今回の「森の音楽会」ではメゾ・ソプラノ独唱の「かやの木山」を聴いた。学生時代に混声合唱でよく唱ってきた曲だが、山田耕筰が作曲した本来の形はこういうものなんだと、改めて新鮮な気持ちで聴き入った。
それにしても、この曲も懐かしい。この曲も私の身体に染みついている。
山間の私の部落を少し奥へ歩いていくともう一つの部落があり、ここに親戚の家がある。この親戚では若い人は県外に出てしまい、おばあさんが暮らしていた。農業をしていた両親は、昼の間よく私をこの家にあずけたということなのだろう、子どもの頃夏はこの家によく行っていた。この家には、当時はもう珍しかったと思うが、囲炉裏が切ってあった。家の中で火を燃やすため天井はすすけて真っ黒だった。その天井からじざいかぎがおりてきており、その先の鍋ややかんを吊しかえて湯を沸かしたりみそ汁を作ったりする。おばあさんのそろそろとした動作で、灰のたまった囲炉裏に薪を少しずつくべて火を燃やしていた。
この家にはもう一人、一つ前の代のおばあさんが暮らしていた。かなり高齢だったが、私を見るとにっこりとしてくれた。言葉を交わすことはなかったが、毎日黙々と働き、いつも薪を家の中に持ち込んでは火を燃やして炊事をしていた。山家のおばさといえばむしろこちらのおばあさんの方がぴったりとくる。
私にとっての山は、農作業のない冬に両親の山仕事についていった記憶だ。雑木林を切り倒し、倒木の太い部分は程々の長さ(3~40cm)に切りそろえ、程々の太さに割って、金属製のたがに詰めて束にする。これを買い取ってもらうのが山間のわずかな現金収入だった。親が束ねた薪を一把か二把背負ってトラックの来る道まで出すのが子どもの仕事で、「薪背負い(まきしょい)」といっていた。太いよい部分はこうして売ってしまい、残った細い枝は山で集めて積み重ねておく。一年後にはすっかり枯れてのこぎりも使わず手足で折ることができるようになる。これを折りそろえ、ワラ縄で束にして持ち帰る。これがわが家の燃料で、ご飯も炊くしみそ汁もつくった。そだ焚き・柴焚きのそだや柴は、山から採ってくるところからわが家の生活であった。
昨日から「かやの木山」の歌が頭の中で演奏されている、もちろん混声合唱で。頭の中の演奏では現実の演奏と異なり一段と歌詞を味わってしまう。この曲に唱われている詩の、私にとっての原風景とでもいえるものが、親戚のこの囲炉裏だったり山仕事についていったときの情景だったりする。
かやの木山
北原白秋作詞 山田耕筰作曲 増田順平編曲
かやの木山の かやの実は
いつかこぼれて拾われて
山家のおばさは囲炉裏ばた
そだ焚き 柴焚き あかりつけ
かやの実かやの実 それ爆ぜた
今夜も雨だろう もう寝ようよ
お猿がなくだで はよ寝ようよ
はじめまして
私は声楽をしてます
かやの木山と入力したときこちらのホームページが開きました
今度かやの木山を歌うことになっていろいろ勉強しないといけないなと思ってました
管理人さん?のおかげで少し風景が浮かびました。ありがとうございました