこの名で思い出すのは合唱で唱った「曼珠沙華」です。
曼珠沙華
増田順平編曲の山田耕筰作品集「からたちの花」の最後にはこの「曼珠沙華」が載っていました(今も出版されているのかな?)。作詞は北原白秋です。私も学生のころ唱ったことがありますが、この曲の味わいはまた独特でした。私の郷里ではこの花は見かけることもなく、当時は花を知らずに唱っていたのですが「不思議な歌だな」という印象でした。

曼珠沙華

GONSHAN. GONSHAN. 何処へゆく。
赤い御墓の曼珠沙華(ひがんばな)、
曼珠沙華、
けふも手折りに来たわいな。
GONSHAN. GONSHAN. 何本か。
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちやうど、あの児の年の数。
GONSHAN. GONSHAN. 気をつけな。
ひとつ摘んでも、日は真昼、
日は真昼、
ひとつあとからまたひらく。
GONSHAN. GONSHAN. 何故泣くろ。
何時まで取っても、曼珠沙華、
曼珠沙華、
恐や赤しや、まだ七つ。

GONSHANというのは白秋のふるさと柳川地方の「お嬢さん」というような意味だということも最近になって知りました。調べていくとどうも意味深な内容のようですが、そんなに詩の世界に深入りせず、ちょっと変わった雰囲気の曲だなと味わうくらいでよかったような気がします。花自体はきれいなのですから。

山形紀行⑪-月山の秋

「山形に来たら月山に登ろう」とFさんから声をかけていただいており、何も予備知識がないまま連れて行っていただきました。途中寒河江ダムでちょっと休憩、ここでは雄大な噴水が見られるとのことでしたが残念ながら時間が合わず見ることができませんでした。そのあと鶴岡行きの道路から分かれると急な上り坂、女流芸術展に描かれていた沼を見ながらすすみました。月山が夏スキーで有名な所だということも全く知らず、そう聞かされて初めて「ああ、あのバスが雪の壁の中を進んでいくところですか」と納得しました。

月山1
駐車場からは月山を見上げることができ、そこから歩いてリフト乗り場に向かいました。リフトまでの路がもう急坂であることにビックリ。リフトからは紅葉の始まった樹木の向こうに青空が広がるのをゆっくりと眺めながら徐々に高いところにすすんでいきました。リフトの下にはたくさんのリンドウが自生し花を咲かせていたのですが、写真を撮るのを忘れてしまいました。

リフトを降りるとそこは高い木はなく視界は360℃に、右手に月山、左手に姥ヶ岳の裾が広がります。遠くの山の斜面は緑の濃いところ、薄いところ、赤く紅葉しているところなど縞模様になって、また石が密集しているところも何カ所か見えます。
月山3

そんな広い視界の中を上へ向かって木道が伸びており、私たちはその道を通って姥ヶ岳を目指しました。リフトから歩くこと数十分、この山頂1670mに到着しました。
月山2
山頂からは残念ながら日本海は白くかすんではっきり捉えることはできませんでしたが、日本海側の庄内平野も見下ろすことができました。日本海側、一つ向こうの山の斜面の緑の濃淡模様も印象的でした。
月山5 登りでは足下ばかり見て登るのですが、下りは周囲を見渡しながら歩く余裕もあります。

月山6


下りはじめて気づきましたが、頂上付近には小規模ながら池塘も見られます。山の上の水たまり、不思議な世界です。

月山4
月山へ向かう歩道もはるかに見渡すことができ、山の上の広い世界を満喫してきました。

山形紀行⑩-東根の大ケヤキ

Webの地図上に「東根の大ケヤキ」ということばが載っていて見てみたいなとの思いも少しはあったのですが、山形を訪問した時には頭の中から消えていました。でも、Fさんの自然農の田圃を見学した帰り、「大ケヤキを見ていこうか」と声をかけていただいて即座にお願いしました。その大ケヤキは小学校の敷地の端に豪快に立っていました。
東根大ケヤキ1

山梨の我が北杜市にも「田木畑木(たぎはたぎ)」というなかなか立派な双子のケヤキがあるのですが、木の衰えと修復の痕が痛々しくなってしまっています。しかしここのケヤキは幹が数段大きく、できたうろを塞いだあとも控えめで、樹勢も段違いに上です。巨木はいいものですね、こんな木を毎日眺めて暮らす小学生の心の中にも何か大切なものが育っていることでしょう。私たちもこの木の回りを歩いたり遠巻きにして見上げたりでしばらくの時間をすごし、巨木を堪能してきました。
東根大ケヤキ2

山形紀行⑨-自然農の田圃

3日目はFさんの田圃の見学からスタートでした。
古瀬さんの田圃
Fさんの田圃は東根の盆地から小さい沢に少し入ったところにあります。その沢は昔はみな田圃だったのでしょうが、今ではほとんどが果樹畑で、ラ・フランス畑の中を車で走っていきました。この沢の耕地の一番奥にFさんの田圃が位置しています(もっと奥も耕地だったのでしょうが)。自然農法と言いながらきれいに除草され、機械に頼らずに作業しているFさんの苦労が想像されます。今年は増水して川から水をひいているホースが流れてしまい、探し回っても見つからなかったとのことです。そして増水のたびに川の流れが変わっていくのだそうです。そういえば私の実家の田圃でもそんなことがあったのを思い出しました。このあたりは野生動物の食害も多いらしく、途中で見た果樹畑はみな野生動物の外を防ぐための電気柵が設定されています。しかしFさんの田圃にはこれが設置されておらず、動物の入った様子があるともうかがいました。さらに近づいてみると昨夜のものかと思われる新しい足跡も田圃の中に残されています。近くにあったアケビの実は野生動物に食べられて空っぽでした。
前日夕は「籾摺り」を見せていただきました。今はコンパクトな籾摺り機があるのにビックリです。Fさんはお米を籾で保存して、必要に応じて玄米にして食べているそうです。こうしてできたばかりの玄米に麦・雑穀を加えて炊いたものをごちそうしていただきました。

山形紀行⑧-水戸こけし店

フルセズ・コーラスの練習時、「独楽を集めているのですが、そういうお店はないですか?」との問いかけに、「こけしの店ならあるんだけどねー」とのことでした。そしてくりさんから「私の父がこけしの店をやっています」と思わぬ情報をいただきました。

山形女流美術展の会場の階下(5階)の広いフロアーにこけしが展示されていました。膨大な量のこけしコレクションです。こけしにも作り手によってそれぞれ個性があるというような説明もここでうかがいました。そして山形県内のこけし作家が写真入りで紹介されているコーナーもあり、くりさんのお父さんらしい人も載っていました。そこでこの日の3つ目の目的地はこの「水戸こけし店」になりました。

普段はお店を閉めているそうですが私たちの訪問で開けていただき、展示されているこけしを見るだけでなくさまざまなお話を伺うことが出来ました。こけし作家の方は将棋の駒も作るのだそうですが、今は需要が少ないとのことでした。伝統的なこけしのほか、少々アレンジを加えたこけしも展示されていました。こちらの御主人さんのオリジナル、円いこけしは中がくりぬかれており、頭・肩の部分にあたる蓋をとるとその中に小さなこけしがたくさん詰められています。「よくこれだけこまい仕事を・・・・」とFさんが感嘆の声をあげていました。「細かい」を「こまい」というのですね、山形では。このこけし作りが認められて水戸さんは今年文部科学大臣賞を受賞されたのだそうです。
水戸こけし店1
そしてこけし作りの実演、お店のとなりの部屋:作業部屋に案内していただきました。こけし作りはまるで旋盤による金属加工作業です。その熟練技であっという間に形ができあがっていきます。回転する棒に刃を当ててすぐに形が出現し、紙ヤスリをあててなめらかにしたり、筆に持ち替えて模様をつけたり、何を作るのかと見ていると、あっという間にかわいい独楽ができあがりました。
水戸こけし店2
くりさんが事前に独楽のことも伝えてくれていたのです。できあがって「はい、どうぞ」と、その場でいただいてしまいました。それから今度はこけし作り。道具のほとんどは手作りだそうです。紙ヤスリがなかった頃の話、修業時代の話などたくさん聞かせていただきました。材料の木の話になると、今度は細い角材を削って丸棒にする作業も見せてくれました。

水戸こけし
最後に申し訳程度におみやげを調達し、この店を後にしました。ありがとうございました。
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山形紀行⑦-ミスター南高OBに会う

私は自称「山形南高OBの熱烈なファン」です。もう30年以上も南高OBの録音を聴き続けてきました。

ファンでいると自ずと耳に入ってくる情報もあります。山形南高OB合唱団が佐々木先生・森山先生の情熱の結晶であったのでしょうが、同時に平素の練習を支え続けた指導者の存在があったことも忘れてはなりません。私たちの所にもそのTさんという名前、南高OBの似顔絵のこの人とか、稗搗節あの上手なソロを歌った人とかいうことが伝わってきています。かつて佐々木先生を通してこの方の住所をお聞きし、ガリ版刷りの山形南高OB男声合唱曲集1~7集をコピーさせていただいたこともあります。

 そのTさんに会わせていただけるということでも、この山形行きを楽しみにしてきました。Fさんの大先輩にもあたるTさん、Fさんにコンタクトをとっていただき自宅を訪問させていただくことになりました。今は南高OB合唱団から身をひいているTさんですが、現在はチェロを習ったり数人で男声合唱をしたり、音楽への情熱は今も衰えることはないようです。初めてお話をしたのですが、決して話し声が高いわけではなく、しかし響きのある美声の方でした。OBを代表するトップテナーのはずですが、話し声からはわからないものですね、こういう方は音域が広く何でも歌えるのでしょう。
南高OB似顔絵南高OB合唱団合唱曲集第4集表紙

南高OB発足の頃のこと、佐々木先生のこと、海外の合唱団のことなど幅広いお話を伺うことが出来ました。佐々木先生の南高OB通いも演奏会直前に何泊かして集中的に指導されたそうです。東京の先生宅にも頻繁に訪問され心を通わせた様子でした。ガリ版刷りの楽譜の表紙を飾ったOBの方々の似顔絵(これは南高OBのCDジャケットにも使われました)は、OBの作品ではなく依頼して描いてもらったものだそうです。「南高OBの全盛時は聴衆がホールに入りきれず、ホール聴衆席へのドアを開け放って外にも聴衆がいた」なんていう話を聞いたことがあるのですが、そのことに話を向けると、「うん、当時の会場は狭かったからね」「みんな若さで(チケットを)売ってしまったからね」とのこと。決して誇張ではなかったようです。
私にとっては憧れの合唱団でしたが、直接かかわった人に話をきくと生身の人のつながりが感じられ、この合唱団も随分と親近感のわく存在となってきました。

山形紀行⑥-コナの風

山形での2日目からは全面的にFさんにお世話になり、私たちと3人での行動でした。

フルセズ・コーラスのメンバーの一人Kさんは七宝焼きの世界に深入りしている方です。山形の中心街のビルの6階で山形女流美術展に出品・展示されているとの情報をフルセズの練習時に伺いました。そこで山形での第2日のはじめの目的地はそれ、会場オープンより前についてしまった私たちはこの古い繁華街を少しだけ散策しました。歩道を歩いていると女性の語りが聞こえてきます。BGMを流すところはよくありますが、ここでは昔話の語りを流しているんですね。訪れる人へのこんなサービス、いいなぁ。

ナナ・ビーンズという古いビルのエスカレーターを登っていくと、6階の広いフロアーに絵画や彫刻、造形品などが展示されていました。まずKさんの作品をさがします。入り口からみて正面の壁にKさんの七宝焼き作品「コナの風」が展示されていました。七宝焼き釜にはいる作品には大きさに制約があることから、15~20cm角程度の大きさの作品を並べて描いていました。このそれぞれの色を合わせるのは大変むずかしいのだそうです。南国風の植物が風に揺られているのを描いた作品で、七宝の色遣いが印象的でした。
コナの風

山形紀行⑤-ミンタロハットの猫

 ミンタロハットには猫が数匹おり、いずれも人なつっこい猫でした。みんたろさんはかなりの愛猫家です。栄養たっぷりで毛並みもよいこの猫たちも商売柄(?)他人慣れしており、私たちも可愛がることができました。キッチンの前で調理しながら話しているミンタロさんの横、シンクの脇に猫が飛び乗りました。するとミンタロさんが蛇口を開いてあげて、蛇口から流れ出る水を舌を使って器用に飲み始めました。シンクの上に飛び乗るのは「水を飲みたい」という意思表示なのだそうです。なんと賢い猫ではありませんか。それがわかっている常連客はマスターと同じように猫に水を飲ませてあげるそうです。(翌朝、私も一度飲ませてあげました。写真を撮ってくればよかったな。)
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山形紀行④-潜入、フルセズ・コーラス

ミンタロハットには2階で外から窓越しにグランドピアノが見える部屋があります。客室から廊下を曲がって行くことの出来るこの広い部屋がフルセズ・コーラスの練習会場でした。1階からは客室用とは別の階段があるんですね。ですから、練習参加者は宿泊者に気遣いすることなく練習会場に行くことが出来ます。この日の参加は指導者のみんたろさんを含めて男声4名・女声4名+私たち夫婦の10名でした。メンバーの皆さんとは3年ぶりの再会でしたが、まずは前回同行した息子達のことを聞いていただき、みなさんの心遣いに感謝です。

練習はまず分離唱、みんたろさんはたっぷり時間をかけてこれをていねいにされます。そのあとは讃美歌、
しずけきいのりの
われに来よと主はいま
こころの雄琴に
ひとたびはしにしみも
みたまなる
しずけきかわの
つかれしこころを
ゆうひはかくれて
かいぬしわが主よ
主よみもとに
ナルドのつぼ
みんたろさんは時には「何かリクエストがありますか?」と声をかけてくれます。そこで遠慮なく私は「われに来よと主はいま」「しずけきかわの」、家内は「かいぬしわが主よ」をリクエスト、全く遠慮がありません。
私たちははじめて唱う曲が2曲ありました、「ひとたびはしにしみも」と「つかれしこころを」です。どの曲も一度はみんたろさんがピアノで全パートを弾いてくれます。そうしてすぐにピアノなしで、ムム!讃美歌の歌詞は2番以降はページの下にまとめて載っています。こういう初めての曲は1番がついていくのが精一杯、2番以降はもう歌詞なんて見てられません。歌詞なしでフンフンとハミングのようなそうでないような声で必死についていきました。
遅くなりましたが、この合唱団のハーモニーはきれいです。となりの男声の声もハーモニーの中で自然に唱っている感じで、合唱から遠ざかってしまっている私も安心してハーモニーの中で唱うことが出来ました(自己満足かな?)。皆さんすばらしいハーモニー感です。

休憩時間はたのしい歓談でした。私たちの持っていった山梨で最もポピュラーともいえる桔梗信玄餅を申し訳ないぐらいに喜んでいただきました。
休憩後は佐々木先生の混声合唱曲集の中から、
青い小鳥
今様
われは幼く
学生時代に私たちが唱った「青い小鳥」は増田順平編のもの、佐々木先生編曲のそれは初めてです。先生の編曲の方がシンプルで素朴な味わいかな。
次に「何を唱いましょう?」と聞かれ、私の希望「今様」を唱うことになりました。この曲、フルセズコーラスでは初めての様子でしたが、それではとみんたろさんがピアノで四声を弾いて譜読みです。他の曲と同じように2番まででピアノは終わり、もうア・カペラで唱いましたが、あのユニゾンから和音に広がっていく独特の響きと流れを十分に味わうことが出来ました。そしてフルセズの皆さんもこの曲の独特の響きを気に入ってくれた様子でした。
それからみんたろさんの選曲で「われは幼く」、みんたろさんはこの曲が好きなんだろうなと感じました。
最後に1曲讃美歌を唱いましょうといわれ、私は迷わず「夜はふけわたりぬ」をリクエスト。Fさんの「佐々木先生はいつも最後はこの曲だったんだよね。」を聞きながらみんたろさんのピアノにあわせて、みんたろさんピアノにもこの曲への特別な思いか感じられました。もちろんそのあとはアカペラで・・・・。
練習が終了したのは11時、久しぶりにハーモニーに浸った2時間あまりでした。

終了後も私たちを含めて5人が残り讃美歌を唱いました。曲目は、
まきびと羊を
あらののはてに
これではもうクリスマスだねなんていいながら少人数のハーモニーを楽しみました。こういう小さなハーモニーが私は好きなんですよね。解散は11時半でした。