月別アーカイブ: 2006年10月

男声合唱

 小演奏会ではまた、男声合唱も2~3曲ほど唱った。混声合唱団の私たちは、普段は全く男声合唱はしなかった。小演奏会に向けてこの時期の夜、男声だけが練習室に集まって練習する。唱った曲は

     いざたて戦人よ
    進め我が同胞よ
    多田武彦「柳川風俗詩」、「雨」
    
などといったものだった。 この時期の私たちは南高OBの古い録音は知らないし、南高OBの合唱曲集も手に入れていなかった。宝の山のような南高OBの曲集を手にすると、男声四重唱にしてもそうだが「当時山形南高のやさしくハモリやすい曲をたくさん知っていれば唱ったのに」と残念でならない。

私たちのカルテット

 学年がすすんで、私たちの周囲でもカルテットをやろうということになった。同級生三人に声の出るテナーの後輩を加えて唱いだした。この頃市販されていた黒人霊歌の男声合唱の楽譜から何曲かを選んで唱ったが、その他にメンバーの後輩がもってきた曲があった。


    雪が降ってきた ほんの少しだけれど
    私の胸の中に 積もりそうな雪だった
    幸せをなくした 黒い心の中に
    冷たくさびしい 白い手が忍び寄る


    雪が融けてきた ほんの少しだけれど
    私の胸の中に 残りそうな雪だった
    灰色の雲が 私に教えてくれた
    明るい陽射しが すぐそこに来ていると


という曲。この後輩は、この曲を本当に唱いたかったのだろう。「これ、唱いましょう。」と持ってきたのだった。こうしてしばらくの期間、夜練習室に集まって唱っていた。たまたまこのときの練習録音がカセットテープに1本残っている。今聴くと、私以外はなかなか歌の上手な人たちだ。同級生の友人が中心になって練習をすすめるのだが、かなり真正面からハモろうと奮闘しているのが録音から伝わってくる。山形から送られてきた男声四重唱の録音のお返しとしては役不足であったが、わたしたちもこんなことをしていたという気持ちで山形の知人に送ってみた。しばらくして、以下のような過分なお褒めの言葉をいただいた。


  昨日MDが届き、早速、今日聞いてみました。
  艶のある声で若々しさが溢れ出ているのが良く分かります。
  皆、合唱の醍醐味に浸りたいと願って情熱を燃やしているのが良く分かります。
  特に、本人達が気付いているかどうか分かりせんが、CDの最初の部分で聴きあって歌おうとしている時はきれいなハーモニーが出ています。


私たちの四重唱の録音は山形のそれには及びもつかないが、私たちの音楽に浸っていた頃の痕跡ではある。

私たちのまわりの男声四重唱

 学生時代、私たちの団体では毎年のように男声カルテットを楽しむグループができた。急造カルテットは7月の小演奏会(部内発表会)でその歌声を披露する。先輩達はグループ名を「キッス・オブ・ファイアー」なんてつけてコマーシャルソングを楽しんでいた。記憶に残っているのはこんな曲だ(記憶はかなり怪しい)。


コカ・コーラ
  君と二人して はこぶ新世界
  コカ・コーラ 
  光と戯れて 心がおどる
  コカ・コーラ 


サントリー・レッド
  ひとりぼっちじゃダメダメ
  二人きりでも まだまだ
  三人四人と仲間が増えて
  いつものレッドで幕が開く
  おー サントリー・レッド サントリー・レッド
      サントリー・レッド サントリー・レッド
  エイエイエイ レッドレッドレド サントリー・レッド レッド・サントリー・レッド
          レッドレッドレド サントリー・レッド レッド・サントリー・レッド


 そしてブリジストン・タイヤのCMソングもあったが、どんな曲だったか思い出さない・・・・。


 こんなテレビでよく耳にしていたCMソングが飛び出すと、みんな大笑いだった。そしてこういうものを聴きながら、「男声カルテットって楽しそうだな」と思っていた。

再度、山形の男声四重唱のこと

 1ヵ月ほどは毎日このCDを聴いたことは以前書いた。最近でも私は、毎日とはいわないがかなり頻繁にこの録音を聴いている。この録音の中で数曲唱った後、メンバーの一人の「ハモんねーなー。」ということばが聞こえてくる。こんなにハモっているのにそんなことをいっていると最初は驚きだったが、たしかに毎日のように続けて聴いていると決して完璧にハモっているわけではないことがわかってくる。しかし久しぶりに聴くとやはり「こんないいハーモニーはない」と思ってしまう。その理由は「聴きあうこころ」ではないだろうか。私は声のでないバスだが、私の耳に自然に飛び込んでくるこの録音のベースパートは本当に自然に聴いて自然に唱っている気がする。そんなこころのありようがうれしくなってくる。そしてメンバー全員のこころのありようもそうなのだろうと思う。

「芽吹け 粘土団子」

 本日の毎日新聞環境欄に大きく掲載された記事である。日本のNPO団体が砂漠化のすすむケニアにおもむき、現地の女性達を指導して粘土団子をつくり大地に撒いて緑を回復しようという試みの紹介だ。福岡正信先生の粘土団子が先生自身ではなく多くの人の手で普及活動が起こり海外にまで広がりを見せていることは、佐々木先生から話を聞き本を読んだだけの私にとってもちょっとうれしい驚きだ。

順位をつけない・・・・

 知人のブログに、「順位をつけない運動会」のことが紹介されている。


        http://blog.goo.ne.jp/kikimimi0874/e/68c8fec3be7da5466817666985fe7006


幼稚園で行われるこの順位をつけない運動会での子どもたちの表情がとてもいいのだそうだ。「どうして順位をつけないの」と思う親も少なくないだろう。しかし、順位をつけることで壊してしまうものもあるはずだ。この幼稚園では強い意志をもってそうしているのだろうと思う。


 このブログを読んですぐ思ったことは、音楽におけるコンクールのこと。私たちが合唱の指導をしていただいた佐々木先生はコンクールに強い疑問をもっておられた。山形南高OBの演奏会のアンコールでは、先生のはなしの中で「コンクール、コンクール、あれはいったいなんでしょうか」ということばが記録されている。技術は比較して優劣をつけることもできる、しかし音楽性の比較は無理だろう。まして、それに順位をつけるなんて・・・・。そんなことが私たちの心の中に入ってきてストンと収まってしまった。「コンクールなんて出る必要がない」「順位なんてつける必要がない」といいう言葉は、私達のような特別な才能のない者にとっては本当にうれしい言葉だ。そして何よりも音楽そのものを感じさせていただいたこと、それこそが本当にうれしいことだ。

美わしの五月に(その2)

 最近いただいた南高OBの資料(のコピー)がある。音楽雑誌「合唱界」の1961年8月号の記事の冒頭にはこんなことが書かれている。


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    “音感合唱で育った美しいひびき”
                 みちのくに実った山形南高OB合唱団


 初夏の風かおる夕、南高合唱団を訪ねた。彼等の母校南高等学校の玄関から長い廊下を、キャプテンの、調所さんの案内で歩くうちに、「うるわし五月に つぼみも開けば・・・・・」記者は一瞬わが耳を疑った。これが東北の青年達の歌声であるのだろうか・・・・・。
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 この記者の文章からは、私がCDから感じ取ったうれしい驚きと共通するものを感ずる。長く聞いてきた南高OB合唱団の録音には登場せず、突然私製CDで出会ったこの曲ではあるが、やはりOB合唱団の歴史の中でも唱っていたのだ。そして同時に送られてきた古い音楽会プログラム(これもコピー)をめくると、
    第2回発表会(1957年)
    第3回演奏会(1958年)
    第5回発表会(1960年)
とこの曲は演奏会にも3回登場している。CDでは高校を卒業して間もない若いOBが仲間同士で楽しく唱っているのだが、佐々木先生指揮、南高OB合唱団の演奏はどんなだったのだろうか。聴いてみたい。

美わしの五月に

 男声四重唱CDの4曲目は「美わしの五月に」、この曲もハーモニーが美しい。しかも歌詞が自然に歌えるよい曲だと思う。この次に入っている「野路の夕べ」は、やはりハーモニーの美しい曲だが、歌詞と曲がマッチしていない印象があった。だからはじめて聴いた「美わしの五月に」もお気に入りの曲になってしまった。気に入ってしまうと楽譜が欲しくなる。Fさんに「楽譜はないでしょうか」と依頼したところ、やがて楽譜が送られてきた。男声合唱のこの曲と、南高OBが編曲した混声用のこの曲の2つだった。聞き覚えではどうしても歌詞が不鮮明なところがでてしまう。また歌詞を誤ってしまうこともある。楽譜を手に入れたおかげで、録音に合わせて唱うことが出来、そうしてこの美しいハーモニーを共有することができる。


(2.5kCT)

ほおずき

 袋をむくと真っ赤に色づいた実が現れる。直径2~3cmくらいのこの実を取り出し、茎のついていた部分に穴を開けてそこから中に詰まっているドロドロした種(の集まり)を出してしまうと表面の皮だけが残る。風船のようにこの中に息を吹き込んでは膨らませる。そんな女の子達の遊びがあり、姉たちがそうするのを見ていた記憶がある。色づいたホオズキはなかなかきれいなので、観賞用に室内に飾っておくのもいい。 


 このホオズキの中身は苦くてとても食べられる代物ではない。しかしこれとは別に食べられるホオズキがある。直径1cmにも満たないこのホオズキは黄色く色づき、十分に熟すと自然に木から落ちる。落ちたホオズキの袋は葉脈のような繊維だけが残るようになるが、こんなふうになったものを拾って食べるとおいしい。甘くて味わいが深く、子どもの頃ほんの数回食べた記憶があるが、その後何十年と食べたことがなかった。


 そんな食べられるホオヅキが昨年玄関脇に自生してきて、この味を久しぶりにたっぷりと味わった。職場にも持っていったが、このホオズキを知る人はほとんどいなかった。昨年食べ残して放置した実(種)が芽を出し、それが育って今年も食べ頃になった。


 

サツマイモ

 ガーデニングの方針の定まらないわが家の庭の一角に、今年はサツマイモを3本だけ植えた。地を這うつるにはたくさんの葉がつき、濃い緑色の葉は長続きする。雑草よけにもなるし、秋には収穫も楽しみと思ってのことだった。こちらの意図の通り3本ともよく育ち、この一角だけは草取りもせずにすんでいる。根本の部分の土は盛り上がってひび割れが走っており、地中の成果に期待を膨らませている。芋掘りはいつしようかな。