カテゴリー別アーカイブ: 音楽:森の音楽会

森の音楽会DVD

森の音楽会のスタッフとして参加されていた方はその様子をビデオに収め、DVDにして送ってくれました。今はこんなことがプロではない私たちにも出来てしまう時代になりました。表装に使った写真は、私が撮ったものよりもよく、林の中のホールでの雰囲気を伝えてくれています。
森の音楽会CD
早速に開封して、子どもの使い古したゲーム機に入れ、我が家のテレビでも見ることが出来ました。
映像付きの記録は、録音とは桁違いに記憶を呼び戻してくれるものですね。
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第5回森の音楽会(その3)

今回の「森の音楽会」は最後ですから、この歴史の総決算のようなステージ構成でした。Oさんはピアノ教室の先生です。何人かのお弟子さんやOさん自身が作曲したという曲を演奏したり、お弟子さんとOさんとの6手連弾なんかもありました。それからこの教室に通ったという方のやっているサクソフォーン四重奏。バリトンサックスが奏でる「動物の謝肉祭」のゾウが印象的でした。

第2ステージはカンテレ演奏会。4年前のこのコンサートでも聴いた方の演奏です。カンテレの小さくやさしい音色に会場全体が静まりかえって耳を澄まし、聴き入っていました。
第3ステージは前回聴いたケーナの演奏。会場のフロアーを自由に動き回りながら演奏するケーナにも一同が聴き入っていました。Oさんのピアノとのデュエットもあり、単なる演奏者と主催者というよりは本当に親しい友達という雰囲気ですすんだ演奏会でした。

5th森の音楽会
広い窓の外の木立に囲まれたこの会場での音楽会も今回で見納め聴き納めです。音楽をブログで伝えることは出来ませんが、この写真でその雰囲気を味わってもらえるでしょうか。

第5回森の音楽会(その2)

この日の昼食はOさんの旦那さん手製の鮭おにぎりでした。山梨にいるとお店で買う魚の質はいまいちですが、さすが魚のプロの鮭おにぎりはひと味もふた味も違いました。昼食のひとときを挟んでまだまだ調律は続いたのですが私の役目はもっぱら運転手、会場に飾るコスモスやススキを採りに行ったり買い物に出たりの「アッシー」でした。

くつろぎ
そして何と言っても楽しみなのは夜、この会場のキッチンとダイニングはテーブルがグランドピアノを形どっていてガスレンジが鍵盤の位置、鍵盤の反対側を取り囲んでめいめいが座り、飲んだり食べたり話したりの時間をたっぷりと過ごしました。

合唱のひととき
ここに集まった人たちはの共通項は分離唱の洗礼(?)を受けていること。せっかくの調律したばかりのピアノもあるのですから、夜も更けてくると合唱が始まります。私たちには懐かしい聴き合って唱う合唱、讃美歌を次々と唱って楽しみ、明日の音楽会に備えて午前様にならない程度にこの日を終えました。

第5回森の音楽会

今回の森の音楽会は8月24日に開催されました。2年に一度の開催を楽しみにしてきたのですが、この音楽会も今回が最後となるのだそうです。7月にお知らせをいただき、今年もお手伝いにかこつけて前泊を予約していました。

昼前にFさんと3人で我が家をマイカーでスタート、小淵沢液で主催者のOさんをひろって会場に到着。2年ぶりのペンション「シャローム」です。八ヶ岳山麓のこの会場は木立の中にある別荘地で、夏の暑さからは別天地のような涼しさなのですが、あいにくこの日は8月にもかかわらず涼しい(寒い)雨が降り続きました。本来ならば午後の最も暑い時間帯なのに、この日はまるで夕暮れ時のような暗さと寒さなのです。
調律
私たちが到着したとき、スタッフの一人Tさんはお姉さん(Kさん)と一緒に見えてもう調律を始めていました。話を聞いていると調律というのも非常に奥の深いもののようです。何でもこの方はコンサートピアノをかなり重点的に調律されている方だそうです。そして地元の調律師の方が「調律の様子を見学させてください」と見えていました。素人には見えない世界ですね。調律の過程で、時にはピアノから鍵盤・ハンマーが一体になった部分を引っ張り出してしまいます。調律の時に見るピアノの内部、ハンマーなどが見事に並んでいる様いつ見てもきれいで木工の芸術品という感じがします。

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かやの木山(森の音楽会 その5)

 今回の「森の音楽会」ではメゾ・ソプラノ独唱の「かやの木山」を聴いた。学生時代に混声合唱でよく唱ってきた曲だが、山田耕筰が作曲した本来の形はこういうものなんだと、改めて新鮮な気持ちで聴き入った。
 それにしても、この曲も懐かしい。この曲も私の身体に染みついている。


 山間の私の部落を少し奥へ歩いていくともう一つの部落があり、ここに親戚の家がある。この親戚では若い人は県外に出てしまい、おばあさんが暮らしていた。農業をしていた両親は、昼の間よく私をこの家にあずけたということなのだろう、子どもの頃夏はこの家によく行っていた。この家には、当時はもう珍しかったと思うが、囲炉裏が切ってあった。家の中で火を燃やすため天井はすすけて真っ黒だった。その天井からじざいかぎがおりてきており、その先の鍋ややかんを吊しかえて湯を沸かしたりみそ汁を作ったりする。おばあさんのそろそろとした動作で、灰のたまった囲炉裏に薪を少しずつくべて火を燃やしていた。
 この家にはもう一人、一つ前の代のおばあさんが暮らしていた。かなり高齢だったが、私を見るとにっこりとしてくれた。言葉を交わすことはなかったが、毎日黙々と働き、いつも薪を家の中に持ち込んでは火を燃やして炊事をしていた。山家のおばさといえばむしろこちらのおばあさんの方がぴったりとくる。


 私にとっての山は、農作業のない冬に両親の山仕事についていった記憶だ。雑木林を切り倒し、倒木の太い部分は程々の長さ(3~40cm)に切りそろえ、程々の太さに割って、金属製のたがに詰めて束にする。これを買い取ってもらうのが山間のわずかな現金収入だった。親が束ねた薪を一把か二把背負ってトラックの来る道まで出すのが子どもの仕事で、「薪背負い(まきしょい)」といっていた。太いよい部分はこうして売ってしまい、残った細い枝は山で集めて積み重ねておく。一年後にはすっかり枯れてのこぎりも使わず手足で折ることができるようになる。これを折りそろえ、ワラ縄で束にして持ち帰る。これがわが家の燃料で、ご飯も炊くしみそ汁もつくった。そだ焚き・柴焚きのそだや柴は、山から採ってくるところからわが家の生活であった。


 昨日から「かやの木山」の歌が頭の中で演奏されている、もちろん混声合唱で。頭の中の演奏では現実の演奏と異なり一段と歌詞を味わってしまう。この曲に唱われている詩の、私にとっての原風景とでもいえるものが、親戚のこの囲炉裏だったり山仕事についていったときの情景だったりする。


かやの木山
        北原白秋作詞 山田耕筰作曲 増田順平編曲


    かやの木山の かやの実は
    いつかこぼれて拾われて
    山家のおばさは囲炉裏ばた
    そだ焚き 柴焚き あかりつけ
    かやの実かやの実 それ爆ぜた
    今夜も雨だろう もう寝ようよ
    お猿がなくだで はよ寝ようよ

ケーナ(森の音楽会 その4)

 ケーナの演奏はピアノ伴奏で行った。演奏会に先立ち、何回かあわせて音楽会にのぞんだとのこと。ケーナは竹でできた縦笛の民族楽器で、現地ではみんな自作しているのだそうだ。奏者は女性で、何年間か中米に渡ってこの楽器を習ってきたという。演奏の合間合間に現地での話を交えて楽しい演奏がすすむ。民族衣装らしきものを身にまとったこの奏者の話や演奏を聴いていると、「音楽家というのは自由人なんだな」と思う。あちらではみんな質素な暮らしをしている。そんな暮らしの中で夕方になると家族が集まり、毎日決まったように父親がギターを取り出して弾きながら歌うという。そんな姿に「豊かな生活とは・・・・」なんてことを思ったそうだ。「コンドルは飛んでゆく」も聴いた。西洋人に侵略されても魂は支配されない、そんな誇り高い精神の象徴的存在がコンドルなのだそうだ。そんな話を聞いてからこの曲の演奏を聴くと、力強い曲に聴こえてくる。

ピアノとクラリネット(森の音楽会 その3)

 ここでピアノを演奏した方は、元Oさんのピアノ教室の卒業生で、その後渡航しスペイン出身のクラリネット奏者と結婚され、クラリネット独奏は夫婦による演奏だった。ピアノが終わった後ご主人さんが入場され、息の合ったハーモニーを聴かせてくれた。後で聞いた話しでは、クラリネットとピアノは楽器の性格がまるで違い、合わせるのは非常に難しいのだという。しかし、そんなことを感じることなく私は聴き入っていた。演奏の合間合間には二人でなにやら相談する。そんなときに見せる笑顔がまたよく、私たち聴衆をも幸せな気分にしてくれた。

第4回森の音楽会(その2)

 翌朝、午前中に小海線の駅から会場までの道々に会場への表示をしたり、会場での道具の準備をしたりとしていると、演奏者や聴衆の方々が次々とやってき始めた。音楽会は午後1:30から、プログラムの概略は以下のようであった。


  <A> メゾ・ソプラノ独唱
         「かやの木山」他3曲
         オペラ・アリア2曲
  <B> ピアノ独奏2曲
         クラリネット独奏3曲
  <C> ケーナ独奏
         「滅びゆくインディオ」他5曲


 音楽会終了後は美味しい料理をいただきながらの「演奏者と語る会」、演奏者の周りには輪ができ、楽しい時間だった。

第4回森の音楽会(2006.8)

 一昨年はじめて聴かせていただいた「森の音楽会」は2年に1回開かれる。今回が4回目となるのだそうだが、主催するOさんが八ヶ岳高原にあるこのペンションがお気に入りで、いつもこの会場でと決めているそうだ。今年もその開催年で、6月には連絡をいただき楽しみにしていた。山形行きはそれ以前に決めていたのだが、その翌週の週末と、わが家では楽しみな(私たちにとって)ビックイベントが2つ続いてしまった。
 山形のFさんもこの音楽会を楽しみにしていたのだが、「残念ながら都合がつかず、みなさんによろしく」などと伝言を受けていた。しかし数日前になって突然、「都合がついたので参加する」との連絡をいただき、それならと最寄り駅で電車を降りてもらい、わが家でしばしの休憩をしていただいたのち一緒に会場へと向かった。
 これは音楽会前日のことであり、私たちはこの音楽会に何かしらお手伝いをということで前泊を予約していた。わずかなお手伝いであるが、主催者Oさんは「スタッフ」と呼んでくれていた。このスタッフのメンバーはそれぞれが懐かしい顔であり、2年ぶりの再会である。この日は深夜まで楽しい話題で盛り上がり、翌日の音楽会の運営に支障がないようにやっと程々の時間に床についた。 (3.5kCT)

森の音楽会(2004.8月)

 Oさんは佐々木先生のピアノのお弟子さんで、先生と私たちの団体との橋渡しをした人だと聞いている。はじめの頃の先生の指導にはよく一緒に来られ、ピアノの演奏を聴かせていただいたことも度々だ。この方が2年に一度、山梨の避暑地のペンションで「森の音楽会」を開く。森の中の感じのいいペンションで、室内からもガラス越しに森がよく見えるホールにピアノがおいてある。友人からこの音楽会の情報をいただき、私たちはこれを聴きに出かけた。
 
 コンサートは独唱・ピアノ・カンテレ(フィンランドの民族楽器)と多彩な内容で、Oさんがいいなと思った方に出演をお願いしたのだという。南高OBの大ファンであったOさんは今でも山形の方と交流があり、このときも2人の南高OBがお手伝いに見えていた。一人の方はピアノ調律師でコンサート前のピアノの調製を、もう一人の方は録音・録画を担当していた。

 このときの演奏会で特に印象に残っているのは、カンテレのやさしい音色だ。小さな音だが、会場の人全員がそのやさしい音色の中に浸ってしまった。

 演奏会の後、多くの人は帰り、残った内輪の人だけで食事をしながら話が弾んだ。この中には学生時代の友人夫妻もいた。皆合唱を楽しむ人たちで、知っている讃美歌を片っ端から唱って楽しんだ。南高OBのFさんとはこの時知り合うことができた。私たちの男声仲間では、「いつか山形に行ってみようか」などという話も出ていたくらいなので、ここで山形の方と知り合えたのは大変うれしいことだった。