月別アーカイブ: 2007年5月

草刈り

今日は、何人もで借りている自然農の畑の周りの草刈りでした。草刈り機で借り倒した草を集めて畝に入れる。草を入れる畝は草を刈っておくのだそうです。そして、入れた刈草はできるだけ均一に広げます。

「草を入れるところは、どうして草刈りしておかなければいけないんですか?」
「できるだけ自然な形、生きた草がある上に刈った草をかけることの方が不自然ですね。」
「生きた草の上にのせた方が嫌気性発酵が起きやすいでしょう。」

そんなやりとりに、なるほどと納得です。

 

小松菜

 

草刈りの後、一枚撮りました。私の畝の小松菜です。やはり、雑草の中の野菜です。

デジタル一眼レフ

友人がデジタル一眼レフカメラを貸してくれました。新しいカメラを購入し、今は遊んでいるカメラだそうです。(うらやましい。)

あやめ

早速、庭に咲いているアヤメを撮ってみました。腕はなくともできあがる写真の質は違うようです。

じゃがいも

昨年のジャガイモが芽を出したものを種芋として、今年はジャガイモを何カ所かに植えています。

    ・母は従来通りの畑に普通の作り方で(これだけは買った種芋)
・母が、「自然農が・・・・」という私のことばを受け入れて、休耕田に少し。
(周囲を少しだけ草取りしています)
・別の休耕田に、のこぎり鎌で草を分け穴を掘っただけで植えたもの
(土地は痩せています、これは私の作業)
・自然農の畑の間借りに植えたもの
(これも私の作業です)

 現在、どこのジャガイモも無事芽を出して育ち始めています。先日の日曜にはそれぞれ芽を2本くらい残して芽欠きをしました。さて、結果はどうなるでしょうか。結果が楽しみです。いずれにしても、今年はジャガイモがたっぷり食べられそうです。

じゃがいも

写真は自然農園にて育ち始めたジャガイモです。周囲にはスギナが生えていますが、これも敵としないことにしています。

なるこゆり

叔父が見つけてくれたしだれもみじがあります。柔らかい葉の雰囲気が普通のもみじと異なり、よい味わいがあります。

もみじ

 

このもみじの根元に「なるこゆり」が自然に育っています。可憐な白い花が数珠つながりに咲いています。

なるこゆり

紅葉の淡い緑と、なるこゆりの鮮やかな緑、白い花がなかなかよい組み合わせです。

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さくら草

桜草
実家の花の観賞用のしだれ桃の木があり、その桃の木の根本にさくら草が生えています。桃の花が終わってまもなく、今度は桜草が花ひらきます。狭い範囲ですがピンクの花が密生していて、ちょっとお気に入りです。

藤満開

実家の藤が今満開です。

藤

 母が白い藤を植えて、紫のものを接ぎ木し、父の手製の棚に這わせたものです。(私は写真を撮るだけ?)

 庭では花の強い匂いが漂っています。満開になると蜂が怖いくらいに盛んに寄ってきて蜜を集めていきます。花が終わったら、この棚もそろそろ補強しなければなりません。

神楽団

神楽を演じ、運営する人たちの集団を神楽団(かぐらだん)と呼んでいます。うちの部落は「○○神楽団」、となりの部落は「△△神楽団」とそれぞれの部落の神社毎に神楽団が存在します。そして近隣の神楽団の中では、私の部落の神楽団が充実しているようです。

神楽というとどうしても舞だけに目がいってしまいますが、楽もまた大切なものです。笛吹きは疲れますので交代で行っています。しかし十分な交代要員がいればいいのですが、なかなかそうもいかないのが実情のようです。数年前の祭では、一日中行われる神楽のうち午前中の早い時間にはなかなか笛が鳴らず、昼から午後への時間がすすむにつれて楽の音がよく鳴り出しました。でも、今年の楽は最初からよく鳴り、その充実ぶりがうかがえました。
この3月か4月のこと、部落内の空き家に田舎暮らしを望んで移ってきた若い家族がいます。若いご主人さんは早速神楽団への誘いを受け、仲間入りしてくれました。実を言うと私も数年前、笛吹きの誘いを受けたのです。しばらく練習してみたのですが、一向に音が出てきません。そんなわけで残念ながらこの仲間入りは断念してしまいました。しかし、この若いご主人さんはわずか一ヶ月程で楽をしっかりと吹けるまでになり、この春の祭りには早速に立派にデビューしたのです。これまでにも何人かの方が田舎暮らしにと越してこられ、この若い方のように神楽団に加わって活動してきました。一緒に神楽を作り上げることで、人と人の交流も深まっているようです。

太鼓
私たちの部落には近隣にちょっと名を馳せた「天の岩戸」の舞いの名手がいます。しかし体力的な衰えもあり、今は後進に道を譲っています。今年、「天の岩戸」の舞の場面になったとき、この方は大太鼓を叩いていました。場面に応じて一緒に盛り上がって叩いているその様子に感心してしまいました。そんな姿からも「伝統芸能」を作り上げていく歓びが伝わってきます。今は個人の家の中にいくらでも娯楽があります。しかし神楽団の人たちをみていると、はるか昔娯楽の少ない時代からこのように部落の若者が集まり笛や太鼓を奏で舞を繰り広げながら「郷土芸能」を作り上げてきたことを今も感じることができるのです。

大和神楽②

神話では、天照大神が天の岩戸の中にこもってしまった後、困った人々は岩戸の前でどんちゃん騒ぎをして気を惹き、何とか天照大神を引っ張り出してまた明るい世界にしてもらおうと努力します。大和神楽でもスサノオの尊が退場した後、次々と男女踊り手が出てきて舞を披露します。
男舞い
女舞い
舞い終わった踊り手は神楽殿の天照大神の並びに腰掛けて次の舞を見物です。踊り手の人たちは一杯ひっかけていますので、一運動(一舞い)のあとの神楽の楽を聞きながら腰掛けているとついいい気持ちになり、舟を漕いでいる人も見受けられます。舟を漕いでいるうちに誤って神楽殿から転落してしまったなんていう有名(?)な話まであるのです。さて、一向に開かない岩戸にとうとう力ずくで岩戸を外してしまおうという豪傑が登場します。何度か失敗した後とうとう岩戸を引っ剥がすことに成功したこの豪傑は大きく息をつき、神楽のクライマックスを見終えた観客からは拍手が湧き起こります。

ヒーロー

日本神話を調べると、天照大神を天の岩戸から引き出すのにはこんなに力ずくではなく、岩戸の前でお祭り騒ぎをしてもう一つ太陽があるように思わせ、様子見にちょっとだけ岩戸を明けて外を覗いたところを鏡で反射させて、知恵を絡めて岩戸を開けるのだそうです。しかし、大和神楽では神話にはないヒーローが登場し、このヒーローが大衆に受け入れられているようです。

 

観客も神話に基づいた、そして多少のアレンジを利かせたこの神楽を楽しみにしており、このストーリーが終わるまでは観客が減ることがありません。「天の岩戸」が終わった後もまだまだ神楽は続くのですが、この最大の山場を見終わると多くの観客は引き上げていきます。私たち家族もここで神社を引き上げたのですが、このとき年輩の集団も引き上げていきました。この集団はかなり遠くから来た人たちで、わざわざこの地の神楽をみるためにやってきたようです。そして駐車場まで歩きながら、
「たいしたもんだ、まったく省略がなく・・・・。うちの部落のものとは全然ちがう。」
などと、口々に賛辞を送っていました。「省略」もしたくてするのではなく後継者不足等いろいろな悩みを抱えてのことと思います。それでも私たちの地区の神楽が褒められることはただの住民にとっても嬉しいことです。
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大和神楽①

子どもの頃、人のにぎわいと出店が並ぶのを楽しみに神社に行ってはいたが、神楽というのはただ冗長に舞っているだけでつまらないものだと思っていた。しかし大人からストーリーを少しづつ聞き足してこの年齢になると、見ていてもなかなか面白いものだ。おまけに「今舞っているのは○○さんだ、この人は上手だ。」などという情報が周りからはいってくる。

神楽のメインは何といっても「天の岩戸」である。天照大神がしずしずと登場して特別な舞いもせず正面に座ってしまう(天照大神は女性神です、特別な舞もないので舞があまり上手でない人でもよいなどという陰口もささやかれます)。荒くれ者素戔嗚尊(スサノオのみこと)の投げつけた馬の皮に驚いて天照大神は洞窟に入り岩戸で入口をふさいでしまう。天照大神は文字通り太陽神である。太陽神が隠れてしまっては世の中が真っ暗となってしまう。スサノオはこのあと神楽殿からさがっていくのだが、天照大神が閉じこもってしまった直後に天に両手をかざす場面がある。今年の舞を見ながら、「あー、真っ暗になってしまったということを表現しているんだ」とはじめて感じたのです。それからスサノオは腰を低く手を前に出しながら退場していく。このときも、「あー、真っ暗な中を手探りで行くことを表現しているんだ」をわかったのです。

スサノオ

むこうに天照大神(女性神)が座っています。前に持っているのが天の岩戸です。スサノウの尊がこうして真っ暗闇の中を手探りで退場していきます。

神社の祭り

先日、実家の部落の祭りがあった。うちの部落の神社の祭りは春・夏・秋とあった(多分今もあるだろう)が、春だけが神社で大和神楽が奉納される。神社は各部落にあるが、祭はどうやら4月末のこの時期に集中するようだ。今日はこの部落、明日はとなりの部落という感じだ。そうした中でうちの部落の祭は4月29日と決めている。他の部落は4月の第?日曜といったふうに決めているのだが、うちの部落では毎年休日となる。良い日に決めたものだ。
祭りc
今はどこの神社の祭りもかつてのようなにぎわいはない。祭が村人みんなの娯楽でその日を待ち遠しくしているというような時代ではなくなってしまった。それでもここの神社は子安神社といい、子宝や安産の御利益があるとのことで近隣の中ではにぎわいを見せる祭だった。社は貧弱だが神楽の舞い手も多く、今でも充実した神楽を奉納している部落である。かつては鳥居から神楽殿までの境内には出店が並んでにぎわったものだが、今は商売にならないのかテキ屋さんも来てくれない。そこで部落の女性達が自前でお店を出し、数少ない子どもたちが手伝っているという微笑ましい光景もある。

神楽殿の前には太い丸太を30cm程に切った手製の腰掛けが並べられており、年寄りなどがそこに陣取って神楽をみている。